安芸高田市吉田町の街並みにある高林防の本堂に吊り下げられている喚鐘で、刻銘によると天保15年(1844)5月に廿日市の山田氏が鋳造したことがわかる。しかし山田氏の誰が鋳造したのかは定かでない。現在判明している限り廿日市鋳物師山田氏最後の鋳造作品である。
厳島神社西廻廊の曲がり角から陸地側に架かる反り橋には10ケ所の擬宝珠がありこの内1ケ所に廿日市鋳物師が鋳造したものがある。刻銘によると安永5年(1776)3月に廿日市鋳物師の山田氏藤原貞利が鋳造している。解体修理前は廻廊側に取り付けられていたが、解体修理後はなぜか陸地側に取り付けられているのである。
福山市沼隈町にある西光寺の梵鐘は天文13年(1544)6月29日に地御前神社の梵鐘として大内義隆・佐伯景教が施主で大工直家が鋳造したものである。江戸期の地誌によると宝暦年中に地御前神社が焼失し、その後この梵鐘は四日市村(東広島市西条町)の真光寺にあったようである。看板表示によると幕末の梵鐘供出で流転していたものを明治中頃に当寺に求められたようである。
大工の直家は他の鋳造作品などから類推すると久枝直家とみられるのである。
佐伯区湯来町の湯の山温泉の後方に祀られている湯の山神社の本殿に吊り下げられている釣燈籠で、刻銘によると寛延3年(1750)5月に廿日市山田氏が鋳造している。
吉長公御代記によると藩主浅野吉長が水内湯明神鉄燈籠の寄進について廿日市鋳物師の平左衛門に褒美銀が下賜されているので、山田平左衛門貞幹が鋳造したものとみられるのである。
※ 平成18年(2006)6月22日に当ブログを開設してから本日で6666日目となりました。多くの方々の御来訪に支えられながらこれまで継続することができ、これからもできる限り更新していきますのでどうぞ宜敷くお願い致します。
同じ数字が並んでなんだか今日は良いことがありそうだ・・・
廿日市で中世から江戸期に鋳造活動をしていた鋳物師の現存作品を紹介しよう。
広島市東区山根町にある国前寺の鐘楼に架けられている梵鐘で、刻銘によると元禄7年(1694)に山田治右エ門が鋳造している。この梵鐘も喚鐘と同じ山田貞栄が鋳造している。
この梵鐘は鐘楼内に架けられており常時見ることが出来ない。画像は見学会が催された時のものである。
廿日市で中世から江戸期に鋳造活動をしていた鋳物師の現存作品を紹介しよう。
広島市東区山根町にある国前寺の庫裡に架けられている喚鐘で、刻銘によると元禄7年(1694)に山田治右衛門藤原貞栄が鋳造している。
この喚鐘は庫裡内に架けられており常時見ることが出来ない。画像は見学会が催された時のものである。
廿日市で中世から江戸期に鋳造活動をしていた鋳物師の現存作品を紹介しよう。
岩国市美和歴史民俗資料館に展示されている生見の鉄燈籠で、以前に訪れた時は美和町生見中村の覆屋の中に設置されておりその時に作図した。
当時は鉄燈籠の腐食が激しかったが後に修復されて歴史民俗資料館に展示されるようになった。腐食が進んで鉄燈籠の鋳出銘文は見えないが、江戸期の地誌に「天文十五丙午八月吉日 廿日市之住 大工綱家」とあり、天文15年 (1546)に廿日市鋳物師の久枝綱家が鋳造したことがわかる。(覆屋鉄燈籠画像―山口県文化財要録より)
廿日市で中世から江戸期に鋳造活動をしていた鋳物師の現存作品を紹介しよう。
広島市西区草津本町にある浄教寺の鐘楼門に架けられている梵鐘で、狭い鐘楼内で画像が撮りづらかった。刻銘によると享保元年(1716)に山田治右衛門貞能が鋳造しており、中帯下段には唐草文様が抽出されている。
廿日市で中世から江戸期に鋳造活動をしていた鋳物師の現存作品を紹介しよう。
三原市幸崎能地地区にある善行寺の本堂に架けられている喚鐘で、刻銘によると延享3年(1746)に山田次右衛門貞幹が鋳造している。草の間には唐草のくずし文様が鋳出されている。
廿日市で中世から江戸期に鋳造活動をしていた鋳物師の現存作品を紹介しよう。
広島市佐伯区湯来町の多田地区にある多田八幡神社の鰐口で、寛保2年(1742)8月に上多田四原総氏子中が寄進している。冶工は廿日市山田氏と鋳出されているので、当時の鋳物師山田次右衛門貞幹が鋳造したものとみられる。
廿日市で中世から江戸期に鋳造活動をしていた鋳物師の現存作品を紹介しよう。
広島市安佐北区深川2丁目にある善徳寺の鐘楼に架けられている梵鐘で、寛永11年(1634)7月に広島市中区の白神神社の鐘として山田次右衛門尉が鋳造したものである。どのような経緯で当寺に移ったのかは定かでない。梵鐘の中帯上部には仏型座像と中帯下部には蓮弁のくずし文が鋳出されている。
廿日市で中世から江戸期に鋳造活動をしていた鋳物師の現存作品を紹介しよう。
呉市吉浦中町にある誓光寺の鐘楼に吊り下げられている梵鐘は貞享5年(1688)に山田貞栄が鋳造している。銘文によると広島金屋町の長安寺に寄進されていたようであるが、どのような経緯で当寺に移されたのかは定かでない。この梵鐘は呉市の有形文化財に指定されている。
先日来、諏訪大社を参詣したことを紹介したが、諏訪大社上社前宮と下社秋宮で鋳造鳥居を撮影することが出来た。上社前宮の鳥居は鋳造銘文によると大正10年(1921)年に鋳造建立されたようであり、下社秋宮の鳥居は刻銘分によると文化12年(1815)に鋳造建立されたようである。
吉田町の町並みの中にある高林坊を久しぶりに参詣した。本堂に架けられている喚鐘の銘文には「天保15甲辰年5月上旬・・・」「冶工廿日市山田氏」などと刻されており、現在判明している廿日市鋳物師山田氏の鋳造作品の中で最後のものである。
極楽寺の梵鐘
蓮教寺の梵鐘
極楽寺本堂の宝珠
厳島多宝塔の九輪
厳島神社反橋擬宝珠
正覚院の梵鐘
昨日紹介した廿日市本陣を経営していた山田家は中世から代々鋳造活動をしていた家であり、市域では山田貞栄の極楽寺の梵鐘、蓮教寺の梵鐘、山田貞能の極楽寺本堂の宝珠、厳島多宝塔の九輪、山田貞利の厳島神社反橋擬宝珠、山田貞運の正覚院の梵鐘などの鋳造作品が残されている。