原地区にある土蔵ケラバの蔵飾りで、正月の祝福芸能である萬歳を表し太夫が扇子を持ち才蔵が小鼓を持った像が漆喰鏝細工で施されている。また、小屋根と鬼瓦を模した部分には家紋の蔦紋が表してある。これは珍しい! と思った人はポチッとね!
昨日掲載したゴルフ場専用道路の反対側の県道を進むと大竹市の飛地である広原集落境の両側に珍しい祈祷札が立ててあった。昔は医療薬や農薬がないので疫病や病虫害が集落内に入ってこないことを祈念してこのような祈祷札を立てたものだろう。これが現在も伝承されているのだ・・・珍しい! と思う人はポチッとね!
県道460号栗谷河津原線を旧佐伯町から栗谷方面に向かっているとゴルフ場専用道路がある。右側の道は県道で大竹市の飛地である広原集落の中を通っているが離合も出来ない狭い道である。ゴルフ場専用道路は2車線位の幅員でバイパス的に使用されているが、車幅制限がありこのゲートを通れる車のみ通行可能である。ポチッとね!
西広島バイパスの西出入口付近の平良宮内地区では高架橋の橋脚はすでに完成しており、高架橋もすぐ出来るものと思っていたがなかなか出来そうにない。上平良、速谷、宮内交差点の朝夕の交通混雑は当分解消されそうにないようだ・・・ポチッとね!
瀬戸滝は上滝が約20m、下滝が約30m位の高い滝であり、滝上から滝下を見ると上滝の滝壷が土砂で埋まっているのがみえ、さらに下には遊歩道のベンチが見られる。滝上から見たのでは恐ろしいばかりで、断崖滝の豪快さや美しさは見られない・・・滝は下から見上げるものだ・・・そうだ!と思う人はポチッとね!
野貝原山登山道を登っていたら松茸ならぬ「くそなば」の一致団結したものがあった。腐りかけた堅木に生えており根元は1カ所みたいでそれから枝分かれをしているようである。もしかしたら食べられるのではと持ち帰ったが・・・食べる勇気がなかった・・・正式な名前をご存知の方は教えて下さい。ポチッとね!
野貝原山の東側にある604m峰のいただき近くにある名号岩(11月19日掲載)からの展望で、眼下には原地区が一望でき遠くには広島から五日市の市街地が遠望できる。手を広げて飛んでみたい人はポチッとね!
大願寺境内の片隅にある公衆便所の入口脇には「みたらい処」と刻された標柱が建てられている。御手洗川の脇にも位置しており「御手洗所」を「みたらい処」と読んだなんと素敵なネーミングだ・・・ポチッとね!
厳島神社裏手の御手洗川沿いを歩いていたら「滝町下水道」と刻された標石が下水管の上面にはめられている。「昭和9年12月」と刻されているが下水道が整備された年月が表示されているのだろうか?当時の下水道名が表示されている標石は珍しいものではなかろうか・・・ポチッとね!
宮島と対岸を一体化させて景観対策を研究する考えが「特別史跡及び特別名勝厳島保存管理計画」に盛り込まれ、三十一年ぶりの改定で広島県教委が文化庁と協議、承認を得た。と何時かの新聞に掲載されていたが・・・長年かかって出来たこの景観を今後どのようにしていくのだろうか?ポチッとね!
吉和地区で草葺きの民家は数棟しか残っておらず、頓原集落にある草葺き民家で去年くらいに一部屋根の葺き替えをされている。農山村には草葺き屋根の民家がよく似合うのだが・・・・しかし、維持管理は大変だ。ポチッとね!
JA広島総合病院前にある隣接したライバル洋服店同士の大看板がある。「最大級の売り場」とすれば片や「業界№1」と闘志むき出し!隣の看板が小さく見えまーす!!! 昔このようなコマーシャルがあったが・・・思い出した人は・・・???老若男女ポチッとね!
旧原病院の脇を通って野貝原山に登る途中、604m峰いただき近くにある巨岩に「南無阿弥陀仏」とある。昭和31年(1956)に地元の信仰心の厚い人によって刻されたもののようである。ポチッとね!
野貝原山にはかつて「のうが高原ホテル」のあった眺望のよい山で、標高733mの山頂付近にはいろんな種類の大小10数ヶ所のアンテナが林立している。この付近を歩いていると電波がビビッと体を突き抜けるような気がする・・・ポチッとね!
一昨日北海道地方で津波警報や津波注意報が出ていたが、津波や台風などのとき高潮の被害を防ぐために塩屋漁港の防潮護岸出入口には防潮扉が設置してある。いつも開け放しにしておける状態が続けばよいが・・・ポチッとね!
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