佐伯町の田んぼでは早場米の稲刈りが済んでこのところの暑さでひこばえの穂がついていた。今からは寒さに向かっていくので穂には実が入らないけれど最新技術で二度米が採れるようになれば・・・ご来訪の足跡を! ポチッとね!
廿日市町並みの町屋でかつてはこのような町屋が3軒並んでいたが現在では真ん中の町屋が建替えられている。廿日市町並みは幕末期の長州戦争で焼失しておりその後に建てられた比較的新しい町屋で明治、大正時代には廿日市郵便局が置かれていた町屋である。ご来訪の足跡を! ポチッとね!
JR宮島連絡船の車両甲板の壁面には水族館をモチーフとした絵が描かれている。宮島には宮島水族館もあり殺風景な甲板壁面を利用して観光客の目を楽しませている。ご来訪の足跡を! ポチッとね!
西国街道に設けられていた一里塚跡で、中山地区から西の永慶寺川支流丸子川合流付近に設けられていた一里塚は本川橋東詰めの広島元標より五里目の塚であった。江戸時代の旅人に里程を教え街道松と共に旅情を豊かにした西国街道の施設であった。ご来訪の足跡を! ポチッとね!
浅原地区を流れる小瀬川の護岸で石積みのものであり少し古い時代に築造されたものである。護岸と言えばコンクリート護岸が主流であったが最近は環境に配慮して石積み護岸も見られるようになった。ご来訪の足跡を! ポチッとね!
広電宮島線で佐方地区にある城内踏切の脇に立てられている架線用の電柱に2種類の表示がしてあった。下段には城内と表示してあり上段には場内と表示してある。下段の城内は地名であるので理解できるが上段の場内は鉄道線路に関した特別の呼称であろうか・・・ご来訪の足跡を! ポチッとね!
洞雲寺門前の田んぼは稲が色づいておりもう1~2週間で稲刈りが行われるだろう。洞雲寺には彼岸で墓参に訪れる人が多くみられた。駅裏の区画整理事業で門前には広い道路が築造されるのでこの景観も1~2年で見納めである。ご来訪の足跡を! ポチッとね!
宮島サービスエリア西側の山陽自動車道沿いの山の松枯れが多く見られるようになった。今夏の異常な暑さと高速道路を走る車の排ガスが何らかの影響を与えているのは間違いないであろう。ご来訪の足跡を! ポチッとね!
JR宮島口駅から宮島口桟橋に向かう歩道の街路樹脇に化け猫のような彫刻が設置されている。何か伝説にもとづいたいわれのある像なのだろうか? 著名作家の作品であろうか? チョット奇妙な彫刻だ。ご来訪の足跡を! ポチッとね!
宮島口の穴子めしと言えば明治時代創業の「うえの」がよく知られており、穴子めしをと訪れてみた。当日は穴子弁当のみで時代を感じさせる店舗内で食した。弁当の包み紙は大正時代のものを復刻したもので時代を感じさせる包み紙であった。味のほうは食されて各自で御判断を。ご来訪の足跡を! ポチッとね!
宮島口の歩道に植えてある街路樹の根元を保護するグレーチングに広島県の木であるモミジと旧大野町の木であるベニマンサクが鋳造されている。各地で装飾鋳造マンホールはよく見られるけれど装飾鋳造グレーチングは珍しいのでは・・・人差し指の運動! ポチッとね!
廿日市のシンボル天神山から廿日市港方面を遠望すると手前に西国街道が走っており向い中央付近が廿日市本陣のあったところである。右側は佐伯郡役所の跡で現在は廿日市市中央公民館となっている。人差し指の運動! ポチッとね!
針山集落の最深部にある廃屋の土蔵の蔵飾りであるが何という字を表しているのか不明である。山中の荒れた敷地内を恐る恐る通らせてもらったが蔵飾りの全貌を写すことができなかった。周辺は山林化しつつあり残念ではあるが消滅は時間の問題である。人差し指の運動! ポチッとね!
廿日市市役所の南側、木材工業団地の一角にある作業所の屋根に小さな風力発電機が設置されていたが台風のためにプロペラが取れてそのままになっていた。最近復旧されて海から吹く潮風を受けてプロペラは軽快に回転するのであろうがあいにく当日は回転していなかった。人差し指の運動! ポチッとね!
小瀬川の支流で悪谷川は栗栖川発電所の取水口を過ぎると約100mの間は花崗岩の急傾斜地であり大小10数ヶ所位の滝が形成されている。上流域に比丘尼が渕といわれている大きな渕(滝つぼ)があるが、栗栖川発電所の取水口より少し上流にはこの流域最大の滝がある。人差し指の運動! ポチッとね!
フォロー中フォローするフォローする