『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

厳島神社左右楽房の屋根

2024年12月11日 | 厳島神社関連









厳島神社平舞台前にある左右楽房の屋根は上画像のように直線的になっている。ところが江戸期の芸州厳島名所図会の絵図には中画像のように神社社殿と同じように曲線的な屋根となっており、明治期の絵葉書でも曲線的な屋根となっている。(下画像)
明治後期の台風被害により再建の際に直線的な屋根に改変されたようである。その後何度か台風被害により再建されたが何故か江戸期の姿に戻されていないのである。
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各地の厳島神社㊳-樋口の厳島神社

2024年12月01日 | 厳島神社関連






島根県吉賀町樋口地区に祀られている厳島神社で当初は滝壺というところに祀られていたようである。明治期に現在地に造営され樋口地区にあった速田明神などの小社7社が合祀されたようである。
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各地の厳島神社㊲-折居の厳島神社

2024年11月27日 | 厳島神社関連






浜田市折居町の国道9号線から県道303号線(一の瀬折居線)に向かって行くと道路脇に祀られている厳島神社で、弁天島と称されていたようであるが由緒などについては定かでない。
ここの本殿も出雲大社の影響を受けているものとみられ本殿は大社造りに似た造りとなっている。
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各地の厳島神社㊱-青原厳島神社

2024年11月26日 | 厳島神社関連









浜田市金城町七条に祀られている青原厳島神社で石見国神社記によると仁安3年(1168)9月17日安芸厳島より勧請したようである。
明治43年(1910)に火災で全焼のため現在の社殿は大正6年(1917)に再建されたようで、本殿は出雲大社本殿と同じような大社造りで造られている。
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厳島神社絵図の絵馬

2024年11月24日 | 厳島神社関連






以前に訪れた岩国市周東町祖生にある新宮神社の絵馬の中に厳島神社を描いた絵馬が掲額されている。明治18年(1885)に奉納されたものであるが、絵図には本地堂や鐘楼が描かれており廃仏毀釈以前の様子が描かれているのである。(厳島を描いた木版画参照)
当神社は江戸期の地誌によると安芸の厳島勧請で祭神は三女神とあり、厳島神社との関わりがあったようである。
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衣羽神社

2024年11月13日 | 厳島神社関連









広島市中区の江波山の東斜面に祀られている衣羽神社で、祭神は宗像三神(市杵島姫神・ 多紀理毘売神・多岐都比売神)のようである。当神社は安芸国神名帳にみられる佐東郡廿前・三位七前の衣羽明神とされているが、江戸期の地誌には明神社と記されている。
旧暦6月17日に行われる厳島神社の管弦祭に江波の漕ぎ伝馬と阿賀の舟が管弦船を曳いており、看板表示によると当神社では漕ぎ伝馬に曳行される御座船と暗夜の火炎が織りなす火祭神事が旧暦6月29日に斎行されるようである。
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各地の厳島神社㉞-尾浜の厳島神社

2024年11月12日 | 厳島神社関連












江津市後地町尾浜地区の高台に祀られている厳島神社であるがどのような経緯でこの地に祀られたのかは定かでない。本殿脇には大岩があり古くは磐座信仰がされていたものではなかろうか。
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各地の厳島神社㉝-熊野神社境内社の厳島神社

2024年11月07日 | 厳島神社関連






山形県南陽市にある東北の伊勢・熊野大社といわれている熊野神社境内には30柱の祭神が祀られているようであり、そのうちの境内社に厳島神社がある。看板表示によると祭神は市比島姫命、水難除けの神と記されていた。遠く離れたこの地にどのような経緯で祀られているのかは定かでない。
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各地の厳島神社㉜-出羽三山神社境内の厳島神社

2024年11月05日 | 厳島神社関連









山形県鶴岡市羽黒町の羽黒山にある出羽三山神社への参道を登り切ると鳥居があり、すぐに出羽三山神社御開祖を祀った蜂子神社と並んで厳島神社(中画像左側)が祀られている。看板表示によると祭神は宗像三神(多紀理比売神・市寸島比売神・多岐津比売神)と津速魂神が祀られているようである。どのような経緯でこのような地の当境内に祀られたのかは定かでない。
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各地の厳島神社㉛-宇佐神社境内社の厳島神社

2024年09月08日 | 厳島神社関連






岩国市錦町宇佐にある宇佐神社本殿脇に祀られている境内社で厳島大明神夏焼社と表示してある。江戸期の地誌によると夏焼地区に中御前社がみられ、祭神は市杵島姫命、祭日が6月17日とある。明治期に中御前社と他二社とが合祀し夏焼社と改号し、いつの時代かに境内社として祀られ厳島大明神夏焼社と称されるようになったようである。
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各地の厳島神社㉚-殿居の厳島神社

2024年05月13日 | 厳島神社関連






下関市豊田町殿居に祀られている厳島神社で、江戸期の防長寺社由来によると芸州佐伯郡宮島勧請とあり、文安5年(1448)に願主佐伯盛安によって再造立されたようである。江戸期、長州藩一門家老である吉敷毛利家の5代当主毛利広包が社殿を再建している。
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各地の厳島神社㉙-東分の厳島神社

2024年04月29日 | 厳島神社関連

 

 

 

 

山口県美祢市大嶺町東分の国道435号線脇に祀られている厳島神社である。江戸期の防長寺社由来に当神社についての記述がみられないので由緒など定かでない。

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各地の厳島神社㉟-住吉神社境内社の厳島神社

2024年04月28日 | 厳島神社関連

 

 

 

下関市一の宮住吉にある長門国一ノ宮の住吉神社は「日本三大住吉」の1つに数えられているようであり、本殿は国宝に指定されている。鳥居を過ぎると神池があり中島に厳島神社が祀られている。江戸期の寺社由来には厳島社御池ニアリ、明治期の長府史料には厳島の社、本社の南池中の島に在りて市杵島姫命を祭るとあるのみであり由緒など定かでない。

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各地の厳島神社㉘-佐々井嚴島神社

2024年04月11日 | 厳島神社関連

 

 

 

 

安芸高田市八千代町佐々井に祀られている厳島神社で、看板表示によると正和2年(1312)にはすでに鎮座していたようである。昨日紹介したように毛利氏は厳島明神を崇敬しており毛利輝元は木材を寄進して社殿を造営させているようである。ずらりと並んだ石燈籠は新しい時代に寄進されたものであるが圧巻である。

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各地の厳島神社㉗-長屋嚴島神社

2024年04月10日 | 厳島神社関連

 

 

 

安芸高田市吉田町長屋に祀られている嚴島神社で、元就卿御教訓状に「・・・厳島を皆々御信仰肝要本望たるへく・・・」とあり、毛利氏は厳島明神を崇敬していたようで看板表示によると天文10年(1541)9月に毛利元就が勧請した一社のようである。本殿内には江戸前期の面影を残した玉殿が安置されているようである。 

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