厳島神社平舞台前にある左右楽房の屋根は上画像のように直線的になっている。ところが江戸期の芸州厳島名所図会の絵図には中画像のように神社社殿と同じように曲線的な屋根となっており、明治期の絵葉書でも曲線的な屋根となっている。(下画像)
明治後期の台風被害により再建の際に直線的な屋根に改変されたようである。その後何度か台風被害により再建されたが何故か江戸期の姿に戻されていないのである。
山口県美祢市大嶺町東分の国道435号線脇に祀られている厳島神社である。江戸期の防長寺社由来に当神社についての記述がみられないので由緒など定かでない。
下関市一の宮住吉にある長門国一ノ宮の住吉神社は「日本三大住吉」の1つに数えられているようであり、本殿は国宝に指定されている。鳥居を過ぎると神池があり中島に厳島神社が祀られている。江戸期の寺社由来には厳島社御池ニアリ、明治期の長府史料には厳島の社、本社の南池中の島に在りて市杵島姫命を祭るとあるのみであり由緒など定かでない。
安芸高田市八千代町佐々井に祀られている厳島神社で、看板表示によると正和2年(1312)にはすでに鎮座していたようである。昨日紹介したように毛利氏は厳島明神を崇敬しており毛利輝元は木材を寄進して社殿を造営させているようである。ずらりと並んだ石燈籠は新しい時代に寄進されたものであるが圧巻である。
安芸高田市吉田町長屋に祀られている嚴島神社で、元就卿御教訓状に「・・・厳島を皆々御信仰肝要本望たるへく・・・」とあり、毛利氏は厳島明神を崇敬していたようで看板表示によると天文10年(1541)9月に毛利元就が勧請した一社のようである。本殿内には江戸前期の面影を残した玉殿が安置されているようである。