平良小学校前の陽光台第一公園から石段を登ると小さな可愛ケ丘公園があり、管理がされていないようで草ぼうぼうの中に三角点があった。
点名は宗高尾で標高54.5mの四等三角点である。かつて宗高尾城跡に三角点があったが削平されたためにここに設置されたようである。
洞雲寺の山門前に戦時中弾丸鉄道が計画されて用地買収もされ、田畑には鉄道用地の範囲を示す枕木の杭が残されていたが、廿日市駅北土地区画整理事業で取り除かれた。
田んぼの中のものと農道脇のものは無くなったが洞雲寺便所脇の擁壁内に残されていることがわかった。杭の脇に擁壁を造ったので不自然な形で残されている。
昨日は絶好の運動会日和で平良小学校の運動会が開催され将来を担う平良っ子たちが元気良く競技をしていた。日陰が少なく炎天下では応援するだけでもいささかくたびれた。
久しぶりに平良小学校々歌を歌った。
♪ 平和を心のまもりとし たがいに仲良くむつまじく 学びの道にいそしみて 文化の華につちかわん ♪
上平良地区では現在田植えがあちらこちらで行なわれている。田んぼ水の吐口で昔ながらの藁を使ったものがみられた。
吐口は「ムナクト」「ミナクト」などと言われており、田んぼの水位の調節や吐口から田土が流れ出ないよう藁束を折り曲げたものを畦土に塗り込んでいた。
時折紹介している国道433号線の改良道路で、原市民センター前で全く使用されていなかった道路が掘り返されてこのような陸橋が出来上がっている。
まだ工事が完了しておらず通行はできないようであり今年度の工事で完成するのであろうか。
昨日紹介した速谷橋のすぐ下手右岸にある薬師井手の取水口の反対側にある藤井井手で、途中から柳庵川と合流して頓子付近の田んぼの農業用水としている。
旧家である藤井家付近を流れているために藤井井手と呼ばれているものとみられる。この付近は宅地化されて耕作されている田んぼはわずかとなっている。
可愛川に架かる速谷橋のすぐ下手右岸にある薬師井手の取水口でここから道狭(山陽本線線路まで)までの田んぼの農業用水を引いている。
途中流れ薬師のそばを流れているために薬師井手と呼ばれているものとみられる。
毎年この時期に紹介しているが上平良地区にある里山では現在ササユリが満開で甘い香りを周辺に漂わせている。
地面に光が当る状態にするために毎年下草の刈り込みが行われており、このためにササユリが繁殖して群生地となって最近は訪れる人が多くみられる。
広電宮島線の平良地区と串戸地区の境にある藤掛山を貫いている串戸トンネルで長さは106.62mのようである。
大正9年(1920)に着工して大正11年(1922)に竣工している。両側壁はコンクリート造りで上部壁と天井は煉瓦積のようであり途中に避難用の人孔が設けられているようである。
広電宮島線の架線を支えている支柱はコンクリートポールが多く見られるが一部にはレトロな鉄骨造のものもみられる。
不揃いの鉄骨を組み合わせてあり塗装など維持管理には大変だろうが味気ないコンクリートポールにしてほしくないものだ・・・
久しぶりに広電廿日市市役所前駅付近を散策していると駅表示の前にM33と記号表示してあり、英字・ハングル・中国語表示もしてあった。昨日まで紹介していたソウルの地下鉄は路線番号と駅番号(233=2号線の33番駅)で併設表示してあるのでハングルが読めなくても容易に乗りこなすことが出来た。
宮島線の系統番号は2号線なので路線記号のMでなく路線番号と駅番号を合わせての233のほうが分かりやすいのではなかろうか。