『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

大阪商船・宮島遊覧航路

2025年01月31日 | 「宮島地区」ぶらり



昭和5年(1930)頃に大阪商船は昨日紹介した宮島遊覧船のほかに宮島遊覧のための航路を設けていた。
山陽航路は音戸丸外4隻で大坂を出港して神戸、高松、多度津、鞆、尾道、宇品に寄港し厳島商船桟橋に着船して、以降岩国、柳井津、門司に航行していたようで、宇品別府線は宇品を出港し厳島商船桟橋に着船して、以降柳井津、大分、別府と航行していたようである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宮島遊覧船

2025年01月30日 | 「宮島地区」ぶらり






昭和5年(1930)頃に大阪商船の快速船屋島丸で毎土曜日午後7時に大阪を出港して神戸港に寄港し、翌朝10時に厳島商船桟橋(現在広島経済大学成風館がある所)に着船する遊覧船があったようである。船客運賃は三等片道3円50銭、往復6円だったようである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

多度津~宮島線航路

2025年01月29日 | 「宮島地区」ぶらり







上画像は昭和9年(1934)5月尾道市の瀬戸内商船の時刻表で当時多度津~宮島線航路があったようである。。
多度津港を午後5時15分に出港して鞆、岩船、尾道、糸崎、忠海、長浜、竹原、三津、三津口、川尻、阿賀、仁方、音戸、鍋、吉浦、宇品などを寄港して翌朝8時50分に厳島商船桟橋(現在広島経済大学成風館がある所)に着船していたようである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

多宝塔~駒ケ林旧登山道

2025年01月20日 | 「宮島地区」ぶらり







夕日観音


夕日観音


朝日観音


朝日観音

江戸期より多宝塔から駒ケ林にむかう登山道があったが、観光客が入り込むと危険のために現在は通行止めとなっている。登山道の途中にある巨岩の下には夕日観音と朝日観音が祀られているが由緒などは不明である。画像は2008年10月に訪れた時のもので夕日観音は鉄製階段を上ったところにあり、朝日観音と言われるところには堂が壊れ石仏が残されたものと別に堂があり石仏が安置されているものがみられた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

厳島島廻り

2024年04月03日 | 「宮島地区」ぶらり

 

 

 

 

厳島の島廻りの七胡子で当ブログ主が陸路から参詣した杉ノ浦神社、鷹巣浦神社、腰少浦神社、、須屋浦神社、御床浦神社を紹介した。大元神社の拝殿には島廻りをした記念に奉納さた絵馬が数多く掲額されている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

島廻り-七胡子③

2024年04月02日 | 「宮島地区」ぶらり

 

 

 

 

 

厳島の島廻りが行われる七胡子のいわれる七浦にある神社のうちで平成28年(2016)3月20日に大野町の対岸に祀られている第六拝所である須屋浦の須屋浦神社、第七拝所の御床浦の御床神社に参詣したときの画像である。須屋浦までには開拓地跡などがあり途中大野瀬戸が見え隠れする長い道のりであった。(絵図画像-厳島名所しるべより)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

島廻り-七胡子②

2024年04月01日 | 「宮島地区」ぶらり

 

 

 

厳島の島廻りが行われる七胡子のいわれる七浦にある神社のうちで平成22年(2010)4月24日に第一の拝所である杉の浦に祀られている杉の浦神社を参詣したときの画像である。(絵図画像-厳島名所しるべより)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

島廻り-七胡子

2024年03月31日 | 「宮島地区」ぶらり

 

 

 

 

厳島の島廻りが行われる七胡子のいわれる七浦にある神社のうちで平成22年(2010)4月24日に入浜にある鷹巣浦神社と腰少浦にある腰少浦神社を参詣したときの画像である。鷹巣浦神社は元鷹巣浦にあったが明治期砲台建設のために入浜に遷座されたようである。(絵図画像-厳島名所しるべより)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

島廻り-七浦

2024年03月30日 | 「宮島地区」ぶらり

「芸州厳島御島廻図記」

「厳島御嶋廻七浦書図」

厳島の俚謡で七里七浦七胡子と歌われ、七胡子といわれる杉ノ浦神社、鷹巣浦神社、腰少浦神社、青海苔浦神社、山白浜神社、須屋浦神社、御床浦神社など順次七浦の神社を拝す島廻りが古くから行われているようである。島廻りの七浦から昨日紹介した宮島連絡船(宮島フェリー)の「ななうら丸」が名付けられたようである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宮島連絡船-ななうら丸

2024年03月29日 | 「宮島地区」ぶらり

 

 

 

先日、厳島神社の大鳥居付近で宮島フェリーななうら丸(上画像)が浅瀬に座礁したことが報道されていた。現在3代目ななうら丸は平成28年(2016)11月7日に就航したようである。中画像は2代目ななうら丸で昭和62年(1987)2月8日に就航し平成28年(2016)11月7日3代目ななうら丸に交替している。下画像は2代目ななうら丸が就航した時の記念乗車券である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

島廻り-七胡子②

2024年03月01日 | 「宮島地区」ぶらり

 

 

 

厳島の島廻りが行われる七胡子のいわれる七浦にある神社のうちで平成22年(2010)4月24日に第一の拝所である杉の浦に祀られている杉の浦神社を参詣したときの画像である。(絵図画像-厳島名所しるべより)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

厳島合戦関連 ③

2023年09月17日 | 「宮島地区」ぶらり

厳島合戦の絵図で当ブログ主が確認したものは画像の8点であるが何れも江戸期に描かれたもののようである。絵図に描かれた陶晴賢が敗死した場所についてみていくと山口県立文書館蔵1の絵図で青海苔浦付近に「青能り 陶自害之所」と記されている。山口県立文書館蔵2、広島大学文学部、国立公文書館、種箆沙論の絵図には大江浦付近に「此小川之奥ニテ陶尾張守自害・・・」などと記されているのである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

厳島合戦関連 ②

2023年09月16日 | 「宮島地区」ぶらり

 

 

厳島合戦で陶晴賢が敗死した場所については定かでない。瀬川英男文学博士は高安ガ原の実地調査と房顕覚書、陰徳太平記等の諸書の説を広義に解釈して自刃の場所を高安ガ原とされここに陶晴賢敗死之所碑が建立された。碑裏面には「大正十年八月十日、文学博士瀬川英男、厳島宮司高山昇、踏査」と刻されている。厳島合戦絵図は山口県立文書館蔵で青海苔浦付近に「青能り 陶自害之所」と記されている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

厳島合戦関連 ①

2023年09月15日 | 「宮島地区」ぶらり

 

 

昨日、厳島合戦で敗死した陶晴賢墓碑を紹介したが、厳島合戦で毛利元就勢が包ケ浦に上陸したとの説で毛利元就上陸之跡碑が包ケ浦自然公園入口に建立されている。碑裏面には「昭和十六年三月広島陸軍兵器補給廠長岡田護誌」と刻されている。厳島合戦絵図は山口県文書館蔵で絵図には「鼓ヶ浦 元就公隆元公元春公隆景公廿日市ヨリ此所江着船也」と書き入れされている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

絵葉書で宮島ぶらり⑧-大元旅館

2023年09月06日 | 「宮島地区」ぶらり

 

 

 

 

昨日紹介した宮島ホテルの手前に2階建て茅葺屋根の大元旅館がみられる。大元旅館は石風呂を経営していたようであるが定かなことは不明である。江戸期から石風呂があったようであり明治末期には草葺きの一宇の石風呂があったようである。大元旅館もBCOF(英連邦占領軍)に接収されていたようであり以前に紹介しているので参照してください。    2014.7.20  2019.2.06

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする