「ノーシンホー」??? 市の農業委員会で職員から何度も連発される言葉を聞いていて、やがて漢字が思い浮かび何を意味するか分かった。後から調べると「農業新興地域の整備に関する法律」の略称なのだ。当方の不動産屋さんと山林及び畑の買主のIさんはよく分かっていたみたいなので、私は黙って聞いていた。というか、担当のおネーちゃんは意外に綺麗だなと思いながら見守った。
その1時間前に買主宅で売買契約書にサインしお金を受け取った。売却したのは買主宅の裏山とその南側にある小さな畑だ。母が元気だった頃から申し出があり、一時は母もその気になったらしいが何かの理由で破談になっていた。母が死んだ前後から私に申し出があったが、母が断ったものを売る訳にはいかないと返事を渋っていた。両親が40年前頃に一緒に植樹したと言われる梅の木があるのも気になった。
昨年母が死んで買主の攻勢は一段と強まった。長老にまで言わせて後押ししてきた。この季節になると山林の栗の木の落ち葉が大量に飛んで来て彼の家に落ち清掃が大変なのだという。この地は山に囲まれ多かれ少なかれどの家でも同じだ若干感情的に答え、母の一周忌が終わってから考えると答えを先送りしてきた。
そんな時昨年から山刈を依頼している職人さんに意見を求めると、彼は裏山が土砂崩れ等の災害があった時の対応を考えると売った方が良いと勧めてくれた。これが迷っていた私の決断を後押しすることになった。後に仲介を依頼することになる不動産屋さんも全く同じ意見だった。
不動産屋のNさんは畑や山林の取引に詳しい方として紹介されただけあって、山林境界の確定など誠に手際が良かった。以前紹介した手書きの野取り図に留まらず、その後法務局に行き平成4年に測量した図面を見つけ出してくれ正確な地積が分かった(その結果面積が増え少し高く売れる)。だとすれば法務省と国交省(国調)の横の連絡がないということになる。それはそれで問題だが、それは別途。
話を戻すと、買主宅で手順に従い契約書を確認して押印、一括払いでお金を受け取った。重要事項説明書、契約書、取引対象となる山林と畑の図面の三点セットが確認された。買主の奥さんは遠慮しても聞き入れてくれずご祝儀と赤飯を押し付けられた。その足で農業委員会に行き、冒頭の農地の売買の承認を得に行った。
延々と1時間半も粘った結果、農業委員会の答えは「ノー」だった。問題は買主にあった。農振法は農地の買主の条件を厳しく制限している。一定面積以上の農地を使って農業に従事していること、農地を所定の手続きをせず転用するなど不適切な行為をしてないことが条件で、買主は後者に問題があった。
その後、Iさんは具体的に例外措置の例をあげて反論し、元々農振地指定に無理があり見直すべきだと主張して粘った。私も、この売買契約は売主が東京に住んでいて遊ばせている農地を活用するためなのに、認可されなけれな遊休農地を今後も遊ばせることになる、農振法の趣旨に反していないかと助太刀をした。
しかし、対応してくれた担当女性も課長も法に従うの一本槍、農振地の決定は市の農林課でもなく県によると言い、最後まで法文は明確に禁止しており裁量の余地はないと言い張った。12時半ばを過ぎ我々は納得したとは言わなかったが一旦交渉は終わりとした。交渉は失敗したという方が正しい。
その後ロビーに戻り、不動産屋さんは我々に向かって経験ではこれ以上押しても無理と言い買主も納得した。私が「契約を見直すのか、それならお金を返そうか」というと、「それはそれ、契約はそのままにして実質は買主のものにする方法を考えよう」と買主も不動産屋も口を揃えて言った。
そんな方法もあるのかと思ったが、例えば買主の子供に問題の土地を相続させ農振法の対象外にするとか、20年間借地にして買主にの手に渡るようにするとか、色々作戦を考えられそうだ。なるほどね~。今日の午前中に歯医者に行っている間に連絡があり、東京に戻る前日の夕方に司法書士事務所に行き契約の見直しをやるから来てくれと伝言が入っていた。上記の作戦を盛り込んで来年の登記方針が決まるはずだ。■
