母の見舞いで月曜日から田舎に帰っていた妹が、母を見舞った後午後には大阪に戻っていった。又、寂しくなる。短い滞在だったが、2人だけで5日間も実家で過ごし、これだけ話し合ったのは初めてだ。政治や家族、読書、旅行など思いつくまま話した。
妹は人の話を辛抱よく聞く前に、自己を主張する傾向が昔より強くなった気がする。長い人生経験から生まれた信念からか、意見交換して考えを整理するというより「決め付けの交換」をすると言った方がピッタリ来る。彼女も私のことをそう思っているかもしれない。私は、自分では柔軟な考えをすると思っているが、所詮血がつながった兄妹だから似たもの同士なのかも。
コタツや車の中で話題は次から次へと展開した。彼女も読書家で月5-6冊は読むらしい。田舎の市立図書館の蔵書が貧弱だと二人で嘆いた。そのうち、我が家の食費が彼女の家の倍もかかっていることがわかり、両家の家計管理が話題になった。家内が家計管理をうまく出来ないとうっかり口を滑らしたところから、私は迷走し始めた。
妹は家計の切り回しはとてもうまく、少ない予算でも豊かな食事になるよう工夫しているのは前から承知していた。私は食費を話題にしていたのだが結果的に家内をけなしたことに気が咎め、話題を変えた。それから子供達の教育や人付き合いが上手くて助けられた、と思いつく限り家内のプラス面を説明して埋め合わせを始めた。
それでも気が済まず、今度は若い頃の私が仕事第一の亭主関白で、家内には酷いことを何度もしたと具体例を挙げて告白した。更にまだ足りないと考え、今度は私のマイナス面で埋め合わせをしようとした。如何に私が家庭人として駄目だったか自虐的にパーソナル・ヒストリーを続けた。
そこには、相手も「実は私もこんなに酷いことをした」みたいな告白ごっこをして傷を舐め合う展開で終わる期待が私にはあった。ところが、私の期待とは全く違った展開が待っていた。それを聞いて妹はそんなことしてとんでもないと猛烈に私を非難し始めた。私は20-30年前の恥を紹介しただけで、今更関係ない彼女に非難される筋合いはない、と言って話を打ち切った。
全く違う性格だと思っていたのに、彼女も家内も同じ反応をしたのには、いささか驚いた。相手が昔酷いことをしたと反省し告白しているのにおっ被せて非難し、一方で自らのマイナス面は認めず(少なくとも言葉では)謝らない。それを指摘したら喧嘩になるので私は口をつぐむ。彼女達は自分の欠点を分析して説明したくない、度量がない・・・様に感じる。
たった二人の似た反応で、「そもそも女は・・・」と論じるのはいささか乱暴だが、妹の反応を見てアラカン(アラウンド60)女性の特徴かなーと思った。比べてみると、確かに私は自分の弱点や失敗を分析して解説する。まるでかつての戦後知識人の自虐史観のように。もしかしたら、それが自慢げに聞え相手は反省をしてないと感じているのかもしれない、これを書きながら思った。
だが最後にこれを追加したい。私が自虐「私」観を開陳すると、同年代の男性の友人は同様な夫婦間の問題を披露して共有してくれる。そして、「やっぱりそうか、どこも同じだな。」といって、何の問題もなくスムーズに傷の舐めあいモードに入ったことを白状する。■