かぶれの世界(新)

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180メーターの善意

2020-10-21 18:07:49 | 日記・エッセイ・コラム
昨日の夕方久し振りにジョギングをしようと家を出た。だが、この3か月間のコロナ自粛と腰痛で山歩きはしたものの走る力を失っていた。筋肉というより交互に着地した時の膝にかかる衝撃に耐えられず数百メーター走り暫く歩く、又走り出し直ぐに歩くを繰り返し3-4kmで折り返した。

そんな調子なので走り始めた時の計画より時間がかかり、88か所巡礼の特別札所十夜が橋に近い水門辺りに差し掛かった頃は6時過ぎ、とっくに山の端に日が落ちて真っ暗闇の中を歩く羽目になった。前方に僅かに動く気持ち悪い黒い影が見え、思わず立ち止まって目を凝らした。

真っ暗で何だか分からないが何かを引きずるような暗い影がのろのろ動いていた。通り過ぎて、困っているのではと思い気を取り直して「大丈夫ですか」と声をかけた。自転車の鍵を無くしタイヤを引きずって帰っているのだという。一旦家に戻りドライバーを持って来たが上手く行かないという。

彼の懐中電灯に照らされた鍵はタイヤの両側にバーを通すタイプなので、確かにドライバーでは鍵は外せなかった。私もどうしようもなかった。聞くと彼の自宅は隣の隣の集落にありそう遠くはなかった。念のために小中学校時代の友人の名前を出すと知ってた。怪しい人ではない、チェック完了。

私も他に手立ては思い浮かばなかった。帰宅途中の私と同じ道を辿る間、鍵のかかった後輪を持ち上げ彼がハンドルを持って前進すれば少しは楽だったと思う。私の同級生の父君に父がお世話になったと道々話をすると、彼の集落の者も殆ど皆お世話になったという。

声かけした水門から橋まで30m、橋が150m、分かれ道迄10mのたった180mの善意だった。自宅までそう遠くはなさそうだったので、「申し訳ない」と言って分かれた。老人は一度家に帰ってただ一人故障地点に戻ってきたらしいから、何か事情があるのかも知れないと思った。

いずれにしろ彼は意外な小さい善意を受けて感激したようだ。マイクロ善意だ。「助けてくれた距離ではない。その何倍もの気持ちを貰った」と彼は言った。私は私で早く家に帰りたいという気持ち、老人が何とかなりそうだと感じて、救われた気持ちで帰宅した。■

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