『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

宮島借景の夫婦島

2012年01月31日 | 「大野地区」ぶらり

 

深江地区沖に浮かび宮島を借景とする大野の景勝地である夫婦島で、海食門のある大きな島は男島で小さい島は女島である。

満潮時には見え隠れしそうな女島の脇にある小岩は子供島である。他に呼ばれ方があるのかも知れないが、これらは当ブログ主がふさわしいのではなかろうかと呼称したものである。

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尾田越橋

2012年01月30日 | 「大野地区」ぶらり

 

宮島台団地南口付近にある入り江入口に架かる国道2号線の小さな橋名が尾田越とあり、海岸には似付かない橋名で地名から名付けられたようである。

かつて西国街道沿いの高畑方面から山越えして尾田越集落があり、その海岸沿いに尾田越新開が築造されたために尾田越地名が現在の海岸までとなったようである。

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コソ四郎社

2012年01月29日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

原後畑地区の河内神社本殿脇に祀られているコソ四郎社で、かつてコソ四郎屋敷跡に祀られていた。

昭和57年(1982)頃にはコソ四郎屋敷跡にあったコソ四郎社は倒壊寸前であり御神体は河内神社に合祀されていた。後の時代に河内神社境内にコソ四郎社が再興されたようである。民話に登場するコソ四郎を祀ったものといわれる。

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後畑河内神社-2

2012年01月28日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

原後畑地区の河内神社で74段の参道石段を登った境内に祀られている。当神社の御神体は木造の薬師如来像で両側に随身が祀られていた。(昭和57年(1982)に探訪調査)

神仏習合時代の農村民衆信仰の様子が窺われるのである。

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後畑河内神社

2012年01月27日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

原後畑地区のアルカディア・ビレッジ向かい側にある河内神社の参道石段で登り口に木造の両部鳥居が建てられている。

昭和57年(1982)に探訪したときには石段の中間部に木造の両部鳥居があったが現在は登り口に建て替えられている。

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宮島SAスマートICへのアクセス道路の今

2012年01月26日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

以前紹介した宮島SAスマートICアクセス道路の一部完了した上り線の西端から国道433号線方面への側道で普通車がやっと離合できるような幅員である。

市のデータによると11月中の通行数は85,350台ということである。現在県によって用地買収がされているようであるが拡幅工事はもう少し先になりそうである。

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洞雲寺の神通橋碑

2012年01月25日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

洞雲寺鐘楼門脇に「神通橋」と刻された石柱が置かれていた。かつて桜並木の参道から佐方小学校方面に向かう道と鐘楼門に向かう三叉路付近の参道に神通橋があったようである。

はるか昔には神通橋のそばに大門があって、現鐘楼門付近に中門がありその間に池があったそうである。

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宮島SA高台から瀬戸内遠望

2012年01月24日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

宮島SA上り線側を高台から俯瞰すると遠く瀬戸内には宮島から能美島、江田島、似ノ島(画像には無い)をみることができる。

厳島海峡沖には大黒神島がみられ、この位置から天候が良いときには雪を冠った四国の石鎚山が見えるかも知れない。

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宮島SAスマートICへのアクセス道路の今

2012年01月23日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

昨日画像の向う側の山上から見た画像で高架水槽脇のICゲートから撮影している場所付近でUターンして右側平地方面に伸びて舗装道路に接続する。

撮影ケ所はまだ高い位置なのでこれから掘削して右側の平地部分を埋めてS字スロープになるものとみられる。

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宮島SAスマートICへのアクセス道路の今

2012年01月22日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

時折宮島SAスマートICへのアクセス道路の拡幅について紹介しているが、上り線部分で画像手前の工区はほぼ完了しており続いての工区の工事が始まっている。

画像手前の舗装道路から大きくS字カーブを描いて高架水槽脇のICゲートまでに至る部分の工事が進められている。

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老朽化の市営住宅

2012年01月21日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

原地区にある市営住宅長橋団地や樫原団地の空き家になった住戸の出入り口や窓にベニヤ板で覆いがしてあった。

老朽化しているためだろうか空き家の生じた住戸の募集はされていないようである。

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廿日市の町屋-3

2012年01月20日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

旧西国街道沿いの大通りから裏通りの町屋をみると軒が低い平屋建てのものや厨子二階の低いものなどがみられる。

大通りに比べて裏通りは商業活動が低調で多くの町屋は住居として使用されていたのだろうか。

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廿日市の町屋-2

2012年01月19日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

かつてこの町屋と昨日紹介した町屋など3軒が廿日市町並みの良き雰囲気をかもしだしていた。明治期にはこの町屋には郵便局が置かれており、後に店舗として改造されたために町屋の雰囲気が損なわれてしまった。

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廿日市の町屋

2012年01月18日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

廿日市の町並みで伝統的な町屋の面影を残したものは数えるほどしかみられなくなった。

幕末の長州戦争の際に多くが消失しておりそれ以降に建築されたものも多くが建て替えられている。

画像の町屋は長州戦争翌年に建築されたようで小屋組などの部材に古材が使用されておりあわただしく復旧されていることがわかるのである。

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津和野藩御船屋敷跡の稲生神社

2012年01月17日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

津和野藩御船屋敷跡に祀られている稲生神社で、津和野藩主の崇敬していた太鼓谷稲成神社を船屋敷鎮護のために分祀し祀られたものである。

太鼓谷稲成神社を勧請したものであるが鳥居の神額にはなぜか稲生の字とされている。大正期の地誌には稲荷とありどのような経緯でこのような字が用いられたものであろうか。

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