帰京後の7日間に四季が巡った。成田に付いた時は東京に春が戻り、翌日は秋、それから急に寒くなり2日間は真冬、少し寒さが緩んだが秋雨の2日間、今朝は霧雨の後晴天に回復した。最近コンピューターの性能向上で天気予報が正確になったと言われるが、この変わり易い天候に予測が外れ気味、頼りのNHKとネットの予測の不一致が目立った。その私も齢には勝てず、気温の変化に体の調整がついてこれない。
久し振りに駅前の商店街に買い物に行くと駅の南側にあった伊勢丹が遂に閉店、周りの専門店との接続が全てシャッターで閉鎖されていた。ケヤキ並木側のスーパーの店員に聞くと、レジの目の前にシャッターが下りているのは違和感があるという。新たなテナントが決まったか誰も知らなかった。一方、隣の分倍河原駅のショッピングセンターは新しいテナントで埋まっていた。殆どはファーストフード関連の店だった。
近所の様子は余り変わったようには感じない。変わったと言えば燐家に第一子が生まれていた。家の前でバドミントンの素振りをやっていると、奥さんが通りかかり赤ちゃんを見せてくれた。まだ2か月で余り付き合いがない家内を呼び出し、赤ちゃんを抱かせて貰い親交を深めさせた。夫君は早朝に出て夜遅くまで働き昼間顔を見せることもなく、お互いに滅多に顔を合わせることもない。昔からの住人は未婚男性がいて子供がいない、越してきた夫婦に次々と子供が出来る。そこが四国の田舎と東京郊外の違いだと痛感した。
私自身は半年ぶりに東京郊外の自宅に戻り、又もや年齢を感じることになった。WORKMANスタイルは予想通り家内に酷評された。細身のストレッチズボンが駄目だという、暖かくて活動性に富み気に入っているのだが。それは予想通りだったのだが、私のポッコリお腹が目立つという指摘はショックだった。大阪に戻る前の義弟に言われた時は、年寄りの為口くらいにしか思わなかった。だが、家内の指摘はグサッと来た。
金曜日は終日雨が降り、バドミントン練習には参加しなかった。雨の日に自転車に乗って体育館に行く気力が失せた。田舎では車で通ったが、都会の交通手段は自転車だ!トレーニングだけではない、久し振りに友人に会って馬鹿話をする楽しみもあったはずなのにだ。気力だけでなく体力の衰えを仲間に知られたく無いという気持ちもあった。次は12月まで参加できる練習がないが、今のところは必ず参加する積りだ。
週末に家内が大阪に旅行して来た。兄弟が年に一度顔を合わせるお楽しみ会で、いつもは京都だったが今年は大阪に河岸を変えて楽しんだようだ。彼等も平等に年を取って行く。果樹園農業を継いだ義兄が80近くになって急速に足が弱ってきた様子を聞きショックだった。山の急坂での作業を続けてきた結果なのは明らかだ。写真を見ながら話を聞いて、数年先の私を見るような辛い思いだった。■
久し振りに駅前の商店街に買い物に行くと駅の南側にあった伊勢丹が遂に閉店、周りの専門店との接続が全てシャッターで閉鎖されていた。ケヤキ並木側のスーパーの店員に聞くと、レジの目の前にシャッターが下りているのは違和感があるという。新たなテナントが決まったか誰も知らなかった。一方、隣の分倍河原駅のショッピングセンターは新しいテナントで埋まっていた。殆どはファーストフード関連の店だった。
近所の様子は余り変わったようには感じない。変わったと言えば燐家に第一子が生まれていた。家の前でバドミントンの素振りをやっていると、奥さんが通りかかり赤ちゃんを見せてくれた。まだ2か月で余り付き合いがない家内を呼び出し、赤ちゃんを抱かせて貰い親交を深めさせた。夫君は早朝に出て夜遅くまで働き昼間顔を見せることもなく、お互いに滅多に顔を合わせることもない。昔からの住人は未婚男性がいて子供がいない、越してきた夫婦に次々と子供が出来る。そこが四国の田舎と東京郊外の違いだと痛感した。
私自身は半年ぶりに東京郊外の自宅に戻り、又もや年齢を感じることになった。WORKMANスタイルは予想通り家内に酷評された。細身のストレッチズボンが駄目だという、暖かくて活動性に富み気に入っているのだが。それは予想通りだったのだが、私のポッコリお腹が目立つという指摘はショックだった。大阪に戻る前の義弟に言われた時は、年寄りの為口くらいにしか思わなかった。だが、家内の指摘はグサッと来た。
金曜日は終日雨が降り、バドミントン練習には参加しなかった。雨の日に自転車に乗って体育館に行く気力が失せた。田舎では車で通ったが、都会の交通手段は自転車だ!トレーニングだけではない、久し振りに友人に会って馬鹿話をする楽しみもあったはずなのにだ。気力だけでなく体力の衰えを仲間に知られたく無いという気持ちもあった。次は12月まで参加できる練習がないが、今のところは必ず参加する積りだ。
週末に家内が大阪に旅行して来た。兄弟が年に一度顔を合わせるお楽しみ会で、いつもは京都だったが今年は大阪に河岸を変えて楽しんだようだ。彼等も平等に年を取って行く。果樹園農業を継いだ義兄が80近くになって急速に足が弱ってきた様子を聞きショックだった。山の急坂での作業を続けてきた結果なのは明らかだ。写真を見ながら話を聞いて、数年先の私を見るような辛い思いだった。■