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練馬区西大泉をよく車でよく通るが、以前から不思議に思っていた神社に思い切って車を止めてお参りしてみた。というのは交差点には『四面塔稲荷』とあるのに神社の入口には『堤稲荷神社』とあるからである。
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車を降りて神社の正面にある説明板を見ると『昔、ここには四面の題目塔があったため、四面塔稲荷と呼ばれていた。』『今の堤稲荷神社の名は江戸時代のこの辺りの地名堤村を取ったもの』とある。そのために、2つの呼び方をされているようだ。そして、江戸時代から信仰を集めていたようである。
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ちなみに同じような『四面題目塔』は池袋駅近くにもあり、これは江戸時代享保年間に四辻で追い剥ぎや辻斬りが多発したため、この供養として鬼子母神の日相上人に法華経の題目を正面に、側面は道標としたものを建てたものがあり、今も残されている。
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境内は広く、摂社には御嶽神社もある。ただ、残念ながら、狛犬(狐)と燈篭は新しく作られたもののようであった。
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ちょうど稲荷神社はちょうど交差点にあるのだが、境内には『清戸道』の案内板があった。
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それによると『江戸と武蔵国多摩郡清戸(現在の清瀬市)を結んでいた古道で江戸側は文京区にある江戸川橋、距離は20〜24kmあり、農産物の運輸経路であった。』今もって細い道であるが、大正時代の調べでは川越街道(国道254号)より交通量が多かったという記録が残されている。
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また、文京区目白台2丁目には清戸坂という名が残されている。ただし、この交差点から清瀬市までの経路ははっきりしていない。この細い道がそれほど由緒正しき道とは夢にも思わなかった。
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江戸が東京になり、農村が住宅地になっても、坂や神社、道など昔の名残をこうして見つけられるのが、気まぐれ散歩の醍醐味かもしれない。