国道2号線の宮内別れ付近から廿日市IC方面に向かっての廿日市高架橋下で、高架から従来の2号線に向かう直結ランプやICに向かうランプをみる。
報道によるとこの高架橋は明日から部分通行が出来るようで3月末には全面開通となるようである。
国道2号線の宮内別れ付近から廿日市IC方面に向かっての廿日市高架橋下で、高架から従来の2号線に向かう直結ランプやICに向かうランプをみる。
報道によるとこの高架橋は明日から部分通行が出来るようで3月末には全面開通となるようである。
昨日、昨年秋に伐採したドングリの木(クヌギか?)にドリルで穴を開けて椎茸の種菌を約700個打ち込んだ。
5~6年位でホダ木は腐食したりシロアリに食われてスカスカになるので毎年少しずつ補充をしていかなくてはいけない。向う側に立て掛けてある2~3年生のホダ木にはボツボツと椎茸が生え始めている。
大野上ノ浜海岸堤防沖に通常の船とは変わった作業船が停泊しており何をするのだろうか。
作業をしている人の話によると海底ケーブルの敷設をする作業船のようで、上ノ浜海岸堤防から宮島に向けて電気の海底ケーブルを敷設するようである。
地御前地区にある広島総合病院玄関脇に設置されている石造オブジェで篤志家によって設置されたようである。
石の肌をみると外国産の石のようで右上の透かしは紅葉を表しているのだろうか。題名が表示されていないので素養のない凡人には何を表しているのか良く分からないのである。
地御前地区にある広島総合病院玄関前のロータリー中央にある記念碑で昭和54年(1979)に建立されたようである。
銘文によると従来からの施設の近代化を図るために昭和52年~54年にかけて増改築をし、地域医療に貢献できる病院として整備が完了したのを記念して建立されたようである。当ブログ主は広島総合病院よりは佐伯病院のほうがピンとくる年代だ。
陽光台北交差点(堂垣内)から末森方面に向かうと可愛川に今田橋が架かっている。
今田橋の橋名がどのようにして付けられたのか不明である。田んぼごとに地名が付けられていた明治5年(1872)の資料にも今田という地名は見られずどのようにして付けられたものであろうか。
雪景色の極楽寺をと思って汗したのであったが意外と雪が少なく、寒かったので参詣を済ませて早々に下山した。
雪道で滑りに気を付けながらの参詣であったが中高年や山ガール、中学生の一団など多くの登山者に出会った、当ブログ主は踏み締められた廿日市参道より上平良参道のような荒れた山道が好みである。
※ 昨日、当ブログを開設してからトータル訪問者数30万IPのご来訪を頂きました。老化防止のために何とか更新している面白くもなく万人向きでない当ブログに多くの方々がご来訪して下さりまだまだ頑張らなくてはと思っているところです。
廿日市参道脇上の星ケ城跡を過ぎると屏風岩といわれる巨石上に大日如来像が祀られている。下画像は昭和58年(1983)頃の堂で崩壊寸前の状態であった。
この大日如来像は銘文によると江戸期に廿日市町人によって建立されたようで、無手堂本尊とあり昨日触れた江戸期の地誌絵図にみられる手なし神とあるものとの関係は定かでない。
廿日市参道の巨岩下26丁碑脇に祀られている手無し観音で平成17年に新築された。下画像は昭和58年(1983)頃の堂で崩壊寸前の状態であった。
江戸期の地誌絵図に手なし神と記されているが同一場所のものかは不明である。かつて木造の手無し観音が祀られていたが盗難にあってからは石造の地蔵菩薩が安置祀られている。
昨日極楽寺の雪景色を見たいと思って上平良参道の雪道を通って極楽寺に向かった。
上平良参道は通る人が少なく荒れており山道が分からなくなっている所もあるので経験者以外は通らないほうが賢明である。当ブログ主は子供の頃から良く登っていたのでこの付近の山は熟知しているつもりである。
廿日市7代目の桜島大根の生育状況を時々紹介しているが、4株のうちこちら側から3株目のものは在来の青首大根と交配したものとみられ長めの大根となっている。
おいしく食べる方法があるのだろうが我が家では見向きもされず観賞のみの大根であるが来年は廿日市8代目を目指したいと思っている。
浅原亀山神社境内入口付近にある長尾軍平翁之像で昭和34年(1959)に建立されている。
銘文によると翁は明治31年(1898)から15年間浅原村長を務め、村百年の計として公有林の植栽撫育を進めたようで後年翁の遺徳をたたえ建立されたようである。
浅原地区にある亀山神社拝殿に掲額されている三十六歌仙額で藤原仲文、藤原敏行など36面掲額されている。
これらの三十六歌仙額は明治期に奉納されたものと思われるが、誰が描いたものかは定かでない。
吹さらしの拝殿に掲額されているが比較的彩色はきれいに残っている。
浅原地区にある亀山神社拝殿に掲額されている絵馬で上画像の絵馬は明治27年(1894)、下画像の絵馬は明治7年(1874)に描かれ奉納されたものである。
吹さらしの拝殿に掲額されているが両絵馬とも退色しているが比較的彩色はきれいに残っており何を描いたものであろうか。