平成23年もいよいよ今日かぎりとなりました。昨日、交通安全で名高い速谷神社で境内にはすでに露店が数多く並んでおり、門松の組立ても終わって初詣準備万端のようである。
※当ブログは老化防止の気まぐれぶらり見たままのブログですが、今年も多くの方々にご来訪頂き大変有難うございました。来年もより一層頑張りたいと思いますので宜敷くご来訪をお願い申し上げます。
今年も今日と明日のみでどこも新年を迎える準備がされているようである。天満神社も準備万端のようであった。
当ブログ主は稲藁での注連縄作りに関わったので他神社の注連縄が気になる。天満神社境内入口にある注連柱には注連縄が張り渡されていたが、化繊(ビニール)製の注連縄で飾り房も化繊製であった・・・
表平路山の尾根筋を歩いていると昨日紹介した模範林標石、郡一のケ所脇には大きな掘割りが現れた。
かつて原地区橋本より長野を経て七曲りを登るとこの掘割り七曲り峠(潮見峠)で、ここから水内筋、山県郡から石州方面への往還道であった。
国土地理院の地図には遠く離れた所にある国道433号線の峠に現在の七曲り峠と表示してある。
表平路山の尾根筋を歩いていると郡一、二、三、四、五、六、七、八、一〇と刻された標石が所どころに建立されていた。
郡とあるので佐伯郡制当時のものとみられ、郡は林業の発達を計るために明治35年(1902)に砂谷村に模範林7町7段歩を設けたようであり、この標石が模範林の山境とみられる。
表平路山の尾根筋を歩いているとテレビ共同アンテナが立てられておりアンテナの残骸もみられた。このアンテナはここから約1km先の山間集落である峠地区のものとみられる。
現在は樹木が繁茂して見通しが悪いけれどこの尾根から瀬戸内が俯瞰できる位置であるのでここに設置されたもののようである。
表平路山の尾根筋を歩いていると以前にも紹介した山境の樹木があった。昔は山境の木の芯止めをして幹枝を繁らせて分かりやすいようにしていた。
この樹木の脇には現在の境表示であるプラスチック杭が立てられている。
原地区北方に聳える通称汐見山は広島市佐伯区に属し山頂には三等三角点(標高635.7m)とその脇に陸軍輸送港域第二区標石(第49号)が建立されている。
通称汐見山の点名は南峠とあり江戸期の地誌によるとこの付近の山は峠表平、表平路山と表示されているが現在の正式な山名は不明である。
上平良地区にある河野原大歳神社の注連縄2本を作って拝殿に架けたのであるが、手前のものは見栄えが少し悪かった。
注連縄作りは2年生であり一人で藁を締め上げるのでうまく出来なかったが、昨年のものよりは少し上達したのではないかと自画自賛しているところである。
昨日は冬至だったので「はつかいちブラリ湯」では柚子湯にし、入浴したらガサガサ肌がすべすべ肌に・・・
今年は柚子の生り年であろうか柚子の実が鈴なりとなっているので浴槽にたっぷり入れて柚子湯三昧・・・あぁー極楽!極楽!
今年もゆず湯モデルを依頼したが即却下。シェープアップ後の来年を期待して?ご覧の画像のみ。
国道433号線の改良工事について時々紹介しているが、極楽寺方面への分岐から進んで行くとまさに酷道で時々猿の群れが横断することがある。
国道は傾斜地に設けられているので土石流や落石防止のために巨大な山腹砂防ネットが設けられている。この付近から宮島や瀬戸内が遠望でき廿日市地域のようであるが広島市佐伯区に属している。
廿日市の銘酒家納喜を醸造していた家納喜酒造は平成12年に廃業された。先日かつての磁器製酒樽を某家で拝見させて頂いた。
上画像と中・下画像の2タイプがあって中・下画像のものは大小の2種類である。何時の時代のものかは不明であるが上画像のものは丸亀醸とあるので丸亀商店時代に使用された家納喜の磁器製酒樽とみられる。
上平良大原地区にある都地蔵で江戸期の宝暦4年(1754)に地域の人達によって建立されたようである。
田舎にあるのになぜか都・・・江戸期の地誌にはミヤコ垣内という地名がみられ、明治期には都垣内という地名と都姓の家があったようである。