かぶれの世界(新)

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介護録09冬(6)

2009-12-27 15:50:57 | 健康・病気

24日に帰京する前に私が不在時の対応について思いつく限りの手続きをした。昔相続して母が管理していた不動産等の課税等通知は全て私に届くよう市役所で手続きした。転送しない親展の郵便物もあるが、健康保険通知は転送されるらしく、転居届けを出せと助言された。

そこで、郵便局で聞いてネットで転送届けを出そうとした。が、本人確認の為のクレジットカードが受け付けられなかった。日本で最も普及しているカードのはずで、不審に思ってコールセンターに問い合わせた。システムの問題でそういう場合もある、修正見込み時期は分からないと言う。あきれたが時間の無駄と諦めて葉書で届けをした。が、地元の郵便局から問合せの留守電が入り、まだ解決したか分からない。一々怒るのも止めた。

母の痴呆がどう進むのかが現在私の最大の関心事だが、日によって気分に波があり私には良く分からなかった。リハビリの担当の方も母の日々の変化に気付いたようで、気分の良い時には私に話さない様な事も話しているようだ。だが、私が見舞った時は概して機嫌が悪い気がした。リハビリ中笑わせようと冗談をいうと、療養士は笑うのだが、母は馬鹿なことを言うと怒る。

必要な支払いが年を越さないよう母の貯金通帳をチェックした。「米代」と言う名目で毎年10-11月に定額の支払いがあるのに気が付いた。母に聞くと通帳の記帳を最新状態にしたら分かると言われ、農協に行き通帳に打ち出してもらうと今年は米代を払ってなかった。

支払先に電話すると事情を承知しているオジイサンも入院中でさっぱり埒が明かない。支払い先の口座も分からない。聞くと母はどこかにあると礼によって要領を得ない返事、戻ってよくよく探すと口座番号らしき数字が電話の横のメモ帳の中に見つけ、農協に出向いて聞くと確かにそのオジイサンの口座だと分かった。良く分からないけど、エイヤーで昨年と同じ額を払い母に報告した。

その日は母の頭はクリアで、もう何年も市役所が間に入ってそのオジイサンに水田耕作を依頼してきた。毎年オジイサンが作ったお米の一部を母が買取って来たが、今年から米は不要なので支払う必要がない、どうして支払ったのかと私を叱った。これでやっと全てが分かった。病院まで片道50km4回往復、農協に2回通ってやっとここまで来た。全てがこんな調子だ。だが母に聞かないと分からない事がまだある。

それでも、母はリハビリ病院の新しい環境に慣れ、杖をついてかなりの距離の歩行が出来るようになったようだ。何回かに一度の頻度だが、尿意を感じてトイレに行き小便することも出来るようになった。実はこれは退院後の生活に大事な訓練だと言うことが後から分かった。

病院に顔を出した最後の日に、担当の相談員に挨拶に行き3月中頃まで東京に戻ると伝えた。彼女によればその頃迄にリハビリ後の母を受け入れる施設を見つけておかないといけない、施設のタイプや場所はいろいろある、有料施設以外だと入所期間は限らており繰り返し転出入することになるという。これが友人から聞いた老人たらい回しの現実だ。

母は知らない人との同じ部屋に寝起きし、プライベートのない生活は望んでない。糖尿病があるので医療及び介護サービスを受けられる施設が必要というと、候補を3つほど紹介してくれた。病院の帰りにその一つの施設を見学させて貰った。そこも含め、どれも最近出来たばかりの豪華な施設で、入居金だけでも目の玉が飛び出るほど高かった。

だが他に選択は限られている。気になるのは、医療だけでなく介護サービスの有無が施設により異なることだ。これら施設に入所する時、母のように介護サービスが必要となると、介護プランを作ってくれるケアマネージャはその施設のある自治体の事業者でなければならない。と言うことは母の住所を施設に変更しなければいけない。

来年3月に母がどこまで回復しているかで、入所できる施設の選択が決まる。普段母に言っていたように、お金を持ってお墓に入ってもしょうがない、母の預金を全て使い切るつもりなら少々高い施設に入れても良いと思っている。想定以上に長生きすれば私が見るしかしょうがないと覚悟した。母のリハビリ進捗の様子を見ながら相談員と連絡を取り合い、次の行き先を決めることにした。■

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