田舎暮らしが長くなりたまに用事で家族が暮らす東京に戻るパターンに逆転した。東京松山間のLCC就航で費用が以前ほど気にならなくなり、必要な時には躊躇せず往復できるようになった。暖かい期間は実家と農地等の手入れで田舎にいる時間が長くなり、東京に戻る時は友人から「一時帰国」とからかわれるようになった。今回は先週の木曜日から正味4日間の一時帰国で、今日の家族パーティで総ての予定をカバーすることになる。
木曜の午後成田に到着した時は北関東を大雨が直撃したところで、空は低い雲が立ち込め時折小雨がパラつき湿っぽい空気だった。その夜から茨城・栃木に続き宮城に50年ぶりという大雨が降った。成田着時、首都圏の交通網が完全には動いてない状態だったが無事帰れたという安ど感があった。ところが昨日早朝に地震で目が覚めどこにいても日本は転変地異に脅かされる、四国の田舎では滅多にない地震で東京に戻ったと実感した。
金曜日は留守の間にたまった書類を整理し、自宅の建て替えの調査交渉状況を家族から聞いた。上の二人の子供が結婚して家を出て行き、末の子供が今後も自宅に住み将来妻の老後の生活を含め託すのが前提だった。そう考えて私が元気な間に自宅の建て替えをしようと思い付き、最初に取引先の選定を昔の勤務先の子会社に頼んだ。それ以降ずっとここに住むのはお前だからと言って息子に引き継ぎ詳細を任せた。
8月にテレビ会議で打ち合わせに参加し、昨日は概略のプランを決めて詳細設計に移る為の打合せを工務店と行った。先ず目標予算額を決めてその範囲でやれと息子に言った。その後私がいない間に息子と家内がショールームや実際の住宅を見学するなど調査し、家作りの考え方や間取り等を決めていたので難しい議論はなかった。住みたい家であると同時に、施工者が作り易い家であることも重要という認識も一致していた。
昨日の午前中は久しぶりにバドミントンクラブに顔を出し練習をした。還暦を過ぎたメンバーが多くなって来たが、全日本の年齢別クラスで都の予選を突破した男性や2年連続で年令別日本チャンピオンの女性がいるクラブで、私は予想通り全くついていけなかった。リーダーの厚意でクラブにいさせてもらっているのは明らかで心苦しかった。だが、私と同年齢の友人もまだやっており10月に東京に戻ったらまた来ますと言った。
金曜日は掛かりつけの医者に行き血圧の状況等体調を報告した。今回はコレステロールが高いことが議論になり、会社勤め頃から薬との相性が悪いと報告した。今迄なら先生はそこで薬を処方しなかったのだが、今回は分厚い本を取り出し詳しいデータを見せて筋肉痛などの症例が確率的に1000分の1以下で本当のところは確認されてないと言われた。だが、医者の方も患者のクレームを恐れて踏み込んでリスクを冒さなくなったと先生は言った。結論は次回までに5kg体重を減らせ、そんなの無理というと、じゃ3kgと言われた。それでも無理と小声で看護婦さんに言った。
もう一つやらねばならないことは、米国から貰っている年金の振込口座のあるシティバンクがSMBC信託銀行に買収され手続きをするためだ。買収されて11月に振込口座が変更になるのでその前に手続きをと、8月頃に田舎に通知が来た。書類を調べた限りでは米国大使館かIRS(国税庁にあたる)に連絡しなければいけない、もう英語を使う生活から離れて16,7年で映画を見ても何を言っているか分からない。気が重かった。
もう一度念のためにと思いシティバンクに電話をかけて相談すると、年金受け取りが円の場合は自動的に新銀行に引き継がれるので届け出不要という。幸い私は円受け取りにしていた。届け出が必要なのはドル受け取りの場合だけだった。どうもまだ取引の詳細は決まっている訳ではない様子だった。どうも私が通知を受け取った時点では決まってないことが結構あったようだ。そんなの聞いてないよー、だけど良かった。
今日は目黒の焼肉屋さんに家族が集合して誕生パーティをやった。最初はこれが一時帰国の目的だった。長く東京に住んでいるけど目黒には行った記憶が無い、駅に降りたった記憶もない。最近町全体をリニューアルしてお洒落になったというが、少なくとも駅界隈の目黒通りは普通の街並みだった。下の子が肺炎にかかり1週間前に退院したばかりだったが、子供達の元気そうな顔を見てほっとした。その後いつもの様にスタバでコーヒーを頂き散会、一時帰国でやるべきことは全てやった。明日は予備日、明後日は田舎だ。■
