かぶれの世界(新)

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強運の人(3)

2006-03-20 23:48:38 | 日記・エッセイ・コラム

それから1年も経たないうちに又やってしまった。シアトルは夏場を除いて年の3分の2は雨季だ。それは翌年の雨季が終りかけた6月初め頃だったと思う。その頃は毎月1,2回東部から移転したカリフォルニアの本社に出張していた。

その前日サクラメントに飛び1泊、翌日会議を終えて夕方シアトルに戻った。たそがれ時で小雨が降り始め自宅に急いだ。高速道路I5をそのまま北上すればボーイング社の巨大な工場を左に見てシアトルに行く。途中バイパスI505に乗り換え今はイチローが住んでいるベルビュー市に向かった。

分岐後直ぐ小さな丘を登りきると下り坂の前方に真っ赤なテールランプが延々と続いていた。その先は何かの理由で交通が停滞しており車が止まっていたのだが、坂を上っている間はテールランプが見えず気がつかなかった。

慌ててブレーキを踏んだが車輪はロックし、スピードが落ちずドンドン最後尾車に近付いていった。I5053車線で私は真ん中の車線を走っていた。外側の2車線は車が走っていたが、内側の車線はカープール(2人以上乗車時走れる優先車線)で車はいなかった。

殆どパニック状態になり追突を覚悟し前方の車が目の前に迫った時、ハンドルを思い切り左に切った。そのときブレーキを踏んでいたかどうか記憶にない。次に起こったのは、車が180度スピンして内側の車線に逆向きに止まった。ぴったり車線に収まり中間分離帯にも前方の車にも接触すらしなかった。

やがて前方の車は動き出し、後続の車が続いて来た。逆向きに止まっている車を見て驚いたと思う。暫らく待って後方の交通が途切れるとUターンして自宅に向かった。起こったことがどうにも信じられなかった。数年後プロのスタントマンがこういう車の止め方をしているのをテレビで見たから、偶然同じやり方をしたのだろう。しかしやれといわれてももう二度と出来ない。

後から考えると私はいくつかミスを犯した。坂を上るときは前方が見えないから前方の障害物に備え速度を落とさなければならなかったが、私は多分70マイル以上で走っていた。特にたそがれ時は視界が悪くなる。雨が降り始めた時はブレーキを踏むと車輪がロックし易いのに、慌てて急ブレーキを踏みロックさせその後もブレーキを踏み続けた。

この時も事故が起こらなかったのは幸運としか言いようが無い。その後も事故にはならなかったが性懲りも無く不注意な運転を続けた。日本に戻ってから滅多に運転しなくなった。道が狭くて怖いし、私の悪運はもう使い果たしたと思うから。(終り)

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岐路に立つアメリカ

2006-03-19 12:06:39 | 国際・政治

今月6日に投稿した「迫り来る民主化ドミノ停滞後の世界」で主張した仮説「米国の孤立主義への回帰」の続きである。前回、年頭の一般教書演説は具体策の無い空疎なもので米国民は冷めた反応をしている、その背景には中西部・南部の票田で厭戦気分が広がる一方で、戦争を支持した指導者・知識階級に迷いが出てきたと書いた。単にブッシュ大統領の支持率低下と捉えない変化がありそうだと感じたからである。

今回は何故そう感じているかもう少し詳しく議論したい。一つはブッシュ政権外交の理論的バックボーンになっていたネオコンの中に迷いが出てきたことだ。「歴史の終わり」などの著作で著名な政治学者Fフクヤマ氏はネオコンと見られているが、最近の著書の中で少数のネオコン主導で誤った戦争をしたと主張した(注:私自身は読んでない、NYタイムスのエッセイ、Slateマガジンの書評からの引用)

Aサリバン氏は自分自身を含めネオコンは政府の能力を過信(誤った情報に基づく開戦)、冷戦終結大成功後の過信(イラク戦力逐次投入)、イスラム文化理解の欠如の3つの誤りを犯したと告白、米国保守派の代表的存在であるWバックレイ氏はイラク戦争の目的は明らかに失敗したと認めた(タイム3/13)。戦争を支持したネオコンが公然と戦争が誤りであったと認め始めている。

民意の変化を敏感に感じ主張を修正していく米国政治の動きはもっと露骨である。しかし、その動きは経済とか生活と連動して複雑なネジレとなって現れているように私には見える。その動きを理解するため、裏表の関係にあるグローバリゼーション側から見た姿について議論したい。

最近まで大論争になったUAEのドバイ港湾会社の米国主要6港湾会社買収はブッシュ政権の後押しにもかかわらず、共和党議員の反乱で挫折した。反対の理由は中東の会社に港湾業務を任せると国家の安全に支障が出るというものであった。しかし、これは現実的な脅威に対する理屈の通った反対ではなかったように見える。

