昨日70才の誕生日を迎え都内にバラバラに住む家族からお祝いのプレゼントやメールが一斉に届いた。こんなこと初めてだ。二三日後に大阪に戻るという義弟が来てくれ、たまたまだと言いながら赤飯を持ってきてくれた。還暦になった時や、65才になって高齢者と呼ばれるようになった時にはなかった感慨がある。
運が良ければ後10年は生きるかもしれない。が、急に纏まって贈り物が届き慣れないもので私の人生もそう長くないと感じた。1月前に田舎に来た時に「第3の人生」のキックオフだと投稿した。年をとっても「生涯現役」だと頑張る先輩の方々もいるが、私はそういう気分にはなれない。70才になって私はこんな風に考えている。
一生懸命働いた「第1の人生」(振り返れば殆どは自分の為だった)、私が死んだ後の準備「第2の人生」(純粋に家族の為の)を終えて、残りの「第3の人生」はいつか「死んでゆく為に生きる」(再び自分の為の)積りだ。なるべく家族や周りの誰にも迷惑をかけず、最後の10年(出来れば)を静かに終えたい。
そう言いながらまだ「第2の人生」を引きずっていることがある。30代半ばの末の息子がまだ独身で、彼にも良きパートナーを得て子供を育てる普通の幸せを味わってほしい。田舎に来ても候補者探しを知人にお願いしている。勿論、結婚は本人同士の判断なのは当然だが、出来るだけ出会いの機会を沢山作ってやりたいのだ。それだけは見届ける必要があると思っている。
義弟と行った馴染みのカフェのマスターにも以前からお願いしていたが、昨日候補者に見せたいからと息子の写真を頼まれた。スマホの写真を見せメールで送るというと紙じゃなきゃダメだという。彼は私より一回り年上のパソコン以前の世代だ。だが、実家においてあるプリンターは故障中、近くのローソンは複写機はあったが使い方を知らず、ヤマダでは印刷サービスはしないと言われた。
その帰りに来月一周忌を迎える母お位牌を作ってくれるお店に行き、この地で関連して行う一連の行事を聞いた。彼等の目にはこの地は昔からの習慣をそのまま続けている。例えば釣り灯篭は凄く立派だが全国的には提灯みたいなものがポピュラーだという。私が聞いたお寺の奥さんは特別きちんとした方で相手が悪かった。
彼等も商売だからはっきりしたことは言わなかったが、出来る範囲でやればいいという口ぶりだった。一通り聞いた後、筋違いだがスマホの写真印刷が出来ないか頼んでみた。店員の男性はi-PhoneならOKといってくれたが、残念ながら私のはアンドロイドだった。独身だという彼も息子と同じ年恰好で、余計なことだが結婚を勧めた。
実は今回田舎に来て1冊も本を読んでない。何故か読書欲が湧かないのだ。読みたい本も手元にない。これが私の「第3の人生」の一つなのだろうか。1日の時間配分を見ると新聞・テレビ・パソコン・スマホに使う時間が今までよりだいぶ長くなっている。余り良くないと思いながらそうしてるが、この後どうするのか考えてみたい。
田舎に来て以来3人の子供が孫の年齢だった幼い頃の写真をよく見るようになった。孫の写真をしょっちゅう送ってくれので成長ぶりに目を見張るが、その後に幼い頃の子供達の写真を見て、もう一度抱きしめてやりたいと思う(どうかしてる?)。そしてたまに良く育ててくれたと家内に感謝する(!)。同時に一番年上の孫が小学校に行くようになり教育も気になる。聞くところによると彼は中々優秀らしい。
私は会社勤め時代は最新の技術動向などについて発言して評価されていたと思う。だが、それは他の人より少しばかり「鼻が利いた」ので先に調べておき、会議等で先端的な知識をひけらかしサラリーマン的に上手くやったという側面がある。それ以上のものではなかった。英語も他の人よりはちょっと良く出来た。そうするとチャンスは巡って来た。振り返って中間管理職的成功はしても、そもそもトップの器ではなかったと思っている。
孫は何でも呑み込みが早く、人より早く理解し頭が良い印象を受けるが、それは私の中間管理職的能力を更に磨きをかけた程度に終わるかもと爺バカになる。何しろ1/4は私の血をひいているのだから。だが、私の口出しすることではない、両親と本人がどう考えるかだ。どうせ私が生きている間に結果が見えて来る訳でもない。「第3の人生」は結果を見ずして終わる「ルースエンド」になるのは間違いない。
家内の実家は長生きの家系で、事故なく普通に生きると彼女はまだ30年残されているだろう。彼女が80才を迎える頃は私は終わっているだろうから、残りを子供達に頼みたい。私が母の為にしたことを子供達に見せたのは、実は家内への最後の贈り物だと思っている。15年前私が早期退職後に働き始めた彼女も4月に定年退職した。しかし、今月から学童保育の仕事を始めたとメールが入った。彼女の意欲は素晴らしいことだと思う。
私は退職後の「第2の人生」では主にお金の使い方で意見が合わず度々家内と喧嘩した。原因は人生観の違いだから難しい。私が時間をかけて新聞・ネットを調べブログ記事を書くのをただ気ままに過ごしていると思ったようだ。自宅でも頭を使う仕事もあれば、生産ラインで汗をかく仕事もあることが彼女は最初理解できなかった。それも仕方ない。だが、今回の退職後の彼女の前向きな生き方には感心させられた。人生こうでなきゃ、という感じだ。■
