中江町の奥地にあったNTT健康保険組合の宮島保養所「三景荘」は昨年に廃止されて売却物件として売りに出されている。企業が健康保険組合を通じて運営していた保養所も日本がまだ旅行も十分できなかった時代には充分活用されていたのだろうが、高度なサービスが喜ばれるようになってきた時代には対応できない施設となってきたのだろう。更新の活力になります! ポチッとね!
佐方地区にある民家土蔵の蔵飾りで縁起の良い鶴亀が漆喰細工で表されている。上部の黒い点は何を表しているのか不明である。後の時代にこの鶴亀を手本にして反対側に施されたというが反対側の作風はあまり良くない。更新の活力になります! ポチッとね!
広島南道路(湾岸道路)で木材港南から木材港北に架かる榎の浦大橋で、可愛川の最も河口の橋である。右中央の仕切りから手前が可愛川で向こう側は県木材公社の貯木場であったが以前にも紹介したが近いうちに埋立てられ親水公園になるようである。更新の活力になります! ポチッとね!
宮島水族館に行く途中に宮島歴史民俗資料館があり、その反対側の石段を登って行くと高台に聚景荘がある。この聚景荘の屋根にテレビ広島の情報カメラが設置されているようである。テレビで時々宮島の映像が映されることがあるけれどここで撮影されているようである。更新の活力になります! ポチッとね!
JR廿日市駅裏の元山手テニススクールの地には中国サナトリウム廿日市病院が昭和9年(1934)に創設されていた。サナトリウムとは結核治療など長期的な療養を必要とする人のための療養施設だったようである。昭和47年頃の住宅地図には廿日市病院が載っておりこの頃まで別の病院施設としては存続していたようだ。創設当時の絵葉書をみると病院の前面は一面の田んぼであり、現状からは伺い知ることができない。更新の活力になります! ポチッとね!
宮島の町並みで川に面した住宅の付属家部分は敷地の関係で出格子のある壁面が斜めになっている。屋根は入母屋風に作ってあるが壁面が直角に交差していないので少し不自然な形状にみえる。更新の活力になります! ポチッとね!
広島県道43号線厳島公園線は国道2号線のJR宮島口駅前交差点が起点で、向うに見える宮島口桟橋で県道は寸断しており、宮島桟橋から杉の浦を経由して包ケ浦自然公園が終点である。海上部分で寸断している珍しい県道である。更新の活力になります! ポチッとね!
海に浮かぶ厳島神社の社殿を大鳥居の手前から遠望すると背景には緑豊かな弥山原始林の山並みが見られる美しい景観を呈している。しかし、「宮島・大野景観指定地域における指定地域基本計画」が定められているのだが、社殿の両側後方に見られる近代建築は世界に誇る景観を著しく損なっているようにみえる。更新の活力になります! ポチッとね!
紅葉谷入口にある老舗旅館岩惣の玄関母屋の道路側壁面に時代を感じさせる看板が掲げてある。江戸末期に岩国屋惣兵衛が紅葉谷に茶屋を設けて憩いの場としたのが岩惣の始まりのようで紅葉谷にちなんで「もみぢや」を称しており、明治以降は皇族、政治家、文化人など多くの著名人が利用している老舗旅館である。更新の活力になります! ポチッとね!
西広島バイパス側道脇でお菊地蔵のそばに、かつて極楽寺参道に建立されていた4基の里程碑が置かれている。江戸時代に建立された極楽寺道の里程基碑、一丁碑、二丁碑と昭和時代に建立された極楽寺道碑があるが、何れも道路工事などに伴ってここに移されたものである。更新の活力になります! ポチッとね!
昔は火立岩という岩があったが埋め立てで無くなっており、その沖合い付近で潮時を待って外宮地御前神社の前の海岸に至る。地御前神社前の海岸において御座船の上で雅楽を奏し神事が行われているところである。更新の活力になります! ポチッとね!
昨日行われた祭りで地元では「ジュウシチヤ・オカゲンサン」などといわれている、旧暦6月17日に行なわれる王朝絵巻を再現する祭礼で、厳島神社最大の祭りである。本殿から御神体を乗せた御座船は大鳥居をくぐって対岸の外宮地御前神社の手前、元の火立岩前を目指してお供船を連ねて向かっている。元の火立岩前で潮時を待ち外宮地御前神社に至り雅楽を奏し神事を行なって、長浜神社、大元神社、火焼前、客神社前を経由して本殿に還御する優雅華麗な祭礼である。更新の活力になります! ポチッとね!
昨日紹介した広電の柳庵1踏切の手前にJR柳庵川橋梁があり、上り線側の石積みは明治30年(1897)山陽鉄道開通当時のものとみられる。江戸期の絵図には鷲川となっており柳庵は地名であったが現在では柳庵川と呼ばれており、時代とともに地名や川名称も変わっていくものだ。現在川は暗渠となって道路として拡幅されている。更新の活力になります! ポチッとね!
平良保育所の東側道路を可愛町方面に向かうとJR柳庵ガードがあり、右側に進んで広電の柳庵2踏切がある。かつては左側に進んで鷲川沿いに柳庵1踏切があったのだが現在は廃止となっている。手前の枕木柵から向う側の看板があるところに通じており、小学生の頃グランド劇場での映画鑑賞の時にここを通っていたのを思い出した。更新の活力になります! ポチッとね!
上平良地区にある民家の土蔵で腰壁は平瓦を角立てに並べて目地を漆喰で蒲鉾型にしたもので、海鼠の断面にも似ているためにナマコ壁という。この土蔵は県道廿日市環状線のルートにかかるため数年の内に取り壊されるのではなかろうか。更新の活力になります! ポチッとね!
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