hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

築地駅~勝どき駅

2015-09-21 05:00:13 | 日記

『metroに乗って』その28。今回は前回の続きで築地駅から勝どき駅まで。築地駅から聖ロカ通りを右折すると日刊スポーツの本社がある。その先は築地川公園、築地川の後を公園にしたもので暁橋の欄干が名残を留める。その先が聖路加国際大、聖路加国際病院と続くがこの辺りには碑が多く残されている。

まずは浅野内匠頭屋敷跡。常陸笠間藩主浅野長直は赤穂に領地替えとなり、この地に浅野家の上屋敷があったが、忠臣蔵の騒動で浅野家は断絶となった。

同じ敷地に芥川龍之介生誕の地がある。芥川龍之介は1892年に新原敏三の長男としてこの地に生まれたが、7ヶ月で母の長兄である芥川家に引き取られ、後に芥川家の養子になったので育ったのは芥川家があった両国である。


さらに女子学院発祥の地、その先には慶応義塾発祥の地がある。これは慶応義塾100年を記念して1958年に建てられたものだが、実際は聖路加国際病院の構内になる。また、前野良沢、杉田玄白らが解体新書を読んだのもこの場所である。

その向かい側には1874年にC.M.ウィリアムズが立教学校を開いた立教学院発祥の地もある。つまり、慶応と立教の発祥の地はすぐそばにある。


その先を右に曲がるとあかつき公園があるが、そこにはシーボルトの胸像がある。彼の鳴滝塾をはじめ、日本に蘭学を広めた功績は大きく、蘭学事始がおこり、外国人居留地もあったこの場所に胸像を造ったもの。



その先には電信創業の碑もある。これは明治2年に横浜裁判所と電信機役所(東京築地運上所内に設置)を結ぶ電信線の工事が始まり、その年の12月より業務を開始した記念碑である。また、勝どき橋ができるまであった月島の渡しの記念碑もある。


これだけ見て回り、靖国通りに出るとすぐ勝どき橋。もう、開くことのない跳ね橋を渡り、5分ほどいくと大江戸線の勝どき駅に出る。

築地明石町周辺は明治初年にはこれだけのことが起きた画期的な場所であることを歩いて初めて実感した。