『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

新春間近の速谷神社

2009年12月31日 | 「廿日市地区」ぶらり


平成21年もいよいよ雪日和の今日かぎりとなりました。昨日、交通安全で名高い速谷神社では境内にはすでに露店が数多く並んでおり、雨の中を門松の組立てをされており初詣準備万端はもうすぐ・・・

※当ブログは老化防止の気まぐれぶらり見たままのブログですが、今年も多くの方々にご来訪頂き大変有難うございました。来年もより一層頑張りたいと思いますので宜敷くご支援をお願い申し上げます。

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新年間近の伊勢神社

2009年12月30日 | 「廿日市地区」ぶらり


原地区の氏神である伊勢神社の拝殿には新しいしめ縄が架けられており、また、神額と賽銭箱が新調されて新年を迎える準備が整っていた。
以前に紹介した当神社神楽団の奉納神楽は市無形民俗文化財に指定されている。拝殿内には吹きさらしのため退色、剥離が激しい三十六歌仙額が掲額されている。

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竹中健助氏の碑

2009年12月29日 | 「廿日市地区」ぶらり


廿日市市役所南側の駐車場脇に建立されている竹中健助氏の碑で、元2号線寄りにあったが市庁舎建設に伴う周辺整備でこの地に移転された。
竹中健助氏は台風により損壊した榎之窪新開の復旧に私財・一身を擲ち新開の堤防を築造しており、その遺徳を称えるため明治39年(1906)4月にこの碑が建立さたようである。

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佐伯郡初解剖遺忘碑

2009年12月28日 | 「廿日市地区」ぶらり


明治14年頃、佐伯郡内で初めて死体解剖をしており、被解剖者の遺忘碑が光明寺墓地に残されている。
碑文によると執刀者小山内健、主任医森田寛蔵・長崎正平、参加医員佐伯郡内医師とあり、佐伯郡内では医師の解剖によって医療技術の向上を図っていたようである。

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佐方小学校の陶壁レリーフ「獅子舞」

2009年12月27日 | 「廿日市地区」ぶらり


佐方小学校の校門脇の塀に平成13年(2001)11月、同校6年生によって制作された陶壁レリーフ「獅子舞」が設置されている。
太鼓、笛、鉦など楽人のお囃子に合わせて獅子が舞っている様子が表されている。江戸期8月17日廿日市の氏神祭礼で獅子舞が街中を舞っていたようである。

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ハゼの組み方

2009年12月26日 | 「廿日市地区」ぶらり


時期はずれであるが原地区の立善寺裏手の田んぼに稲を架けるハゼがまだ残されており、良く見ると上平良地区で行われている方法とは少し違っていた。
上平良地区では三又のハゼ杭を要所に立てその間に二又のハゼ杭を立てるのであるが、ここでは二又のハゼ杭が基本で長手方向に対してはタスキ掛けのハゼ杭がナルに結わえつけられている。原地区の他の場所でもこのようにされているのをみたことがあり変わった方法であると思ったことがある。

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廿日市町屋跡の発掘調査

2009年12月25日 | 「廿日市地区」ぶらり


都市計画道路の廿日市駅通線は廿日市港から旧国道まで拡幅整備されており、広電宮島線までは買収が終わっているものとみられ現在蓮教寺横で発掘調査が行われている。
横小路に面する町屋のはずれ付近であり、現在は深い層まで発掘が進んでいるが上の層ではどのような遺構が検出されたのであろうか。

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岩戸山-(岩戸尾城跡)

2009年12月24日 | 「廿日市地区」ぶらり


佐方本町の山陽女学園がある岩戸山の遠望で、この地には中世のころ岩戸尾城があったところであるが山陽女学園の開園で城跡は消滅した。
岩戸山は当時海に面しており要害の地で、陶晴賢の親である興房が約1年間在陣しており相当の施設があったものとみられる。

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柚子湯三昧

2009年12月23日 | その他


昨日は冬至だったので当ブログ「はつかいちブラリ湯」では柚子湯にし、入浴したらペーパー肌がすべすべ肌になったような・・・
今年も柚子のなり年であろうか柚子の実が鈴なりとなっており、浴槽にたっぷりと柚子を入れ柚子湯三昧・・・あぁー極楽!極楽!
ゆず湯モデル依頼をしたが即却下されたのでご覧の写真のみ。

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厳島神社奉納絵馬-騎馬武者の図

2009年12月22日 | 「宮島地区」ぶらり


厳島神社の回廊など各所にはかつて奉納された数多くの絵馬がかつて掲額されていたが、現在はその一部が千畳閣に掲げてある。
この絵馬は文政12年(1829)に絵師法橋祐常が描いた「騎馬武者の図」で、兜をかぶっておらず前方を見据え太刀を押さえて鞭で馬を駆りたっているので、火急の事態にいざ鎌倉と疾走をしている図であろう。

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宮島SAにハイウェーホテルが

2009年12月21日 | 「廿日市地区」ぶらり


山陽自動車道宮島サービスエリアの上り線側にハイウェーホテルの建築予定の告知看板が掲示されていた。
関門自動車道(下り線)の壇之浦PAにハイウェーホテルが設けられていたのを見たことがあるが、他のサービスエリアではまだ見たことがない。遊具が設けられている公園内で看板付近に建築されるようで、看板によるとホテルとあるが木造2階建ての14室の規模のようである。

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恐竜のサンタさん

2009年12月20日 | 「廿日市地区」ぶらり


来週は子供たちにとっては楽しいクリスマスであるが、以前にも紹介した木材港北の道路沿いに設置されている恐竜がサンタクロースに変身しており、夜は電飾されているようである。
プレゼントを配るサンタクロースは歓迎されるだろうがこのような恐竜のサンタが来たらびっくりするだろう。

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冠高原スキー場跡

2009年12月19日 | 「吉和地区」ぶらり


一昨日からの寒波襲来で冠高原も雪化粧をしているのではなかろうか。かつては冠高原に積雪があるとスキー場は賑わっていた。今はスキー客が利用していた施設も廃墟となって寂しく残されている。
この地は江戸期には萬象ケ原といわれる湿原であったようで、戦後に開拓団が入植して昭和20年代後期にスキー場や牧場が設けられ冠高原と称されたようである。

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宇佐往還道-稗原峠

2009年12月18日 | 「佐伯地区」ぶらり


馬頭観音を拝して少し登ると標高約850mの稗原峠であるが緩やかな平地であり峠のようではない。急傾斜の往還道を登ってきた小荷駄馬はここで休憩して一息ついたのではなかろうか。
写真の手前が宇佐方面で真直ぐ行くと飯山、丸い看板の所から右側に県境沿いに登っていくと鬼ケ城山、看板の少し先から左手に行くと県境沿いに冠高原に行ける。寒波襲来でこの峠も今日は雪に覆われているだろう。

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宇佐往還道-馬頭観音

2009年12月17日 | 「廿日市市周辺部」ぶらり


往還道跡の山道を登っていくと標高750~800m付近では作業道ようたあ線によって寸断されており、しばらく作業道を登っていくと往還道跡の山道への入口がある。
ここには馬頭観音が安置祀られており、急傾斜の往還道を登ってきた小荷駄馬がこの地で犠牲になり供養のため祀られたものとみられる。

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