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ニューラグジュアリー・リダックス

2013-09-26 22:00:13 | 社会・経済

ベノミクスの究極の目標である「デフレ脱却」を、足元の物価動向を追跡し検証する日本経済新聞の連載コラム「物価考」を注目している。PB(プライベートブランド)が高価格化しているという今日の記事は意外で興味深かった。スーツから食パンまで「多少高くても良いものを求める消費者の需要が増えている」といい、PBがデフレ脱却を主導するという見方を紹介している。私は期待できる兆候であり、「ニューラグジュアリーの復活」だと思った。

一方で同記事は、100円ショップが好調であると伝えた。背景として賃金は上がらないのに物価は上がり家計の購買力が衰えている、日本がデフレという言葉を忘れるにはまだ時間がかかると結んでいる。この手の記事が相反する見方を併記し一体何が言いたいのか分からない、というのは良くあることだ。だが、私はそれだけじゃないだろう、見方が皮相的でもっと突っ込んだ洞察力を日経には期待したいと感じた。

デフレ脱却の兆しはかつて「ニューラグジュアリー」といわれた、こだわりのワンランク上の商品の売り上げが増えるところから始まると私は予想している。自分の関心がある領域の商品についてのみ値段を気にせず購入するが、それ以外はミニマムの機能を果たせばよいと出来るだけ安価なものを買う。その前のバブル時代も「一点豪華主義」という消費スタイルがあった。

ューラグジュアリーの購買層は日本の教育された分厚い中流階級だった。自分の価値観を満足させる、知的でこだわりのストーリーを持った商品を買う。元々日本人消費者の多くがそうだったと思う。普段質素な生活をしていてもブランド商品を身につけ、有名店で並んで食事し、歴史的な名跡に旅行した。私の身の回りにもよく見かけた。

このPB高価格化に代表されるようなニューラグジュアリーが、デフレ脱却の原動力になると予想する。中流階級は何でも買える富裕層とは違い、彼等にとって価値の低いその他の出費は切り詰める。それが彼等を100円ショップに向かわせるのだ。従って、100円ショップと高価なPBの両方が同時に売れるのは、デフレ脱却に向かう自然な現象と考える。100円ショップ好調を脱デフレの真逆の現象と捉える上記の記事は的外れのように思う。

ここからは蛇足、私は若い頃から天邪鬼のへそ曲がりで人と同じことをするのが嫌いだった。私のラグジュアリーは若い頃はバイクだった。何度か危険な目にもあい怪我もした。現在は特定の商品というより分散して住む家族の連帯の為にワンランク上の消費をする。その為に100円ショップ或いはもっと安いものを求め徹底的に節約する。高齢者になった私自身の為のラグジュアリーは残された時間だ。その時間を何か精神的にワンランク上に出来たら十分と思っている。

ところでリダックス(redux)は復活の意味でラテン語(reducere)が語源らしい。調べると70年代にアップダイクが使い始めた少し気取った言葉のようだ。バブル・リダックスという題名の米経済評論家のレポートを見たことがある。そんなもんでニューラグジュアリーだったら良いかなと思った訳です。■

コメント
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