一昨日の午後は強い日差しで外出する気にならず、家に籠りテレビを見て過ごしていた。見たい番組もなくチャネルを切り替えていると、全国高校野球大会の県代表を決める準決勝の試合中継で手が止まった。ノーシードの帝京第五高校と事前評価が高かった松山学院の対決だった。
帝京第五高校は私が通った中学校南側の88ヵ所巡礼の旧道を挟んだ斜め向かいにある高校だった。かつ土木工事の専門家だった父が市役所勤めの合間に請われて一時期教師をしていたことがあった。同じ時期に私は中学校の野球部に所属しており、後輩が帝京に入学し活躍した。
テレビ中継を見てると奇妙なことに気付いた。松山学院の主力選手の殆どが沖縄出身だった。一方、帝京第五の主力選手は大阪や奈良など関西出身だった。そして戦っている舞台はそのどちらでもなく愛媛県の球場だった。つまり「関西vs沖縄@愛媛」だった。
かつて愛媛県出身の正岡子規が米国から伝わったベースボールを「野球」と名付けたと言われた。その後、愛媛県では高校野球が盛んになり松山商業を始め強豪高校が続出し、私が若い頃はどの高校が出ても甲子園大会で活躍し優勝することもあった。
しかし、ある時から状況が変わった。北海道や東北の高校が主に関西から選手を受け入れ甲子園大会で大活躍し、優勝するまでになった。当時の専門家の評価は関西からの選手受け入れと同時に、練習設備が整って冬季でも充実した練習が出来るようになった為という。一方、愛媛県は弱小化した。
それが愛媛県レベルでも他県から優秀な選手を受け入れて野球部の強化を図ったということなのかと思った。子供の時に愛媛県で育った私には、それって県代表なのかと若干違和感があった。そう言いながら50年以上仕事で東京や外国に住んだ私に言う資格などないのだが。■
帝京第五高校は私が通った中学校南側の88ヵ所巡礼の旧道を挟んだ斜め向かいにある高校だった。かつ土木工事の専門家だった父が市役所勤めの合間に請われて一時期教師をしていたことがあった。同じ時期に私は中学校の野球部に所属しており、後輩が帝京に入学し活躍した。
テレビ中継を見てると奇妙なことに気付いた。松山学院の主力選手の殆どが沖縄出身だった。一方、帝京第五の主力選手は大阪や奈良など関西出身だった。そして戦っている舞台はそのどちらでもなく愛媛県の球場だった。つまり「関西vs沖縄@愛媛」だった。
かつて愛媛県出身の正岡子規が米国から伝わったベースボールを「野球」と名付けたと言われた。その後、愛媛県では高校野球が盛んになり松山商業を始め強豪高校が続出し、私が若い頃はどの高校が出ても甲子園大会で活躍し優勝することもあった。
しかし、ある時から状況が変わった。北海道や東北の高校が主に関西から選手を受け入れ甲子園大会で大活躍し、優勝するまでになった。当時の専門家の評価は関西からの選手受け入れと同時に、練習設備が整って冬季でも充実した練習が出来るようになった為という。一方、愛媛県は弱小化した。
それが愛媛県レベルでも他県から優秀な選手を受け入れて野球部の強化を図ったということなのかと思った。子供の時に愛媛県で育った私には、それって県代表なのかと若干違和感があった。そう言いながら50年以上仕事で東京や外国に住んだ私に言う資格などないのだが。■
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