UAEはイラクに軍隊を出し米国に最も忠実で信頼できる国の一つである。何故共和党議員は感情的とも思える反応をしたのか、勿論この秋に予定されている中間選挙を考え選挙民の反応をにらんだ結果である。であるとすれば、問題はブッシュ大統領が反対の真の理由を理解していない様に見えることのほうにあるかも知れない。

ここで私の仮説を繰り返す:テロから国を守る為のイラク戦争の大儀が米国民の心から離れ始めたのと同時進行で、米国民の心に化学変化が起こっている。連動してグローバリゼーションのコンセプトである自由市場の「神の手」は生活を守れず、安全をもたらしてくれないと考え始めたのである。イラク戦争兵士の供給源である中西部・南部の大票田、所謂レッド・ステーツで化学変化が起こっているから共和党にとって大問題なのである。

当然民主党にも微妙な変化が起こっている。報道によるとクリントン時代からグローバリゼーションを推進して来たが支持基盤の苦難を見て左シフトが起こり党内の対立が深刻になっている。次期大統領の最有力候補のヒラリー上院議員は元大統領の推進した自由貿易から立場を変えドバイ港湾会社の買収に反対した。行過ぎたグローバリゼーションは悪であるとの意思表示である。

仮説の延長として、米国政界全体にポピュリズムに流れる傾向が強くなったといわれるのは、11月の中間選挙対策としてだけではなく、背景として米国精神の変化のうねりの中にあるという事ではないかと推測する。きっかけはイラク戦争の行き詰まりであるが、振り子の向かう方向は孤立主義であり反グローバリゼーション、それは言い換えれば保護貿易である。

一方で困難な状況を抜け出すためには、イデオロギー色の薄いキッシンジャー流の現実主義的アプローチが議論され始めた。パワーポリティックが再来するかもしれない。孤立主義よりはマシかもしれないが、もしそうなると我国にはあまり得意とは言えない時代を意味する。この前は冷戦時代で日本はノンポリに徹することが出来たのだが。 

今年初め一般教書ではブッシュ大統領は孤立主義・保護貿易の危険さを訴えたのは、今になって思うと世論の変化を正しく捉えていたのかもしれない。しかし、彼の主張は全くぶれてない、イラクがこうなった以上、ここでぶれると全ては空中分解してしまう。その意味では正しいのだが、彼の得意の演説も説得力を失い空疎に聞こえてくるのは私だけだろうか。■

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強運の人(2)

2006-03-17 12:21:05 | 日記・エッセイ・コラム

昨日、田舎の母から組うちの息子さんの葬式に行くと電話があった。数日前、突然寒の戻りがあった日の早朝、凍結した路上でバイクが横転し打ちどころが悪かったという。まだ20歳だった。近所の遊び友達の子なので家族の悲しみが尚更身に沁みる。人の命はそんなに簡単なものなら私はとっくに死んだはずだ。不公平なもんだ。

その事故は米国で起こった。95年初夏に米国に駐在するまで四輪車の運転については全くのペーパー・ドライバーだった。当時ボストンにあった本社に挨拶を済ませ午前中のフライトで発った。時差があるのでシアトル空港に着いた時はもう夜も更けていた。レンタカーを借りていきなり必死の思いで高速道路I5に乗り小一時間南下し小さな町のホテルに向かった。

やがて車を買い運転免許を取り平日100km以上の通勤、週末は都心に買い物に出かけるか山道を走りキャンプに行くようになると徐々に運転にも慣れて行った。しかし、それは普通の状態の道でただ運転するだけのことだった。最初の冬が来て年に何度かの雪がシアトルに降った時が次の試練だった。

当時すでに日本車は人気でベストセラーだったトヨタのカムリを買った。前輪駆動だった。雪の多いボストンでは雪が降ると地方政府と契約した民間業者が直ちに道路に塩を撒くが、シアトルでは滅多に雪が降らないので何もせずカー・オーナーの責任で対策する必要があった。

ずっとペーパー・ドライバーで無知だった私は無謀とも思わないでチェーンもタイア交換もせず、精々用心しながら車で通勤を続けた。滅多に雪が降ることも無いので土地の人もそういう人が殆どだった。高速道路の路肩にスリップして止まっている車を何台か見かけたが格別危険な思いもせず無事に一冬過ごせた。

2度目の冬に何年かに一度の大雪(30cm程度)が降った。一冬の経験があるので時速30-40マイルで用心して会社に出勤した。ちょうどその日、東京の本社から副社長が訪問予定で、何故私なのか記憶が無いが、兎に角折り返し空港に迎えに行った。

