『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

悪谷林道ぶらり①

2017年03月31日 | 登山


比丘尼渕上の滝



比丘尼渕



比丘尼渕下の滝

旧津和野街道を横山の山裾から旧村境のみだ川(現在は悪谷川)を渡って悪谷林道を下っていくと比丘尼渕といわれている大きな渕(滝つぼ)のある滝がある。
悪谷と呼称されているように急峻な谷間を流れる悪谷川は花崗岩の露出した急傾斜地であり大小10数ヶ所位の滝が形成されているが、悪谷のため撮影ポイントになかなか近づくことが出来ない。  

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旧津和野街道ぶらり②

2017年03月30日 | 登山


石畳道


石畳道


一里塚跡


茶屋とこ

一里塚跡と表示された手前ぐらいまで石畳道が断続してみられるがその多くは落ち葉に隠されている。画像の箇所は比較的きれいに石畳が表れている所である。
江戸期の地誌に「観音原木橋ヨリ茶屋とこ迄廿七町五十間登り急坂、此間ニ壱里松有」とあり、一里塚跡の表示してある場所があった。しばらく登って行くと茶屋床と表示され平地に休憩所があるがこの場所付近に茶屋があったようである。旧津和野街道はかつて中国自然歩道の整備の際に所々改変整備されているところもあるようである。

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旧津和野街道ぶらり①

2017年03月29日 | 登山


観音原の観音堂


石畳道


炭窯跡

吉和通り石州往還跡を探査しようと思っていたが積雪のために急遽、栗栖から旧津和野街道を探訪し悪谷林道、国道186号線を周回した。栗栖から旧街道に入ってすぐに観音堂があり江戸期の地誌にみられ石の御本尊であるが由緒など不明である。
石畳道は各所でみられ延べ長さは相当の距離になるものとみられる。30数年前に探訪していたがこのように長い延べ距離に石畳があったとはあまり記憶になかった。
江戸期の栗栖村地誌に炭窯や炭役所などの記述があり古くから炭を産出していたようである。いつの時代のものか不明であるが途中2ケ所の炭窯の跡である石積みがみられた。

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長府ぶらり-覚苑寺の喚鐘

2017年03月28日 | 旅行

覚苑寺の喚鐘


磬子・喚鐘

覚苑寺本堂の軒下に架けられている喚鐘が見たことがない珍しい形状のものであった。形状は仏具の磬子(けいす)のようであり上下逆になった「御霊屋用」と刻字がみられるので、磬子を転用して喚鐘にしたものであろうか。
画像をみると通常の梵鐘や喚鐘の吊下げ用龍頭がみられるが取り合わせ部分などを詳しくみていなかったことが残念だった。ざっと見たときに上部に穴がみられたように思ったが記憶違いかもしれない。

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長府ぶらり-長門鋳銭所跡

2017年03月27日 | 旅行


長門鋳銭所跡


和同橋

小学生の頃であったろうか日本初の貨幣は和同開珎であったと習ったように記憶している。昨日紹介した覚苑寺境内地はかつて和同開珎を鋳造していた場所で貨幣の鋳造に関わる鋳銭遺物が出土しているようであり、国指定史跡「長門鋳銭所跡」として指定されている。
覚苑寺に向かう参道途中の逢坂川に架かる石橋は和同橋と称され高欄の束石には和同開珎文様が刻されていた。

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長府ぶらり-覚苑寺

2017年03月27日 | 旅行

覚苑寺本堂

庫裡

長府毛利家家紋入り鬼瓦

覚苑寺は長府毛利家の菩提寺の一つでかつて七堂伽藍を有していたようである。
明治初期に諸堂は取り壊されていたが三田尻(防府市)の廃寺となっていた醍醐寺本堂を移築して本堂に、以前に紹介した勝山御殿本丸の玄関部分が庫裡として移築されたようである。

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長府ぶらり-功山寺・笑山寺

2017年03月25日 | 廿日市関連


功山寺本堂


功山寺仏殿



笑山寺本堂

功山寺は関ヶ原の合戦後に移封された毛利秀元の帰依を受けた洞雲寺12世三庭龍達が荒廃していた長福寺(長福寺の遺構仏殿は国宝)を復興し曹洞宗に改め、自ら三世となり洞雲寺13世大雲守的が4世、洞雲寺17世基外嶺雄が5世となっている。秀元は父元清の位牌を安置して笑山寺と称していたが、秀元没後に法号巧山玄誉居士により巧山寺と改称した。
笑山寺は秀元の請いにより三庭龍達は荒廃していた潮音院に秀元母(妙寿寺殿松渓妙寿大姉)の位牌を安置して妙寿寺と改めて住持となっており、三庭龍達は師である洞雲寺11世天翁玄播を開山とし自らは中興2世となった。後に元清の位牌を安置して笑山寺と改称している。

