『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

猿のならず者

2010年11月30日 | 「廿日市地区」ぶらり


原地区の廃校となっている原養護学校跡には人影はないが、数多くの山猿がたむろしておりこちらの気配を察知して逃げて行った。
大きな群れであったものとみられ、学校跡の下方にある農家の方が缶をけたたましく叩いており花火の音も聞こえて、こちらでは猿のならず者の被害に困っておられるようである。

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洞雲寺周辺の今

2010年11月29日 | 「廿日市地区」ぶらり


廿日市駅北土地区画整理事業の進捗状況について時々紹介しているが、佐方小学校付近の高台から見た洞雲寺門前の最新の状況である。
道路予定地のあたりは戦時中弾丸鉄道(高速新幹線)の敷設計画があったところであるが、戦争の激化により工事は中止され後に別のルートで現在の山陽新幹線が開通している。かつて弾丸列車が走る予定であった洞雲寺門前では自動車が疾走しそうである。

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洞雲寺の紅葉

2010年11月28日 | 「廿日市地区」ぶらり


洞雲寺の紅葉であるが現在門前では廿日市駅北土地区画整理事業の工事中なので仮設材などが写って絵にならない。
かつて参道からの桜やモミジの紅葉した樹木の間から垣間見えた紅葉風景はもう見ることができない。

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宮島サービスエリアから遠望

2010年11月27日 | 「廿日市地区」ぶらり


昨日の夕方、宮島サービスエリアからの遠望で里山はきれいに紅葉しており、広島湾には大型船が五日市港に向けて航行していた。
サービスエリア備え付けの双眼鏡で見るとFUJITRANSの中四国・関東航路を航行する「きぬうら丸」のようであった。「きぬうら丸」は以前にも紹介したが総トン数は12,691t、乗用車1747台、トレーラー52台が積載できるようである。
海の向こうには山の形が富士山に似た標高278.1mの安芸の小富士がみられる。

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ならず者 御用!

2010年11月26日 | 「廿日市地区」ぶらり


極楽寺山系からは道路や田畑で独立したゴゴロ山に居着いた猪が周辺に出没して、丹精込めた野菜畑を掘り返していたので駆除を依頼して昨日やっと御用となった。
猪は用心深い動物のようで餌のヌカをまいて馴らしてからワナを仕掛けたようであり、10日ぶりに駆除できた。しかし小さい足跡もあるようなのでならず者はまだいるのかもしれない。

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佐伯郡解剖遺志碑

2010年11月25日 | 「廿日市地区」ぶらり


以前に何度か紹介しているが明治期に入って佐伯郡の医会では医療技術の向上を図るために死体解剖をしており、明治23年(1890)に建立された被解剖者の遺志碑が正蓮寺墓地に残されている。
碑文によると執刀者斉藤春香、主任医広藤国人、佐伯郡医会医員とあり、佐伯郡内で開業していた医師の解剖によって医療技術の向上を図っていたようである。(下部の刻字が不明であるが他碑文より推定した)

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高畑山山系からナタリー跡遠望

2010年11月24日 | 「廿日市地区」ぶらり


阿品台団地と宮内工業団地との間にある高畑山山系からナタリー跡地の遠望で、高層マンションが屏風のように林立している。
マンションの向こう側には宮島の聖崎と蓬莱岩を見ることが出来、その先の岩礁のうえに石燈籠があるのがかすかにみることができる。

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国道433号線改良工事の今

2010年11月23日 | 「廿日市地区」ぶらり


原地区の国道433号線の改良工事で元JA原支店のところから山陽自動車道方面に向かっての工事については何度か紹介したが、原地区、平良地区境の長野川までの工事がほぼ完了したようである。
原地区、平良地区境の長野川から数年前に完了している原市民センター(公民館)前までの改良工事が完了したことになり、部分通行が出来るようになるのだろうか。

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上平良大歳神社の紅葉

2010年11月22日 | 「廿日市地区」ぶらり


上平良地区にある大歳神社のイチョウが紅葉して見頃であるが桜は少し散り過ぎているようである。
ここ大歳神社はかつてうっそうとした杉の大木が林立しており、「もりさん」と呼ばれていた。子供の頃「もりさんの青坊主」が出るからとか、だまされるとかいって大人から脅かされていたものである。

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原たくみの会作品展

2010年11月21日 | 「廿日市地区」ぶらり


原地区にある橋本集会所において同地区で製作活動をされている「原たくみの会」のメンバー8名の作品展が昨日と本日16時まで開催されている。
轆轤細工の大盆や斬新なアイデアで作られた轆轤細工、繊細に彫り込まれた宮島彫り、器、花器、飾りなどさまざまな陶芸作品、廿日市近辺を描いた絵画などが展示されている。

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竹ぼうきの支柱?

2010年11月20日 | 「廿日市地区」ぶらり


廿日市町並みの小路を通っていると竹ぼうきが沢山立ててあり、一瞬どこの掃除用のものかと思った。
良く見ると作物の支柱のように組まれており、根元には何か不明であるがアロエ様の多肉植物が植えられていた。何とも不思議な支柱である。

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海老橋の一里標石

2010年11月19日 | 「廿日市市周辺部」ぶらり


岡の下川に架かる海老橋東詰の土手道を上流側に向かって行くと直角に折れ曲がって昨日紹介した街道松がみられ、折れ曲がりケ所には明治18年(1885)に建立された一里標石がある。
広島の元安橋東詰の里程元標から3里の里程標石で、江戸期のものは岩戸一里塚に相当する。江戸期、広島藩の1間は6尺5寸であったので、明治になって1間6尺で計測すると誤差が生じたものと、井の口の海岸沿いの新道建設によりこのような誤差が生じたものとみられる。

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旧西国街道の街道松

2010年11月18日 | 「廿日市市周辺部」ぶらり


廿日市市域に残されている街道松は1本のみであるが、広電楽々園駅裏の旧西国街道沿いには2本残されている。
昭和56年(1981)五日市町当時には5本残っていたようであるが3本は枯れ死したものとみられる。ここの街道松は宅地に食い込んだような状態で保存されている。

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火山・高畑山→海老山

2010年11月17日 | 「廿日市地区」ぶらり


阿品台団地と宮内工業団地との間にある高畑山から五日市の海老山を遠望。
江戸期の通信は人や馬による飛脚が主であったが、情報を高速でリレー式に伝達する狼煙(のろし)もあり、ここ高畑山には烽火台が設けられていた。
大野村の治野尾山(場所は不明、樹木が茂って大野方面を見ることができない)の火煙を見て、高畑山で火煙を上げ海老山で火煙が上がったら火煙を止めていたようで、松葉や肥松を燃やし昼は煙で夜は火で伝達していたようである。

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高畑山からの遠望

2010年11月16日 | 「廿日市地区」ぶらり


阿品台団地と宮内工業団地との間にある標高194.1mの高畑山からの遠望で野坂、宮内、串戸、上平良、下平良方面がみられ、新幹線、国道2号線西広島バイパスが伸びているのがみられる。
手前の山には紅色の紅葉があちらこちらにみられ、大きな虹が鈴ケ峰山にむかって架かっていた。

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