『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

坪井溜池畔の人家跡

2012年10月31日 | 「廿日市地区」ぶらり


坪井溜池上池の西岸付近に石積みの平壇があり人家の跡とみられ、どのような生活をしていたものだろうか。
以前、親からこの池のそばに人家があったと聞いたことがあり、昭和40年代前半ごろ探訪したとき山中に石臼が残っていたのを記憶している。しかし今回石臼を確認することは出来なかった。

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坪井溜池から坪井川までの引水隧道

2012年10月30日 | 「廿日市地区」ぶらり


坪井地区への引水は坪井上池から下池に流出し下池の斜樋スルースゲートによって水量調整して石積の引水隧道口、引水隧道はまず倉重川の源流谷に出てそこから鈍角に折れ曲がって再び引水隧道で坪井川の源流谷に至っている。
坪井溜池から坪井川までの分水嶺の尾根下は花崗岩質の山であり、人力で掘削するためと引水隧道の維持管理のために中間に開いた部分を設けたので、このような折れ曲がった引水隧道となったものとみられる。

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坪井溜池上池(牛池山第一溜池)

2012年10月29日 | 「廿日市地区」ぶらり


極楽寺山頂広場から廿日市市・広島市境の尾根道を通って久しぶりに坪井溜池に行ってみた。坪井溜池は上池(牛池山第一溜池)と下池(牛池山第二溜池)があり、ここから引水隧道で佐伯区坪井地区の農業用水として使用している。
行政区域の違う地域に溜池を設けて分水嶺の山を繰り抜いて、溜池からの流水の水利権を有している珍しい事例である。

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極楽寺本堂今昔-2

2012年10月28日 | 「廿日市地区」ぶらり


下画像は昭和5年(1930)の大修復後すぐの本堂であるが明治末期頃の画像にみられた裳階部分の手摺と本堂右側の小さな建物はみられない。
本堂の左側には草葺の庫裡と思われる建物があり渡り廊下とみられる下屋と小さな小屋が間にみられる。明治末期頃の画像では本堂左側が写っていないのでこれらを確認することができない。(画像-広島を繞る山の研究)

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五日市港の大きな運搬船

2012年10月27日 | 「廿日市市周辺部」ぶらり


昨日の夕方ごろ五日市港に大きな運搬船がタグボート2隻で押されて接岸しており、岸壁に沢山並んでいた建設機械が積み込まれるようである。
HOEGH AUTOLINERSと表示してあり船名はHOEGH TRADERとあったのでHP検索するとスウェーデンのHoegh Autoliners(ホーグオートライナーズ)社の船舶で27,630tあり全世界を航行しているようである。

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極楽寺本堂今昔

2012年10月26日 | 「廿日市地区」ぶらり


宮島SA脇から極楽寺山に登ったが40~50人の登山者とすれ違いなんと中高年登山者の多いことだ。
下画像は明治末期頃の本堂で同じ位置から撮影してみようと思ったが樹木が邪魔をしたので少し手前から撮影した。明治末期頃の屋根は桧皮葺であったが昭和45年(1970)に杮葺きとされ現在は銅板葺きとなっている。
裳階部分(下屋の廊下状ケ所)にはかつて手摺が取付けられていたようで本堂右側には小さな建物がみえるが何であったのだろうか。

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広電廿日市駅の新設工事が!

2012年10月25日 | 「廿日市地区」ぶらり


広電廿日市駅のホームに廿日市駅新設工事の看板が掲示してあるので近いうちに駅舎も撤去されるものとみられる。
工事期間は来年3月25日までとなっているので来春には新装なった廿日市駅がお目見えするものとみられる。

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石州往還-厄よけ観音

2012年10月24日 | 「佐伯地区」ぶらり


玖島大沢地区と葛原峠地区を結ぶ林道沿いで大沢峠に向う林道の三叉路付近に祀られている厄よけ観音である。
この地は観音原と言われているようであるが何時の時代に安置されたものかは定かでない。かつて石州往還を行き来していた人々の安穏を祈念して祀られたものであろうか。

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大沢峠七曲りの馬観音

2012年10月23日 | 「佐伯地区」ぶらり


玖島大沢地区と葛原峠地区を結ぶ林道沿いに祀られている石仏で、かつて石州往還の大沢峠手前の七曲りの難所に馬観音として祀られていたもののようである。
表示板によると七曲りの難所にあったものを明治期に大沢峠頂上に祀り大正期に堂宇が建立されたようであるが、昭和40年代に台風で倒壊したため昭和50年(1975)現在地に移転されたようである。

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西蓮寺の稚児行列

2012年10月22日 | 「廿日市地区」ぶらり


昨日上平良地区にある西蓮寺において親鸞聖人七百五十回大遠忌法要、最勝仏教婦人会100周年記念行事として稚児行列が10年ぶりに催された。
稚児宿から総代(旗持ち)、仏教婦人会、雅楽法中、佐伯西組法中、住職、稚児宿家族、稚児及びその家族などが行列を成して西蓮寺に向った。

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ハゼの組み方-2

2012年10月21日 | 「廿日市地区」ぶらり


上平良・原地区を散策しているとハゼの組み方で色んな組み方があることが分かった。-②
上画像は二又杭の中間に縦のハゼ杭を立て長手方向に斜めのハゼ杭を立てて縦杭及びナルと結び付けてある。中画像は三又杭または二又杭の中間に長手方向に向けた斜めのハゼ杭を立てナルに結び付けてある。下画像は二又杭の中間に長手方向に向けた斜めタスキ掛けハゼ杭を立てナルに結び付けてある。

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ハゼの組み方

2012年10月20日 | 「廿日市地区」ぶらり


上平良・原地区を散策しているとハゼの組み方で色んな組み方があることが分かった。
上画像は当ブログ主の組み方で三又杭と二又杭を交互に立てたものである。中画像は二又杭の片方のハゼ杭に長手方向に向けたハゼ杭を結び付けてある。下画像は中画像と同じような組み方であるが長手方向に向けたハゼ杭をナルにも結び付けてある。

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宮島SAスマートICアクセス道路の今

2012年10月19日 | 「廿日市地区」ぶらり


時折宮島SAスマートICへのアクセス道路工事について紹介しているが、現在工事が長らく休止されているようである。
唯一国道433号線に接続する部分の拡幅工事がされていたが画像のような状態で休止されているようであり、全線の工事完成までには年数がかかりそうである。

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三次町屋のファンライト

2012年10月18日 | その他


三次町西城川沿いの町並みにある民家の土蔵付属建屋の窓には似付かないような洒落たファンライト(扇形欄間)が設けられている。
現在は板扉窓となっているがどのような窓で何の用途の建物であったのだろうか。

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三次町並みの卯建

2012年10月17日 | その他


三次町並みにある卯建(うだつ)のある町屋で2階屋根上に突出した本卯建と正面下屋上の袖卯建がみられる。卯建の正面には漆喰細工の花文様がみられる。
袖卯建の著名なものは四国の脇町、貞光町、池田町などの町並みに多くみられる。

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