日本人犠牲者の実名は遺族の心情を考慮して「日揮」の要請で公表されていなかったが、遺体が帰国したのを機会に政府責任で公表されたようだ。治安の悪い地域での進出企業や政府の安全対策の在り方を検証して今後の対応を見直すためにも、犠牲者だけでなく生存者も含めて公にすべきという声が報道各社から申し出があったという。<o:p></o:p>
だがこの議論には、実名公表して遺族や関係者の映像や記事を流すことと、海外進出企業のオペレーションの安全対策を検証見直しすることと混同しているように感じる。公表したら対策を検証できるというのは思い上がりだ。大きな事件があると被害者や遺族に集中豪雨のように群がり取材するマスコミの様子を見聞きすると、会社側の配慮は当然と感じる。<o:p></o:p>
肝心のマスコミが取材の在り方について検証し見直しているのか疑わしい。なぜ実名公表しなかったか反省する声が聞こえない。仲間内のことになると急に批判精神を失い、改善していこうという姿勢が失われる。ゴシップを追いかける三流メディアを含め報道に自浄能力がない。そういう状況を考えると、犠牲者が働いていた「日揮」の判断はやむを得ないものだったと私は考える。<o:p></o:p>
今回のテレビ報道は犠牲者と遺族を追い掛け回すより、結果として事件の背景等より専門的に掘り下げた、ある意味よりあるべき姿に近づいた落ち着いたものだったと思う。明らかに犠牲者名を公表しなかった効果が出たと私は感じる。今後マスコミが追求すべきは、結果として安全対策が具体的にどう見直されたかではなかろうか。■