『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

稲のはぜ架け

2015年11月30日 | 「廿日市地区」ぶらり


昨日、原地区を散策していたら稲のはぜ架けがまだされている田んぼがあった。当ブログ主は10月後半に稲こぎをしているがなぜこのように遅くまではぜ架けがしてあるのだろうか。
はぜは足場用の鋼管を組み合わして作ってあり少々の風でも倒れる心配はない頑丈なはぜである。

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佐伯郡役所時代の遺構が!

2015年11月29日 | 「廿日市地区」ぶらり


現在、廿日市市中央市民センターの改築工事が進められており完成予想図によるとかつての佐伯郡役所時代の外構石積みは無くなるようである。
この地にあった佐伯郡役所建物が昭和46年(1971)に解体され廿日市中央公民館が建築されたが郡役所時代の外構石積みは残されていたのであるが・・・

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JR廿日市駅改築工事の今

2015年11月28日 | 「廿日市地区」ぶらり


JR廿日市駅改築工事の進捗状況を時折り紹介しているがすでに駅舎は完成して供用されており自由通路の工事が行われているようで来年3月末頃に完成するようである。
木工の町「はつかいち」を標榜している市にふさわしい木材を多用した駅舎になっている。

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可愛川点描

2015年11月27日 | 「廿日市地区」ぶらり


可愛川向かいのJA平良支店前に向かってかつて「とんこ橋」が架橋されていたが、平成6年(1994)2月すぐ下流に平良大橋が架橋されたために廃橋となった。とんこ橋名は下平良村登牟古(とんこ)地名から付けられたようである。
とんこ橋跡の近くには河川氾濫の水位観測表示板が設置されており、洪水注意、避難判断、氾濫危険水位が表示されている。

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速谷神社注連縄づくり

2015年11月26日 | 「廿日市地区」ぶらり


今年もあと1カ月余りとなってきたが速谷神社の拝殿に架ける注連縄の準備作業に地域の有志が取り掛かった。菰巻き注連縄のため手間取るので早目の準備となった。
稲藁のアクタ取りは事前に準備しており、両側の紐巻きに紐を巻いたものを菰編みの台の上に置いて稲藁を3、4本補給しながら紐を交互にして編んだものが下画像で注連縄には3枚必要である。

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可愛川点描

2015年11月25日 | 「廿日市地区」ぶらり


下平良地区の可愛川沿いを散策していると石積みの護岸には雑木が茂っており、その中に鈴なりの赤い実をつけたピラカンサの木が何カ所かでみられた。
可愛川の水質は以前より綺麗になったのであろうか速谷橋の少し下流では大きな鯉が3匹泳いでいるのがみられたが大洪水の時には流されないかと心配である。

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厳島神社の常夜燈籠

2015年11月24日 | 「宮島地区」ぶらり


何度か紹介している厳島神社の左門客神社脇に建立されている金燈籠で、文久4年(1864)に白市の鋳物師伊原惣十郎政義が鋳造したものである。金燈籠の中台部分には龍のデザインが鋳出されている。
東広島市高屋町の白市の町並みには明治期の鋳物師伊原惣十郎家の屋敷が残されており、土台の飾り金物には色々なデザインの龍が鋳出されているので型板が多くあったようである。
白市鋳物師の伊原氏については「安芸国鋳物師の鋳造活動」に詳述している。

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俵づくり-その2

2015年11月23日 | その他


先日紹介した俵づくりの続きで①袋状の俵の中に新米を詰めて上に桟俵を入れて上部を折り曲げる。②端部を紐で編みあげていくが綺麗な文様にするには熟練を要する。③俵の胴部分両端ケ所に横縄を2周廻して男結びとする。④2本の縦縄を編みあげ端を通して横縄部分で1廻りして他端部編みあげ端を通し、直角方向も同じようにして端部中央で飾り結びとする。⑤俵の胴中央部分に横縄を2周廻して男結びとし完成である。
新米の俵は・・・

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JR廿日市駅の跨線橋が!

