『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

荒胡子神社

2025年03月07日 | 「宮島地区」ぶらり

荒胡子神社


恵美須宮

厳島神社の五重塔下に祀られている荒胡子神社で、この神社を中世初め頃に分祀して愛媛県内子町に祀られ、当地での御開帳日の廿日の市が地名として定着していったのである。
内子町の恵美須宮について江戸期の『大洲旧記』に「治承養和の頃か、厳島を平家取立、夫を学て河野氏五十崎へ宮床を取立、厳島の荒えびすを勧請して廿日市へ鎮座す。厳島は開帳なし。廿日市は、毎月市日に一日宛開帳有。依遠方より参詣多し。弥以廿日市繁昌す」とある。
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厳島神社反り橋の擬宝珠が!

2025年02月25日 | 「宮島地区」ぶらり






以前にも紹介したが、厳島神社西廻廊の曲がり角から陸地側に架かる反り橋に10ケ所の擬宝珠がありこの内1ケ所廿日市鋳物師が鋳造したものがみられる。刻銘によると安永5年(1776)3月に廿日市鋳物師の山田氏藤原貞利が鋳造している。解体修理前は廻廊側に取り付けられていたが、重要文化財なのに解体修理後はなぜか陸地側に取り付けられているのである。
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松くい虫防除

2025年02月24日 | 「宮島地区」ぶらり






経納山頂に登ってみると松くい虫で伐採された大きな松の木の切り株がみられる。被害を免れた大きな松の木には松くい虫防除の薬剤が注入されたものとみられ、薬剤名や注入年月日が記された表示が取り付けられていた。
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レトロスクーターが!

2025年02月23日 | 「宮島地区」ぶらり






相当以前に紹介したが、ある施設内にまだ懐かしいレトロなスクーターが置かれていた。銘板から昭和34年(1959)に発売された三菱・シンバーピジョンC110のようである。可動するのかは不明であるが、施設には似付かないようなものがなぜ置かれているのだろうか。
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みやじま杜の宿の地今昔

2025年02月22日 | 「宮島地区」ぶらり









上画像は大元公園にあるみやじま杜の宿であるが樹木が茂って見えにくい。大正期この地には広島産業奨励館(原爆ドーム)設計のヤンレッツルが設計した宮島ホテルが建築されていた。終戦後に宮島ホテルはイギリス連邦占領軍(BCOF)に接収されていた。(下画像-呉の歩みⅡより)
昭和28年(1953)に火災に遭い宮島ホテル建築は焼失したが、当ブログ主が小学校遠足で訪れた時に焼け跡があったのを記憶しているのである。
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大元神社の鳥居今昔

2025年02月21日 | 「宮島地区」ぶらり









上画像は大元神社の鳥居の現在で笠木、柱が丸太で貫が長方形の神明鳥居である。
江戸期の厳島図会の絵図をみると明神鳥居が描かれており(中画像)、下画像昭和期の絵葉書をみると鮮明ではないが上部の笠木と島木がみられ、時代とともに鳥居の形式が変わったのであろうか。
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大元公園遠望今昔

2025年02月20日 | 「宮島地区」ぶらり






上画像は昭和初期であろうか経納山から大元公園方面をみた絵葉書で、手前左手には茅葺の大元旅館がみられ右側の現在宮島水族館のあるところは海であった。遠くには宮島ホテルがみられる。現在経納山の樹木が茂っており瓦葺となっている旧大元旅館と宮島水族館の一部しか見ることが出来ない。
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有の浦海岸通りの今昔

2025年02月19日 | 「宮島地区」ぶらり






上画像は1952年発行の岩波写真文庫71からの画像で、厳島神社境内地堺付近から有の浦海岸通りを見た画像である。岩波写真文庫には「海岸通りをふさぐ柵、進駐軍自動車路というのが名目だが、・・・」と記されている。
火の見櫓がみられこの場所は昭和49年の地図には消防庫と記されている。
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有の浦長雁木の今昔

2025年02月18日 | 「宮島地区」ぶらり






上画像は1952年発行の岩波写真文庫71からの画像で、連絡船から降りたすぐの参道脇の護岸に長い雁木が設けられていた。
小中学生の頃何度も遠足で訪れているのでこの雁木はよく覚えており、松大船がこの雁木に歩み板を架けて乗船客が乗り降りしていたのも記憶している。
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宮島街並みの今昔 ②

2025年02月17日 | 「宮島地区」ぶらり







上画像の絵葉書は昭和初期ごろだろうか五重塔がある塔の丘からみた有ノ浦の街並みである。向こう側の山が昨日触れた要害山で左側には以前にも触れた商船桟橋がみられる。現在桟橋はなく突堤上に広島経済大学成風館の建物がみられる。
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宮島街並みの今昔

2025年02月16日 | 「宮島地区」ぶらり







上画像の絵葉書は昭和初期ごろだろうか要害山頂からみた有ノ浦の街並みであり、下画像は樹木が茂っているので上画像と同じような場所からは撮影出来なかった。
表参道商店街通りに面する建築物は大きく変わっており、伝統的な建築物は見られなくなっている。塔の丘の五重塔の仮囲いが遠望できる。
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厳島神社参詣

2025年02月15日 | 「宮島地区」ぶらり












久しぶりに宮島を訪れ厳島神社に初参りをした。何と訪日した外国人旅行客の多いこと。
現在厳島神社では東回廊の屋根葺替え工事などや五重塔修復工事、多宝塔の屋根葺替え工事などが行われており、しばらくの間チョット絵にならないのである。
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厳島宮路之枝折

2025年02月12日 | 「宮島地区」ぶらり






明治11年(1878)に初出版され再版された宮島案内の和綴じの活字冊子で、当ブログが知る限り活字冊子の初期案内書のようである。
記事の中に年中定祭日行事式で官祭と私祭があったようで、昨日の2月11日建国記念の日は当時官祭であり遥拝所で紀元節祭礼が催されたようである。
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宮島の紹介パンフ

2025年02月10日 | 「宮島地区」ぶらり






昭和10年(1935)版の宮島観光協会の宮島の紹介パンフレットで、絵図の下部には当時の厳島代表の旅館と商店が掲載されている。栄枯盛衰、今ではみられない旅館名や商店名がみられる。電話番号には一桁、二桁、三桁の番号がみられる。
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大阪商船・宮島遊覧航路

2025年01月31日 | 「宮島地区」ぶらり



昭和5年(1930)頃に大阪商船は昨日紹介した宮島遊覧船のほかに宮島遊覧のための航路を設けていた。
山陽航路は音戸丸外4隻で大坂を出港して神戸、高松、多度津、鞆、尾道、宇品に寄港し厳島商船桟橋に着船して、以降岩国、柳井津、門司に航行していたようで、宇品別府線は宇品を出港し厳島商船桟橋に着船して、以降柳井津、大分、別府と航行していたようである。
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