木曜の午後成田に到着した時は北関東を大雨が直撃したところで、空は低い雲が立ち込め時折小雨がパラつき湿っぽい空気だった。その夜から茨城・栃木に続き宮城に50年ぶりという大雨が降った。成田着時、首都圏の交通網が完全には動いてない状態だったが無事帰れたという安ど感があった。ところが昨日早朝に地震で目が覚めどこにいても日本は転変地異に脅かされる、四国の田舎では滅多にない地震で東京に戻ったと実感した。
金曜日は留守の間にたまった書類を整理し、自宅の建て替えの調査交渉状況を家族から聞いた。上の二人の子供が結婚して家を出て行き、末の子供が今後も自宅に住み将来妻の老後の生活を含め託すのが前提だった。そう考えて私が元気な間に自宅の建て替えをしようと思い付き、最初に取引先の選定を昔の勤務先の子会社に頼んだ。それ以降ずっとここに住むのはお前だからと言って息子に引き継ぎ詳細を任せた。
8月にテレビ会議で打ち合わせに参加し、昨日は概略のプランを決めて詳細設計に移る為の打合せを工務店と行った。先ず目標予算額を決めてその範囲でやれと息子に言った。その後私がいない間に息子と家内がショールームや実際の住宅を見学するなど調査し、家作りの考え方や間取り等を決めていたので難しい議論はなかった。住みたい家であると同時に、施工者が作り易い家であることも重要という認識も一致していた。
昨日の午前中は久しぶりにバドミントンクラブに顔を出し練習をした。還暦を過ぎたメンバーが多くなって来たが、全日本の年齢別クラスで都の予選を突破した男性や2年連続で年令別日本チャンピオンの女性がいるクラブで、私は予想通り全くついていけなかった。リーダーの厚意でクラブにいさせてもらっているのは明らかで心苦しかった。だが、私と同年齢の友人もまだやっており10月に東京に戻ったらまた来ますと言った。
金曜日は掛かりつけの医者に行き血圧の状況等体調を報告した。今回はコレステロールが高いことが議論になり、会社勤め頃から薬との相性が悪いと報告した。今迄なら先生はそこで薬を処方しなかったのだが、今回は分厚い本を取り出し詳しいデータを見せて筋肉痛などの症例が確率的に1000分の1以下で本当のところは確認されてないと言われた。だが、医者の方も患者のクレームを恐れて踏み込んでリスクを冒さなくなったと先生は言った。結論は次回までに5kg体重を減らせ、そんなの無理というと、じゃ3kgと言われた。それでも無理と小声で看護婦さんに言った。
もう一つやらねばならないことは、米国から貰っている年金の振込口座のあるシティバンクがSMBC信託銀行に買収され手続きをするためだ。買収されて11月に振込口座が変更になるのでその前に手続きをと、8月頃に田舎に通知が来た。書類を調べた限りでは米国大使館かIRS(国税庁にあたる)に連絡しなければいけない、もう英語を使う生活から離れて16,7年で映画を見ても何を言っているか分からない。気が重かった。
もう一度念のためにと思いシティバンクに電話をかけて相談すると、年金受け取りが円の場合は自動的に新銀行に引き継がれるので届け出不要という。幸い私は円受け取りにしていた。届け出が必要なのはドル受け取りの場合だけだった。どうもまだ取引の詳細は決まっている訳ではない様子だった。どうも私が通知を受け取った時点では決まってないことが結構あったようだ。そんなの聞いてないよー、だけど良かった。
今日は目黒の焼肉屋さんに家族が集合して誕生パーティをやった。最初はこれが一時帰国の目的だった。長く東京に住んでいるけど目黒には行った記憶が無い、駅に降りたった記憶もない。最近町全体をリニューアルしてお洒落になったというが、少なくとも駅界隈の目黒通りは普通の街並みだった。下の子が肺炎にかかり1週間前に退院したばかりだったが、子供達の元気そうな顔を見てほっとした。その後いつもの様にスタバでコーヒーを頂き散会、一時帰国でやるべきことは全てやった。明日は予備日、明後日は田舎だ。■