『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

湯船の滝(居舟の滝)

2015年01月31日 | 「大野地区」ぶらり


一昨日紹介した大野太陽光発電所近くにある湯船の滝で、大きな岩の上を滑り落ちる滝であり県立大野寮があった頃は水質が悪化していたが現在は綺麗になっているようだ。
この滝は江戸期の地誌で佐伯郡廿ケ村郷邑記には湯舩の瀧と記され、芸藩通志には居舟瀑(すゑふね)と記され居舟原という地名もあったようである。伝説については大野町誌に記されているので参照してください。

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友田の碑林

2015年01月30日 | 「佐伯地区」ぶらり


友田地区の友和小学校前にひと際高い忠魂碑の周りに沢山の石碑が建立されている。
全部を詳しく確認していないがざっとみていくと昭和3年(1928)の忠魂碑-日露役戦死者・日清役戦死者・北清役戦死者・大正三年乃至九年役戦死者・殉職者公病死者・大東亜戦役戦没者、昭和4年(1929)の伊藤翁彰功碑、同年の森河翁彰功碑、昭和7年(1932)の伊藤只一翁彰徳碑が2基、昭和33年(1958)の大東亜戦役従軍者等々がみられる。

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大野太陽光発電所

2015年01月29日 | 「大野地区」ぶらり


妹背の滝から松ケ原方面に向かう県道289号線栗谷大野線沿いにあった県立大野寮の広大な跡地に、ひろしま再生可能エネルギー推進有限責任事業組合の大野太陽光発電所が設置されている。
道路脇に現在発電量が表示されており天気が良かったので発電表示の数値がどんどん上がっていった。(全体画像は同組合HPより)

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県道30号線―廿日市佐伯線改良工事の今

2015年01月28日 | 「廿日市地区」ぶらり


かつて明石の七曲り峠はバスが切り返しをしなければいけないほどの急カーブがあったが、次第に整備され現在最後の急カーブにバイパスが整備されつつある。
山を掘割状に掘り崩しておりもう少しで向こう側の道路面と同じようになりそうだ。工区別の看板表示には工期が3月13日と3月27日までとなっているが年度内で開通するのであろうか。

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国道433号線改良工事の今

2015年01月27日 | 「廿日市地区」ぶらり


国道433号線の改良工事の進捗状況を時折り紹介しているが、部分的な工事が終わったものとみられ重機など撤収していた。
数日前に工事看板で工期が3月20日と3月31日のものが表示されており、次の工事が行われるものとみられ平良地区と原地区境の長野川への架橋工事も始まったようである。

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昭和初期のコンクリート電柱

2015年01月26日 | 「廿日市地区」ぶらり


昨日紹介した電柱は鉄筋コンクリート製であり、通常、電柱は架線の架け替えや停電事故が起こらないように更新されており、現在多くの電柱は遠心力鉄筋コンクリートポールとされているので、この時代のものはほとんど残されていないのではなかろうか。
10号電柱は画像のような状態であり危険なために近々に撤去されるかもしれない。昭和6年(1931)頃のこの鉄筋コンクリート電柱は市域では最古級のものとみられ、広島瓦斯電軌㈱廿日市変電所に給電していたものであり、状態のよい11号電柱は保存してもらいたいものであるが・・・
                                         
   栗栖川発電所からの送電線(栗栖線)コンクリート電柱について

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送電線(栗栖線)のコンクリート電柱

2015年01月25日 | 「廿日市地区」ぶらり


宮内地区の山字長尾の竹藪化している山中に、かつて佐伯地域栗栖にある栗栖川発電所から廿日市方面への送電線(栗栖線)であったコンクリート電柱10号、11号の2本が残されている。
この電柱は昭和6年(1931)に設置されており、昭和47年(1972)に栗栖線は新しいルートで設置されて不要になったがなぜかこれらの電柱が残されている。

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長尾古墳

2015年01月24日 | 「廿日市地区」ぶらり


宮内地区の山字長尾の山中にある古墳で直径が15m位の円墳のようである。雑木や竹が茂っており厚い腐食土のために古墳であると案内がないと気付かないであろう。
この長尾古墳は試掘、発掘調査はされてないので詳細は不明のようで、廿日市地区では確認されている唯一残された古墳である。

