厳島の島廻りが行われる七胡子のいわれる七浦にある神社のうちで平成22年(2010)4月24日に入浜にある鷹巣浦神社と腰少浦にある腰少浦神社を参詣したときの画像である。鷹巣浦神社は元鷹巣浦にあったが明治期砲台建設のために入浜に遷座されたようである。(絵図画像-厳島名所しるべより)
厳島の島廻りが行われる七胡子のいわれる七浦にある神社のうちで平成22年(2010)4月24日に入浜にある鷹巣浦神社と腰少浦にある腰少浦神社を参詣したときの画像である。鷹巣浦神社は元鷹巣浦にあったが明治期砲台建設のために入浜に遷座されたようである。(絵図画像-厳島名所しるべより)
「芸州厳島御島廻図記」
「厳島御嶋廻七浦書図」
厳島の俚謡で七里七浦七胡子と歌われ、七胡子といわれる杉ノ浦神社、鷹巣浦神社、腰少浦神社、青海苔浦神社、山白浜神社、須屋浦神社、御床浦神社など順次七浦の神社を拝す島廻りが古くから行われているようである。島廻りの七浦から昨日紹介した宮島連絡船(宮島フェリー)の「ななうら丸」が名付けられたようである。
先日、厳島神社の大鳥居付近で宮島フェリーななうら丸(上画像)が浅瀬に座礁したことが報道されていた。現在の3代目ななうら丸は平成28年(2016)11月7日に就航したようである。中画像は2代目ななうら丸で昭和62年(1987)2月8日に就航し平成28年(2016)11月7日3代目ななうら丸に交替している。下画像は2代目ななうら丸が就航した時の記念乗車券である。
下画像は廿日市1丁目7番から8番の間を通っている市道幸高洲線で、かつて上画像(ふるさとの写真集より)のように潮音寺川が流れていたが現在は暗渠となって川の痕跡は見当たらない。上画像の左端にみられる橋がかつての幸橋とみられ、現在は橋の遺構が道路端にモニュメントとして設置されている。
天満神社の旧国道沿い玉垣のうちで「宮内武田狂気之薬所」と刻された親柱がみられる。江戸後期宮内村の武田文敬は西洋医学を学び、「武田逢原堂文敬製」の「鎮火奇応散陰陽狂気之妙薬」を特効薬として広く販売した。明治期になって子の武田敏恵は武田精神病医院を開院されていたようである。(中・下画像-広島県の医学歴史散歩より)
天神山を広電廿日市駅前ロータリー付近から見た画像で、上画像(ふるさとの写真集より)は大正中頃の写真のようで蓮教寺後方にみられる町屋は草屋根葺きである。かつて山斜面には樹木が鬱蒼としていたが現在は無味乾燥なコンクリート擁壁とされている。
廿日市19代目桜島大根(上画像)と廿日市9代目切葉松本地大根(下画像)の花がぼちぼち咲き始めている。花が実ってその種を毎年採って次年にどのように育っていくのかをみるだけ・・・ 手間暇かけての遊びの菜園である。
昨日、営業運転中の蒸気機関車で最も古い「SL人吉」の営業運転が終了したと報道されていた。画像の銘文にみられるように大正11年(1922)に製造された「8620形58654号機」の蒸気機関車のようである。
平成28年(2016)7月に電動自転車での人吉市内の観光を終えて人吉駅に着いてみるとSL人吉がホームに停車していた。もう少し後の列車を予定していたが乗車が可能であったので人吉駅から熊本駅まで乗ったことが懐かしく思い出されるのである。
(2010年7月撮影)
(2010年7月撮影)
大町市から長野市に向かうバス車中からみられた民家を撮影したがうまく写すことができなかった。上画像は旧中村家住宅で主屋は元禄11年(1698)に建立されたようであり、主屋と土蔵の二棟は国の重要文化財に指定されているようである。2010年7月に長野市に居た娘と立山観光の途中にこの民家を撮影していたのである。
この地域の民家を4棟しか撮影出来なかったが、これらの民家は屋根の中央にいろりの煙り出しの越屋根が設けられているのが特徴的である。
現在行われている開発地の進捗状況で西広島バイパスを走りながら助手席から撮影してもらったものである。この付近は弘法川を遡った谷でありかつては農業用の八ケ迫溜池があった。(下画像)
現在行われている開発地の進捗状況を宮島サービスエリア展望所からみた遠望画像である。上から3画像目付近では向こうの山から大きな数台のダンプカーで土砂を運びこんでいるのがみられた。
今回のミステリーツアーで最後の観光地が国宝の松本城であった。ウイークデーであったが天守閣内は見物客の数珠つなぎであり閣内の展示物などはゆっくりと見ることは出来ないような状態であった。以前に当地の民家や寺院の懸魚を紹介したが閣内に当城の古い懸魚が展示してあった。
今回のミステリーツアーで最も訪れてみたいところであった。伊勢神宮の正殿と同じような形式のものであり、寛永13年(1636)に造営された伝統的な神明造りの様式が残されているようで、本殿・中門・釣屋は国宝に指定されている。神門には積雪があったが側面を廻っていくと国宝の本殿・中門・釣屋を見ることができたのである。
一の鳥居
二の鳥居
三の鳥居
ミステリーツアーで最も訪れてみたいところであった大町市の仁科神明宮に参詣した。参道入口に一の鳥居、参道途中に二の鳥居、社殿前に三の鳥居があったが通常見かける鳥居の形状とは少し異なった鳥居であった。伊勢神社でみられる鳥居と同じようであり伊勢形神明鳥居という形式のようである。
今回訪れた地には当地域では見られないような火の見櫓がみられた。上画像は旧中山道の奈良井宿町並みの中央付近の消防団詰所脇にみられた火の見櫓であり、下画像は善光寺仲見世通りの仁王門脇にある消防団詰所脇にみられた火の見櫓で何れも高さの高いものであった。バス移動中にもみられたが撮影することが出来なかった。