3日前の日曜日メールボックスを開くと、CNNや主要新聞からニュース速報が溢れていた。直感的に大事件が起こったと思った。だが、アリゾナの聞いたことも無い町タクソンで、ガブリエル何たれとかいう聞いたことの無い人が撃たれた、他に6人亡くなったと報じていた。タクソン、どこ?ガブリエル、誰?何の手がかりも無かった。
最初、米国の慢性病である銃乱射(シューティング・スプリーという)が起こった、又か、という程度に受け取った。だが、それにしてはその後もメール速報がしつこく続き、今までの銃乱射とは違う何かがあると感じた。テレビをつけてCNNを見るとこの事件をベタで報じていた。
そこで初めて事件の起こった町が「タクソン」ではなく、あの西部劇で良く出て来る「ツーソン」であると分かった。昔から西部劇は好きで良く見るが、ツーソンを活字で見るのは初めてで、綴りを見ても全く勘が働かなかった。恥かしくなって誰もいない部屋を思わず見回す気分になった。
ニュースを追っていくうちに、米国のメディアが特別の扱いをする訳が分かった。ツーソンは米国で起こっている政治対立が集約されて起こっている町で、先の中間選挙でティーパーティと激戦を戦い抜き勝利したガブリエル・ギフォード民主党議員が狙われたのだった。
その後は見出しだけ追って詳しいことは分からないが、犯人は計画的に議員を暗殺しようとした、共犯がいる可能性が高い、ツーソンは選挙のたびに民主共和が入れ替わる典型的なスウィング・ステート、銃は合法的に手に入れたもの等が報じられた。
その後の展開は大きな政治的うねりになって続いているように感じる。オバマ大統領が非難声明を出し、共和党のベイナー下院議長が1週間の議会の審議停止を発表した。新年から中間選挙後のネジレ議会で、オバマの執念で成立させた「医療保険改革法」の撤廃法案が議論されるはずだった。
というのも狙撃されたギフォード議員は同法の熱心な推進者で、中間選挙でティーパーティ候補と激しくやりあった経緯があった。彼女が集中治療室で生死をかけて戦っている時、直ちに審議に入るのは心情を逆撫ですると配慮した結果と見られている。
そして、メディアの注目はいよいよ主役に回ってきた。ティーパティーの「お騒がせや」で前アラスカ州知事サラ・ペイリン女史だ。選挙戦中彼女はギフォード女史を徹底的に非難し、選挙民の憎悪を煽り、今回の事件に間接的な影響を与えたと示唆する意見が主要紙に見られる。
昨日最も多くの読者に読まれたWポスト紙の記事10本の内、7本がこの事件を報じるもの、そのうち2本がペイリン氏に関るものだった。冷泉氏はティーパーティが主導してきた共和党の右傾化の流れを、この機会に穏健派路線に戻そうという見方を紹介している(ニューズウィーク)。
米国メディアがこぞって紙面をさくこの事件は、米国の政治の流れを変えるかもしれない。幸か不幸か何があってもペイリン氏は注目され、チョット気の毒な感じもする。悪く言えば、今回の銃乱射は銃を持つ必要がある証拠と、銃規制反対団体が声明を出すのと共通するものを感じる。
牧場主と開拓農民が撃ち合い揉め事を銃で解決する西部劇の舞台と、政治的対立が背景にある今回の銃乱射事件は何も変わってない。民主主義信奉と同時に銃社会のアメリカ社会の矛盾が今も続いていることを示した。やはり米国は米国、ある意味何も変わっていないと。■