JR山陽本線の上に架かる大之木水路跨線橋で、江戸期に通っていた旧西国街道の越峠垰付近は明治期に山陽鉄道建設のために掘割りとなり、従来の旧街道や新宮川が遮断されたために水路跨線橋を設けて通行の用と下流域の水田を潤していた。
明治30年(1897)に開通した当時に設けられた水路跨線橋は昭和3年(1928)に複線化されており、昭和39年(1964)には電化により嵩上げされているので現在の水路跨線橋は3代目のようである。
昨日紹介した吉和発電所に取水するために設けられたと思われる太田川の取水堰堤で画像左側に取水口がみられる。
中央部分には川魚が上下するための魚道が設けられている。吉和漁協ではアユが放流されているようであるが、ここより4~5km下流域には立岩ダムがあり陸封アユが遡上するのであろうか。
瀬戸滝に行く途中の立野キャンプ場入口にある佐伯中央農業協同組合の小規模発電所で、大田川の水を取水して発電している。昭和34年(1959)3月に発電開始されたようで発電出力は450KWのようである。
水利使用標識によると取水量は1.33立方メートル/Sのようで、取水口(上画像)から約2km位県道296号線沿いに導水路(中右画像)が設けられ、立野キャンプ場入口付近から水圧管路(中左画像)で発電所(下画像)に送水されている。
以前紹介した自噴している湯の川温泉1号井からの冷泉を利用して湯の川温泉として営業されていた廃屋が取り壊されていた。
当温泉を残念ながら利用したことがないので浴槽の詳細は不明であるが、上画像にみられる石組部分が浴槽であったものとみられる。
国道186号線の鹿の打川に架かるボックスカルバートの三滝橋と隣接向うに廃止されている三滝橋があってずっと奥に三滝が見える。
上画像は小瀬川の川中からの遠望で旧三滝橋のたもとから降りていくと下画像の三滝が見えるが夫婦滝と共に容易に探訪できる滝ではない。
国道186号線沿いの小瀬川羅漢渓谷にある夫婦滝で大きな岩の両側を流れ落ちている滝である。国道からかすかに見られるが駐車スペースがなく川は下方を流れているので全貌を見ることは出来ない。
画像のような全貌を見るためには少し下流ヶ所から川の中を渡り岩伝いに遡ると夫婦滝の全貌が現れる。
一昨日、五日市港に大型クルーズ客船「VOYAGER OF THE SEAS」が停泊していたことを紹介したが、昨日も大型クルーズ客船「QUANTUM OF THE SEAS」が停泊していた。ネットによるとアメリカのクルーズ客船のようで総トン数168,666t、長さ347m、幅50mと一昨日のクルーズ客船よりも大型のものである。
このクルーズ客船は高知港から五日市港に寄港して昨夕出港して今朝室戸沖を航行しており夕方神戸港に入港するようである。
昨日の午後、五日市港に大型クルーズ客船「VOYAGER OF THE SEAS」が停泊していた。ネットによるとアメリカのクルーズ客船のようで総トン数137,276t、長さ311.12m、幅47.4m、客室は1557室あり世界第4位の総トン数の船のようである。
このクルーズ客船は高知港から五日市港に寄港して昨夜出港して今朝は別府港に停泊している。
飯の山集落を走る国道186号線のすぐ脇にある瀧の口滝で、飯の山ダムから流れている野田川(瀧の口川)にある小さな滝で上の滝と下の滝がある。
江戸期には滝のすぐ下流に宇佐往還道が通っており長さ5間半(約10.8m)の瀧の口板橋が架けられており、旅人はここで一休みしながらミニ絶景を眺めていたものであろう。
毎日うだるような暑さのため少しでも涼をと吉和地区の瀬戸谷にある瀬戸滝を訪れたが水量が少なく天然のドライミストも発生しておらず迫力に欠けていた。
10年位前に滝上から下を眺めたが滝は下から見上げるものである。滝上から瀬戸谷を再度遡上してみたいが年齢を考えると無理な冒険もできない。 「瀬戸谷」
昨日紹介した辻堂の裏手にはこれも広島地方では見かけることがない「堅牢地神」と刻された石碑があった。仏教辞典によると堅牢地神は「大地を司る神の名、此の神は能く大地を堅固ならしむるから此名がある」とあった。
刻銘によると嘉永二年(1849)に建立されたようで、当時の農業は脆弱で天候などの自然条件に大きく左右されていたために旱魃・風水害・冷害・病虫害などから免れるよう、村の人達が豊穣を祈って祀ったものとみられる。
備中松山城に行く途中、吉備中央町湯原地区の道路脇に広島地方では見かけることがない茅葺の辻堂があった。
看板表示によると寛政7年(1795)の棟札が残されているようで古くから地域の人々の信仰の場であり道の辻に建てられているもので、旅をする人達も休息や宿泊などに利用していたようである。
備中松山城の天守閣で以前気付かなかった2ケ所の引戸にサル錠が設けてあった。鉄棒をL型に折り曲げ先端に爪をつけたサル鉤で縦木の凹み部分に引掛けて回転させ持ち上げると縦木の枘が敷居部分から外れて解錠となるもので、以前に紹介した土蔵のサル錠よりは単純な一重ロック方式のものである。
縦木の枘を敷居部分から解錠状態にしておくために左画像の引戸には下部に右画像の引戸には上部の横木で縦木の落下止めとしてある。
現存天守閣がある12城のうちの1つで重文でもあると孫のリクエストにより高梁市の備中松山城を5月に訪れてまた探訪した。(中・下画像-重文の天守閣、二重櫓)
炎天下であったが盆休みと真田丸の影響もあるのかシャトルバスは満員で大勢の人が訪れていた。城ガールのたまごは天守閣は何層もある大きなものと思っていたようで今度は姫路城に行きたいと・・・