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長石の石積み

2015年01月23日 | 「廿日市地区」ぶらり


原地区を散策していると大きな長方形の石板6枚でブロック塀下の擁壁と擁壁と塀を兼ねた石積みがみられた。
大きい石で長さ4m、幅65cmもあるもので、田んぼの中にあった大石を切り出したのではなかろうかと言っておられたが詳しいことは不明のようである。人力で切り出し運搬して積み上げたものであろうが。

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南予路の城‐2題

2015年01月22日 | 旅行


南予路探訪の最後に城2題、上画像は木造で復元された大洲城天主閣と国の重要文化財の高欄櫓(右側)で、この他に台所櫓、苧綿櫓、三の丸南隅櫓が残されており国の重要文化財に指定されている。
下画像は現存している天主閣の一つである宇和島城で国の重要文化財に指定されている。現存天守閣12城の内残るは弘前城のみであるが弘前市は遠く、HPによると石垣修理事業のために桜祭り後、天主閣は曳き移転され完全復旧は10年先位とのことなので達成は無理かもしれない。

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南予路の明治建築‐2題

2015年01月21日 | 旅行


上画像は宇和島市にある明治17年(1884)に宇和島警察署として建築された擬洋風建築で現在は歴史資料館として使用されている。当市にも擬洋風建築の佐伯郡役所があったが取り壊されて久しく知っている市民は少ないのではなかろうか。
下画像は大洲市にある明治29年(1896)に大洲商業銀行として建築された和洋折衷建築で現在はおおず赤煉瓦館として使用されている。

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二宮金次郎が読んでいたものは

2015年01月20日 | 旅行


卯之町々並み近くには明治15年(1882)に建築された擬洋風の開明学校(国重文)が資料館となっており、館内には元小学校にあった焼物の二宮金次郎像が展示されていた。
以前紹介した二宮金次郎像の本には何も書かれていないものをいかにも読んでいますよというようなポーズの像だと二ケ所のものについて記したが、こちらの像の本には難解な中国古典「大学」の一節が刻されていた。

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卯之町々並みの袖うだつ

2015年01月19日 | 旅行


西予市卯之町の重要伝統的建造物保存地区町並みを散策していると平入りや妻入りの町屋が混在しており、妻入りの町屋に今まで見たことがない袖うだつがみられた。
他所で見てきた袖うだつは袖壁に単独の小屋根が付けてあったが、ここの袖うだつの屋根の片側は大屋根から続いている珍しいものである。

※   当ブログを開設以来、昨日トータル閲覧数250万PVの大きな区切りを迎えることが出来ました。主に市域をブラブラしてみたままを記したつたないブログですが、多くの方々のご来訪閲覧に背を押され何とか継続することが出来ました。老化防止のために頑張りますのでお暇がありましたらお立ち寄り下さい。

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和霊神社の注連縄

2015年01月18日 | 旅行


宇和島市にある和霊神社に何十年ぶりであろうか久しぶりに参詣した。このブログで何度も紹介しているが当ブログ主は注連縄づくりに関わっていたので他神社の注連縄が気になる。
この神社には神門と拝殿に大注連縄が架けてあり左側先端部が極端に細くなって針金で締め付けてあるもので見たことがないようなものであり、神門のものと拝殿のものは綯い方向が逆になっている。コモ編みは大しめなわ館で見た編み方と同じで編み糸が見えない手の込んだ手法のものであった。

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内子町の廿日市地名

2015年01月17日 | 廿日市関連


内子町に廿日市地名があることは以前にも紹介した。
この地の願成寺の門前集落に中世、厳島にある「荒えびす」を分祀して祀り、毎月20日の市日には恵美須神社の御開帳があって「廿日市えびす」として信仰心のつよかった人々は、遠方より参詣して集落は繁栄し「廿日の市」が著名となって地名になったようである。
四国の内子町は遠く離れた地のようにみられるが、海上交通の盛んであった古い時代には意外と当地との接点があったのである。 《「廿日市」地名の起源について》

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