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長門国一宮住吉神社

2017年03月24日 | 旅行


末社の厳島社

拝殿
本殿

先日、下関市一の宮にある長門国一宮の住吉神社に参詣した。大鳥居をくぐって参道脇にある御池の中島には末社の厳島社が祀られているが由緒などは定かでない。
楼門をくぐって正面に妻入りの拝殿がありこの拝殿は毛利元就が寄進した建物で国の重文に指定されているようである。本殿は室町初期の建築のようで国宝に指定されており、五社殿が連結され連続屋根に千鳥破風がのせてある特徴ある神社建築である。

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日浦畑大元神社

2017年03月24日 | 「廿日市市周辺部」ぶらり




佐伯区湯来町日浦畑にある大元神社で明治期頃に河内神社を合祀したようである。

当神社の拝殿小屋梁は弓状に曲がった丸太加工梁が縦横に使用されており中央縦通りの天井も弓状になった珍しい造りである。大正9年(1920)の拝殿再建棟札があるようなのでこの時に天井が弓状に築造されたものであろうか。

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㈶佐伯郡地方振興財団60周年記念顕彰碑

2017年03月23日 | 「廿日市市周辺部」ぶらり



国道488号線の旧吉和村と旧湯来町境付近で熊ケ杉林道に向かうとすぐにある㈶佐伯郡地方振興財団60周年記念顕彰碑で昭和57年(1982)に建立されている。

佐伯郡誌によると明治38年(1905)に水内村に郡財産林90町4段4畝歩を設けており熊ケ杉の山林がこれに相当するものとみられる。郡制の廃止に伴って大正11年(1922)に旧佐伯郡の町村によって佐伯郡地方振興財団は設立されたようであるが、現在は大竹・廿日市・江田島の3市で構成しているようである。

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可部線水内駅跡

2017年03月21日 | 「廿日市市周辺部」ぶらり


水内駅公園(水内駅跡)

ホーム上屋遺構

昨日紹介した津伏大元神社がある津伏地区の太田川対岸にある久日市地区にかつて湯来町唯一のJR可部線水内駅があった。昭和29年(1954)に開通しており駅員もいて貨物や荷物なども取扱っていたようで平成15年(2003)に廃止されたようである。
現在駅跡は水内駅公園として整備され、ホームや線路の一部、ホーム上屋などが残されておりかつて水内駅があったことを偲ぶことが出来る。

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津伏大元神社

2017年03月20日 | 「廿日市市周辺部」ぶらり

津伏大元神社拝殿

                                            拝殿大棟の龍図

佐伯区湯来町の太田川沿いにある集落の津伏地区にある大元神社であるが由緒など定かでない。江戸期の地誌によると八幡宮の同殿に大元大歳二神ありとあるがどのような経緯で大元神社となったのかは明らかでない。
拝殿の屋根で青海波瓦が組み込まれた大棟の両側が漆喰塗としてあり龍が描かれている珍しい手法の大棟である。

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桜尾城時代の妙見社

2017年03月19日 | 「廿日市地区」ぶらり


桂公園の北麓にある妙見社で中世桜尾城時代の遺構とみられることを何度か紹介しているが、現在社殿の屋根が破損しているものとみられシートの覆いが長らくしてある。
社殿前には珍しい金属製円形柱に円形笠の芳名塔が建立されており、昭和7年(1932)に行われた妙見堂改築の寄附者名が刻されている。かつては多くの人達に信仰されていたようである。

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旧平良小学校体育館が ‼

2017年03月18日 | 「廿日市地区」ぶらり



旧平良小学校の唯一の遺構である昭和55年(1980)に建築された体育館(現在平良体育館)が老朽化のため廃止撤去となるようである。
此の場所には当ブログ主が小学生の時に木造講堂が建てられ、その後、昭和55年(1980)に体育館(屋内運動場)が建築され平成14年(2002)まで使用されていたものであるが平良小移転後は平良体育館として使用されていた。

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JR江津駅の跨線橋

2017年03月18日 | 旅行

 

 



江津駅の跨線橋は一部改修されているようであるが鋳造柱や階段梁の取り合わせなど洒落たデザインで山陰本線が開通した当時の面影が残されている。跨線橋登り口の両側の鋳造柱には正面に「
鐵道院」、側面に「明治45年 横河橋梁製」とあり一部の文字が埋没している。
山陰本線は短区間づつ開通しており江津駅の開通は大正9年(1920)12月に開通しているが、跨線橋の鋳造柱は横河橋梁製作所で明治45年(1912)に数か所の鋳造がされたものと思われる。このような鋳造柱がかつて廿日市駅にもあったことが資料にみられる。

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