その1時間前に買主宅で売買契約書にサインしお金を受け取った。売却したのは買主宅の裏山とその南側にある小さな畑だ。母が元気だった頃から申し出があり、一時は母もその気になったらしいが何かの理由で破談になっていた。母が死んだ前後から私に申し出があったが、母が断ったものを売る訳にはいかないと返事を渋っていた。両親が40年前頃に一緒に植樹したと言われる梅の木があるのも気になった。
昨年母が死んで買主の攻勢は一段と強まった。長老にまで言わせて後押ししてきた。この季節になると山林の栗の木の落ち葉が大量に飛んで来て彼の家に落ち清掃が大変なのだという。この地は山に囲まれ多かれ少なかれどの家でも同じだ若干感情的に答え、母の一周忌が終わってから考えると答えを先送りしてきた。
そんな時昨年から山刈を依頼している職人さんに意見を求めると、彼は裏山が土砂崩れ等の災害があった時の対応を考えると売った方が良いと勧めてくれた。これが迷っていた私の決断を後押しすることになった。後に仲介を依頼することになる不動産屋さんも全く同じ意見だった。
不動産屋のNさんは畑や山林の取引に詳しい方として紹介されただけあって、山林境界の確定など誠に手際が良かった。以前紹介した手書きの野取り図に留まらず、その後法務局に行き平成4年に測量した図面を見つけ出してくれ正確な地積が分かった(その結果面積が増え少し高く売れる)。だとすれば法務省と国交省(国調)の横の連絡がないということになる。それはそれで問題だが、それは別途。
話を戻すと、買主宅で手順に従い契約書を確認して押印、一括払いでお金を受け取った。重要事項説明書、契約書、取引対象となる山林と畑の図面の三点セットが確認された。買主の奥さんは遠慮しても聞き入れてくれずご祝儀と赤飯を押し付けられた。その足で農業委員会に行き、冒頭の農地の売買の承認を得に行った。
延々と1時間半も粘った結果、農業委員会の答えは「ノー」だった。問題は買主にあった。農振法は農地の買主の条件を厳しく制限している。一定面積以上の農地を使って農業に従事していること、農地を所定の手続きをせず転用するなど不適切な行為をしてないことが条件で、買主は後者に問題があった。
その後、Iさんは具体的に例外措置の例をあげて反論し、元々農振地指定に無理があり見直すべきだと主張して粘った。私も、この売買契約は売主が東京に住んでいて遊ばせている農地を活用するためなのに、認可されなけれな遊休農地を今後も遊ばせることになる、農振法の趣旨に反していないかと助太刀をした。
しかし、対応してくれた担当女性も課長も法に従うの一本槍、農振地の決定は市の農林課でもなく県によると言い、最後まで法文は明確に禁止しており裁量の余地はないと言い張った。12時半ばを過ぎ我々は納得したとは言わなかったが一旦交渉は終わりとした。交渉は失敗したという方が正しい。
その後ロビーに戻り、不動産屋さんは我々に向かって経験ではこれ以上押しても無理と言い買主も納得した。私が「契約を見直すのか、それならお金を返そうか」というと、「それはそれ、契約はそのままにして実質は買主のものにする方法を考えよう」と買主も不動産屋も口を揃えて言った。
そんな方法もあるのかと思ったが、例えば買主の子供に問題の土地を相続させ農振法の対象外にするとか、20年間借地にして買主にの手に渡るようにするとか、色々作戦を考えられそうだ。なるほどね~。今日の午前中に歯医者に行っている間に連絡があり、東京に戻る前日の夕方に司法書士事務所に行き契約の見直しをやるから来てくれと伝言が入っていた。上記の作戦を盛り込んで来年の登記方針が決まるはずだ。■