極楽寺山への廿日市道途中にある展望所から山陽自動車道の宮島サービスエリアを俯瞰する。山陽道を挟んで遠くには広大な宮園、四季ガ丘団地が広がっており、遙かなたの山は経小屋山である。広大な山林が開発されたものだ・・・ポチッとね!
経小屋山は平成11年に大規模な山火事にあっており、保水力がなくなった山斜面からの土石流被害を防ぐために数ヶ所の治山ダムが設けられている。治山ダムには山林火災に備えての貯水がされている。擬石仕上げとなっているが景観に配慮するのであれば自然石でないと・・・自然石がよい! 思う人はポチッとね!
上平良地区にある民家の土蔵ケラバの蔵飾りで、棟木の下面に人面像が漆喰鏝細工で施されている。土蔵に侵入する者を見張っているのか・・・遊び心のある面白い鏝細工である。現在のダミー防犯カメラに相当するものだ・・・オモシロい! と思う人はポチッとね!
昨日掲載した二重焼き屋さんの写真で右端軒下の張り紙に気付いた人がいるだろうか?ここには「つばめ様御宿」と張り紙が張ってあり、御宿主人ことユニークな津保美堂のご主人と二重焼きのおいしさで多くのファンが・・・焼きたての二重焼きを食べたい! と思う人はポチッとね!
津田の町並みの中に津保美堂製菓という大きな看板を掲げた二重焼き屋さんがある。つぶ餡やクリーム入りのボリュウーム満点の二重焼きには多くのファンがおり、買い求めている間に数台の車が入ってきた・・・焼きたての二重焼きを食べたい! と思う人はポチッとね!
西国街道の難所である四十八坂・・・丸石から鳴川付近は山が海岸に迫っており西国街道は山の中腹を通る交通の難所であった。この四十八坂を西国の大名や旅人が行き来していたのである・・・四十八坂に「ごまのはい」がいたのでは! と思う人はポチッとね!
大野地区には江戸時代の西国街道のなごりが残っている道が何ヶ所か残されている。西国街道は現在の国道2号線に相当する山陽路の大動脈であった。この道を西国の大名や旅人が行き来していたのである・・・ポチッとね!
上平良地区の民家の脇に長さ約6mもある長いかずら石が3本置いてあった。むかし敷地を造成するときか田畑の普請をしたときに大きな岩があってそれをうまく割って切り出したものであろう。このような長いものを割り出すのには相当腕のよい石工さんがいたものだ・・・ポチッとね!
JA佐伯中央農協は効率的な経営基盤をつくりあげるために支店等の統廃合が今春行われ、ここ所山支店・所山生産資材店が閉鎖されるようである。遠くから見ると住宅かと思うような支店であるが、住宅を再利用した店舗であろうか。周辺地域に住んでいる住民の皆さんは大変だ・・・ポチッとね!
吉和魅惑の里から少し行った道路脇にこども炭焼き会社の炭焼き窯があった。これは吉和小・中学校の「総合的な学習の時間」で、かつてこの地方の産業であった炭焼きを体験するため地域の方々の協力によって作られた炭焼き窯のようである。冬は炭火が最高! と思う人はポチッとね!
明治時代に入り海岸沿いの国道が整備されてから串戸の町並みは成立しており、この町並みにある洋風の商店建築で全体的には単純なデザインである。しかし、出入口上部にあるリボンの壁飾りはお洒落でアクセントとなっている。お洒落だ! と思う人はポチッとね!
JR宮島口駅の西側の第一踏み切り脇線路沿いに宮内庁管轄の任助親王の御陵がある。任助親王は伏見宮貞敦親王の子で、後に後奈良天皇の養子になり仁和寺に入り出家し宮島に滞在中に入滅された。この地に宮内庁の管轄する御陵があることはあまり知られていないのでは・・・ポチッとね!
上平良地区にある民家の土蔵ケラバの蔵飾りで、牛に乗った金太郎が漆喰鏝細工で施されている。牛の両側には籠を乗せてなぜか金太郎があぐらを組んで乗っている面白い鏝細工である。金太郎は熊に乗るものだ! と思う人はポチッとね!
JA佐伯中央農協は効率的な経営基盤をつくりあげるために支店等の統廃合が今春行われ、ここ玖島支店・玖島生産資材店・くみあいマーケット玖島店が閉鎖されるようである。周辺地域に住んでいる住民の皆さんは大変だ・・・ポチッとね!
JR山陽本線の上に架かる峰高陸橋の東側下にあり通常の歩道陸橋のようであるが歩道の下は河川となっている。明治時代に山陽鉄道建設のためこの部分が掘割となり従来の新宮川が遮断されるために跨線水路橋を設けて下流域の水田を潤していた。へぇー! と思う人はポチッとね!
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