『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

平成最後の日

2019年04月30日 | 「廿日市地区」ぶらり







本日が平成の最後の日であるが、平成天皇が即位され翌年の新嘗祭前日に奉祝行事が速谷神社で行われていた。写真画像の年月日をみると90・11・22とあるので、平成2年11月22日の大嘗祭の日に速谷神社で奉祝行事が行われたようである。

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平成最後の日

2019年04月30日 | 「廿日市地区」ぶらり



 


本日が平成の最後の日であるが、元号が「平成」とされた時には地御前神社境内に建立されている国道開鑿碑が注目された。
この国道開鑿碑は江戸期の西国街道に代わって明治13年(1880)に海岸線に沿って国道が新設されて明治20年(1887)に建立されている。この碑文は有栖川親王による篆書「地平天成」が刻されており、「平成」の出典の一部として当時注目されていた。

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英彦山の今熊野窟

2019年04月29日 | 登山

 

今熊野窟堂宇

観音菩薩像

梵字岩壁

バク(釈迦如来)

アーンク(大日如来)

ア(阿弥陀如来)

摩崖仏岩壁

勢至菩薩像

僧形像

銘文

 梵字岩壁窟の石仏

 

前日の雨で断念した梵字岩と磨崖仏を探訪するため香春町の宿泊ホテルから再び英彦山に向かった。奉幣殿に参詣して昨日訪れた智室窟のある智室谷の坊舎跡の石段を通り過ぎ途中から大南登山ルートに入って進むと智室社とある鳥居のところから登ると今熊野窟がある。
今熊野窟には観音菩薩像が彫られた石仏の堂宇がありその側面の垂直岩壁に大きな三字の梵字が刻されている。バク(釈迦如来)・アーンク(大日如来)・ア(阿弥陀如来)の三如来が表されているようである。堂宇の後方鎖場を登った岩壁には勢至菩薩像と銘文、僧形像が彫られており、刻銘によると嘉禎3年(1237)に造られたようである。(参照:英彦山神宮小史) 

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英彦山の豊前坊・高住神社

2019年04月28日 | 旅行

 

 



 

昨日紹介した智室窟の探訪ころから小雨が降り出したので、奉幣殿から長い参道の石段や石畳の滑りに気を付けながら参道入口の車に帰った。少し離れたところにある国道500号線沿いの豊前坊高住神社に参詣した。この神社も英彦山の四十九窟の一つ豊前窟で、ここから鎖場、北岳を経て中岳の上宮に向かう登山ルートがある。大岩壁の窟に本殿が設けられており、豊前坊も英彦山信仰・修行の一つの拠点とみられているようである。
銅鳥居に架けられている注連縄は初めて見るようなもので均一の太さの藁束を細い藁縄で端から端までぐるぐる巻きにしたものであった。

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英彦山の智室窟

2019年04月27日 | 旅行

 

 

 

 



英彦山中岳にある英彦山神宮上宮に参詣し奉幣殿まで下山してからマニアックな探訪をした。別の登山ルートを進んで行くと智室谷に坊舎跡の石垣や石段が残っており、表示では虚空蔵とあり整った石段も途中までで崩れかけた石段を登ると板碑がずらりと並んでおり、江戸期以前のものもあるようである。断崖の下部が侵食した窟の中に供養碑がみられ、ここ智室窟は英彦山信仰・修行の一つの拠点とみられているようである。もう一カ所探訪したいと思っていたが雨が降り出したので断念して下山した。

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英彦山神宮参道と坊舎群跡

2019年04月26日 | 旅行

 

 

 

 

 

 

 

昨日紹介した英彦山神宮参道は国道500号線から奉弊殿まで水平距離820m、垂直距離180mの斜面に石段や石畳みが延々と続いており、その両側には段状に坊舎群跡があり一部の坊舎跡が残されている。国道500号線より下側にも石段が続いており坊舎も残されているようである。
参道の両側にみられる坊舎跡でもびっくりしたのであるが、神宮で求めた英彦山神宮小史に掲載の明治初年の坊中屋敷図をみると参道の両側以外にも数多くの坊舎がみられ、明治7年(1874)には192坊あったようで山上の宗教都市であったようである。

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英彦山神宮参詣

2019年04月25日 | 登山

 

 

 

 

 


当ブログ休み中に日本三大修験道霊場の一つである福岡県添田町にある英彦山神宮へ参詣していた。銅鳥居がある表参道の脇にはスロープカーがあるがそれを横目に長い石段、石畳道を登って奉弊殿に参詣、下宮を過ぎると石を並べただけの石段が延々と続き、途中鎖場もある登山道を登って標高1188.2mの中岳にある上宮に参詣した。

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天満神社-境内社胡神社の狛犬

2019年04月22日 | 「廿日市地区」ぶらり



 