運が良ければ後10年は生きるかもしれない。が、急に纏まって贈り物が届き慣れないもので私の人生もそう長くないと感じた。1月前に田舎に来た時に「第3の人生」のキックオフだと投稿した。年をとっても「生涯現役」だと頑張る先輩の方々もいるが、私はそういう気分にはなれない。70才になって私はこんな風に考えている。
一生懸命働いた「第1の人生」(振り返れば殆どは自分の為だった)、私が死んだ後の準備「第2の人生」(純粋に家族の為の)を終えて、残りの「第3の人生」はいつか「死んでゆく為に生きる」(再び自分の為の)積りだ。なるべく家族や周りの誰にも迷惑をかけず、最後の10年(出来れば)を静かに終えたい。
そう言いながらまだ「第2の人生」を引きずっていることがある。30代半ばの末の息子がまだ独身で、彼にも良きパートナーを得て子供を育てる普通の幸せを味わってほしい。田舎に来ても候補者探しを知人にお願いしている。勿論、結婚は本人同士の判断なのは当然だが、出来るだけ出会いの機会を沢山作ってやりたいのだ。それだけは見届ける必要があると思っている。
義弟と行った馴染みのカフェのマスターにも以前からお願いしていたが、昨日候補者に見せたいからと息子の写真を頼まれた。スマホの写真を見せメールで送るというと紙じゃなきゃダメだという。彼は私より一回り年上のパソコン以前の世代だ。だが、実家においてあるプリンターは故障中、近くのローソンは複写機はあったが使い方を知らず、ヤマダでは印刷サービスはしないと言われた。
その帰りに来月一周忌を迎える母お位牌を作ってくれるお店に行き、この地で関連して行う一連の行事を聞いた。彼等の目にはこの地は昔からの習慣をそのまま続けている。例えば釣り灯篭は凄く立派だが全国的には提灯みたいなものがポピュラーだという。私が聞いたお寺の奥さんは特別きちんとした方で相手が悪かった。
彼等も商売だからはっきりしたことは言わなかったが、出来る範囲でやればいいという口ぶりだった。一通り聞いた後、筋違いだがスマホの写真印刷が出来ないか頼んでみた。店員の男性はi-PhoneならOKといってくれたが、残念ながら私のはアンドロイドだった。独身だという彼も息子と同じ年恰好で、余計なことだが結婚を勧めた。
実は今回田舎に来て1冊も本を読んでない。何故か読書欲が湧かないのだ。読みたい本も手元にない。これが私の「第3の人生」の一つなのだろうか。1日の時間配分を見ると新聞・テレビ・パソコン・スマホに使う時間が今までよりだいぶ長くなっている。余り良くないと思いながらそうしてるが、この後どうするのか考えてみたい。
田舎に来て以来3人の子供が孫の年齢だった幼い頃の写真をよく見るようになった。孫の写真をしょっちゅう送ってくれので成長ぶりに目を見張るが、その後に幼い頃の子供達の写真を見て、もう一度抱きしめてやりたいと思う(どうかしてる?)。そしてたまに良く育ててくれたと家内に感謝する(!)。同時に一番年上の孫が小学校に行くようになり教育も気になる。聞くところによると彼は中々優秀らしい。
私は会社勤め時代は最新の技術動向などについて発言して評価されていたと思う。だが、それは他の人より少しばかり「鼻が利いた」ので先に調べておき、会議等で先端的な知識をひけらかしサラリーマン的に上手くやったという側面がある。それ以上のものではなかった。英語も他の人よりはちょっと良く出来た。そうするとチャンスは巡って来た。振り返って中間管理職的成功はしても、そもそもトップの器ではなかったと思っている。
孫は何でも呑み込みが早く、人より早く理解し頭が良い印象を受けるが、それは私の中間管理職的能力を更に磨きをかけた程度に終わるかもと爺バカになる。何しろ1/4は私の血をひいているのだから。だが、私の口出しすることではない、両親と本人がどう考えるかだ。どうせ私が生きている間に結果が見えて来る訳でもない。「第3の人生」は結果を見ずして終わる「ルースエンド」になるのは間違いない。
家内の実家は長生きの家系で、事故なく普通に生きると彼女はまだ30年残されているだろう。彼女が80才を迎える頃は私は終わっているだろうから、残りを子供達に頼みたい。私が母の為にしたことを子供達に見せたのは、実は家内への最後の贈り物だと思っている。15年前私が早期退職後に働き始めた彼女も4月に定年退職した。しかし、今月から学童保育の仕事を始めたとメールが入った。彼女の意欲は素晴らしいことだと思う。
私は退職後の「第2の人生」では主にお金の使い方で意見が合わず度々家内と喧嘩した。原因は人生観の違いだから難しい。私が時間をかけて新聞・ネットを調べブログ記事を書くのをただ気ままに過ごしていると思ったようだ。自宅でも頭を使う仕事もあれば、生産ラインで汗をかく仕事もあることが彼女は最初理解できなかった。それも仕方ない。だが、今回の退職後の彼女の前向きな生き方には感心させられた。人生こうでなきゃ、という感じだ。■