かぶれの世界(新)

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マスコミ批判再び

2018-05-11 09:32:30 | ニュース
いつものことではあるが、TOKIOの山口氏叩きの集中報道は異常だった。彼が長年続けて来た貢献は全く触れず、セクハラに一点集中して長時間にわたり執拗に報道し続けた。報道とはそういうもんか、と改めて思った。問題は日本の全放送局が報道し続けたということだ。彼に重大な問題があったのは間違いないが、それで全否定するかのような報道にも違和感がある。

そういう手の平返しで評価が逆転することは日本だけではない、良くも悪くも世界中にある。米国がキューバと国交回復した時に全面的なキューバ礼賛の報道が目立ったが、その当時もキューバでは多くの政治犯が獄に繋がれていた。まるでそんな事は無い様な報道には強い違和感があった。

別の言葉でいえば、バランスの取れてない全体像を見失った報道の在り方、と言うのが現在の姿ではないだろうか。特にテレビ報道にそういう傾向が強いのは時間が限られているからだが言い訳にならない。

最悪の例は財務事務次官のセクハラ事件を追求して審議拒否(森友加計問題も含め)した時、事件の問題性は理解してもそれで国会審議がストップすることの異常性をマスコミは理解してなかった。私はこれは物事の優先順位を全体として把握できない非常に深刻な問題と捉えた。

こんな言い方は不遜かもしれないが、こんな連中ばかりが報道に関わっていると思うと我が国の将来が不安になった。幸いこの時は国民の大多数が野党の審議拒否を支持しないと言う世論調査が報じられ、国が正気に戻ったと救われた気持ちになった。

ちょっと大袈裟だが、私はこの時「報道の危機」でもあったと感じた。上記のセクハラ問題でもテレ朝が女性記者の訴えを1年以上も握り潰していたことは、身内同士の問題を殊更取り上げないという配慮があったのではないかと思う。私は財務次官と同じ重要な問題として取り上げるべきだと指摘した。残念ながらそれが我が国の報道のレベルだったと思う。■

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