天満神社の境内社胡神社の狛犬で凝灰岩質砂岩であろうか軟らかい石で尾の部分が補修されている。何時の時代に建立されたのかは定かでないが基礎部分の石質が違っているので同時に建立されたものではないであろう。胡神社の前身は江戸期に胡町の四辻に胡堂がみられ、大正期に廿日市港付近に移り、昭和31年(1956)に現在地に移されたようである。胡神社は廿日市地名の起源と関わりのある神社とみられるのである。

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小麦畑が

2019年04月21日 | 「廿日市地区」ぶらり


 


原地区をウォーキングしているとこの地方では今時珍しい麦畑がみられ、小麦を植えておられるようである。当ブログ主が子供の頃は大麦と小麦を作っており、米を作っていながら押し麦の入った麦飯を食べさせられていた。この時期はまだ青いので麦秋はもう少し先であろう。

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新宮神社の狛犬

2019年04月20日 | 「廿日市地区」ぶらり




 


新宮神社に建立されている狛犬で刻銘によると文久4年(1864)に原屋嘉助の寄進により建立されている。原屋嘉助は可愛町の町人で福佐売神社の鳥居、清門柱や天満神社の玉垣なども寄進している篤志家であった。蓮教寺に墓碑が残されているが縁故者がおられないようであり無縁墓として合葬されるかも知れない。

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宇佐の鉄燈籠

2019年04月19日 | 廿日市関連



 


昨日紹介した生見の鉄燈籠基礎部分に鋳出されている向き合った獅子と似ている鉄燈籠が岩国市錦町宇佐八幡神社にある。
この鉄燈籠は当神社本殿脇の覆屋の中にあり、笠、火袋、中台、基礎部分が残され錆で表面はボロボロになっている。この鉄燈籠の銘文が江戸期の寺社由来に「・・・永享九丁巳年八月吉、山代庄宇佐村長兼 大工藤原朝臣安信」と記されており、この鉄燈籠を鋳造した藤原朝臣安信は廿日市の鋳物師とみられるのである。
詳しくは安芸国鋳物師の鋳造活動又は山口県地方史研究第65号所収の「宇佐の鉄燈籠鋳工についての一考察」に詳述しているので興味のある方は参照してください。

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生見の鉄燈籠

2019年04月18日 | 廿日市関連



 


昨日紹介した厳島神社高舞台の擬宝珠を鋳造した廿日市鋳物師久枝綱家の鋳造作品が岩国市美和町にも残されている。
昭和59年(1984)頃には美和町生見の小堂の中に建立されており腐食が進んで朽ちかけている部分もあったが、その後修復されて現在は岩国市美和歴史民俗資料館に保管展示されている。竿部分に陽鋳銘文があったようであるが現在は腐食で判読できない。この銘文が江戸期の地誌に「・・・旹天文十五丙午八月吉日 廿日市之住 大工綱家」と記されており、廿日市鋳物師の久枝綱家が鋳造したことがわかるのである。

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厳島神社高舞台の擬宝珠

2019年04月17日 | 「宮島地区」ぶらり

 


厳島神社の高舞台の周囲に巡らされている勾欄の親柱に取り付けられている擬宝珠の中に「奉鑄木帽子八内旦那當社棚守左近将監房顕 于時 天文拾伍年丙午六月吉日敬白」と刻されているものがある。野坂文書の久枝綱家山里納銭請取状に「・・・右、為厳島舞台きほうし代、棚守左近衛将監殿遣方、御城御倉より請取申所如件、天文十五年五月七日 久枝二郎三郎綱家・・・」とあり、廿日市鋳物師の久枝綱家がこの擬宝珠を鋳造したことがわかるのである。

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野貝原山登山 ④

2019年04月16日 | 登山




 


昨日紹介した林道玖島川末線のルートは泉水峠より少し離れた位置で工事が行われているが、峠部分に杭が打たれテープが張ってあり何の表示であろうか。
江戸期の石州往還が大正期ころ里道として整備され、泉水峠にトンネルの工事が行われていたが途中で中止となり工事途中の石垣が残されている。昭和初期には泉水峠に休憩所があったようで石積みのあるところであろうか。自動車交通が発達してからは通行する人も少なくなり険道となったようである。

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野貝原山登山 ③

2019年04月15日 | 登山




 


旧野貝原高原の周回道路から泉水峠に向かう以前から通っていた登山道が何の表示もなく掘削されており、掘削機を操作している作業員に通るなと怒られた。泉水峠では現在玖島側から林道工事が別の業者で行われて通行止めとなっていたが、離れた場所の掘削をしていたので川末方面に通行させてもらった。人しか通れないような険道(県道294号虫道廿日市線)は林道玖島川末線として整備されていくようである。
川末地区から泉水峠を経て野貝原山への登山は当分の間通行不能である。

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