2015年11月22日 | 「廿日市地区」ぶらり


JR廿日市駅の改築工事の進捗状況を時折り紹介しているが古レールを使用した跨線橋が下り線側の一部を残して撤去が完了していた。
かつての跨線橋骨組みの鉄骨は使用済みの古レールが使用されており、刻印によると1934年(昭和9年)と1935年(昭和10年)に八幡製鉄で製造されたものであったのだが・・・

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天満神社境内社の胡子神社祭礼

2015年11月21日 | 「廿日市地区」ぶらり


昨日20日、天満神社の境内社胡子神社で氏子の人達が参詣して祭礼が催されていた。かつて胡子神社は中央市民センター西隣りの四辻に祀られていたが何度か移転の後に天満神社境内に祀られたようである。
中世、佐西郡の中心的物資の集散地であった佐西の浦では度々市立てが行われていたが、20日の市立てには市神さんである胡堂の御開帳があり、「廿日の市えびす」として信仰心のつよかった当時の人々は、遠方より参詣して集落は繁栄し、このようにして「廿日の市」が著名となって地名になったようである。  「廿日市地名の起源について」

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豊後路散策-鋳造鳥居

2015年11月20日 | 旅行


大分市王子北町にある王子神社の鳥居で江戸期の寛政8年(1796)に当地で鋳造活動をしていた駄ノ原鋳物師によって鋳造されたようで、看板表示によると笠木と島木は空襲により再建されたが柱と貫は当初のもののようである。
鋳造された鉄製の鳥居は珍しく天保13年(1842)に刊行された厳島図会によると宮島幸神社前の通りに鉄鳥居の柱のみが残っていることが掲載されている。これらの鋳造は廿日市鋳物師が関わっていたものとみられるが詳しいことは定かでない。

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豊後路散策-忍び返し

2015年11月19日 | 旅行


臼杵市街地の八町大路町並みを散策していると町屋の2階に忍び返しが取り付けられていたが復元されたもののようである。他の町屋でもみられたのでかつてこのような忍び返しがあったのかもしれない。

この町屋の2階窓に取り付けられている重厚な塗込め扉は特徴的で4段の繰型が設けてあり扉を閉めた時に凸凹が嵌り合うようになっている。昨日も触れたがこの建物の屋根下三角部分の壁にも金具が取り付けられているが何の金具なのだろうか。

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豊後路散策-うだつ・鏝絵

2015年11月18日 | 旅行


臼杵市街地の二王座町並みを散策しているとうだつと鏝絵のある建物があった。この建物は元醤油醸造の建物であったようであるが現在はふれあい情報センター・まちんなか交流館などに改修されたようである。
うだつは醸造工場当時からあったものかは定かでないが壁面にある大黒さんの鏝絵は作風から施設に改修された時のもののようである。町並みには多くの土蔵建物がみられるが壁面上部に金具が取り付けてあり何の目的で取り付けられているのであろうか。

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豊後路散策-町屋の鏝絵

2015年11月17日 | 旅行


臼杵市街地の八町大路町並みを散策していると町屋の2階戸袋部分に鏝絵といわれている漆喰細工が施されていた。このような鏝絵は当ブログ主は初めて見るものである。
左画像は大黒さんで大きな袋と打出の小槌を持ち米俵の上に乗り鼠が表されたもので、中画像は恵比須さんで大鯛を提げており、右画像も恵比須さんで大鯛をかついでいる姿が表されている。

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豊後路散策-佛狼機砲(国崩)

2015年11月16日 | 旅行


臼杵城跡に佛狼機砲(国崩)の複製品が設置されていた。説明表示によると天正4年(1576)ポルトガル人より大友宗麟に贈られたもので日本初の大砲でこれを国崩と命名し臼杵城の備砲としていたようである。現在は靖国神社に展示されておりこれを複製したもののようである。
文禄・慶長の役で各寺社の梵鐘が供出されたことは資料にみられ、廿日市の鋳物師が国崩(大砲)を鋳造していたのではないかと思われるのである。(「安芸国鋳物師の鋳造活動」に詳述)

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