雪は溶け始めていたがまだ高速道路の舗装面が殆ど見えなかった。ブラックアイスに気を付けろといわれたが、到着時間が迫っており少し焦り気味だったと思う。気がつくと時速50マイル(80km)で内側の追い越し車線を走っていた。何の備えもしてない私は外側の斜線を走るべきだった。

小高い丘を登りきった所で突然ハンドルが利かなくなった。車は右側に向かい始めたが最早何も出来なかった。4車線の道を内側の車線から360度回転しながら横切り、右側の岩壁に尻から突っ込んでいった。その瞬間はスロ-モーションで今でも脳裏に焼きついている。

ここから私の幸運が始まった。交通量の多い4車線の高速道路なのにどの車にも接触しなかった。岩壁は風で雪が吹き集められ理想的なクッションになっており、何のショックも無くまるで軟着陸だった。そこから100mも行けば丘を通り過ぎ陸橋になっており、車ごと転落する運命だった。この幸運のどれ一つ欠けても大事故になった可能性がある。

ショック状態で車の中でボーっとしていると、誰かが近寄ってきて携帯電話を差し出して使えという。オフィスに連絡して代わりの人を迎えに出した。そのうち別の誰かが来て60ドルでピックアップ・トラックに私の車を紐で繋いで手際よく路肩に引き出してくれた。多分事故車を見つけ小遣い稼ぎをしているのだろうけど助かった。エンジンは一発始動した。週末にプロに見てもらいタイアのアライメント調整をしたが事故のせいかどうか分からない。

車を引き出してもらったが、直後は怖くて運転する気にならず暫らく路肩に止めて車の中でじっとしていた。気がつくとハイウェイパトロールの警官が窓を叩いているのに気がついた。若い女性だった、融通が利かないと評判の。事故で友人を待っていると説明したが聞いてくれない。冷たく「路肩に止まるな、行け」と命令され仕方なくノロノロと空港まで行った。初めからそのくらいの速度で走るべきだった。

空港に着くとVIPゲストは到着していた。だいぶ待たせたが、私は空港に到達しただけで精一杯で他のことには気が回らなかった。その日は車を空港の駐車場に置いて同僚の四駆でオフィスに戻り、夜のディナーに向かった。翌日も自宅からオフィスまで送り迎えを頼み、仕事の後空港に行き車を取り出した。全く酷い経験だったが、実はこれで懲りなかった。(続く)

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WBCの興奮

2006-03-16 13:40:31 | スポーツ

米国で開催中のWBC(国別対抗野球)は先月日本で第1ラウンドが開始された時からイマイチ盛り上がりに欠けていたが、第2ラウンドで日本がアンパイアの判定もあって米国に敗れた頃から一気に注目度が上がったように感じる。

米国のメディアは依然としてWBCは紙面の隅で扱われヘッドラインを飾らない、今は野球のシーズンではないのである。WBCは本番のメジャーリーグ(MLB)シーズン開幕の前座に行われるレベルの低い大会と見做されているように感じる。

しかし、日本だけでなくドミニカ、ベネズエラ、プエルトリコ系アメリカ人等の間では熱狂的な応援と選手たちのハッスルぶりが目立ち盛り上がりが感じられる。韓国チームは日本を破り、米国・メキシコを連破、野球通を驚かせた。

米国の反応がイマイチなのはシーズン150試合を戦って勝率が最も高かったチームがナンバー1になるMLB方式の戦いが野球のあるべき姿であると思っているからであろう。選手も150試合トータルの統計データで評価される。

1シーズン殆ど休みなしで戦い抜く厚い投手陣や選手層が無ければMLBでは勝ち抜けない。

たった1試合の勝ち負けで優劣など決められない、野球とは1試合や2試合で決めるものではないという訳だ。日本のプロ野球も同じである。

一方、WBCはラウンド毎のリーグ戦はあるものの、基本は勝つか負けるかの勝負である。負ければ日本戦後のメキシコ監督のように翌日はディズニーランド行き、日本は今日韓国に勝てば次のラウンドのホテルを予約、という痺れる試合になる。

勝ち負けはその試合の勝負どころの11打にかかってくる。チームが国旗を背負った瞬間、選手のモラルは高まり観客は一気にヒートアップする。米国以外の国ではWBCの毎試合こういう興奮が続くのである。

多分その中間にあるのがワールド・シリーズや日本シリーズのような7番勝負であろう。シーズン中いくら圧倒的に勝ち続けても、最近のヤンキースのようにポストシーズンでは勝てない。短期決戦で決め手になる投手がいないことが指摘されている。又、その時の調子が上り調子かどうかにもよる。

実は見かけよりMLBの戦い方は違う。MLBでは同じチームと何度も戦い、相手チームの選手や戦い方をコンピュータを駆使し分析、データに基づき戦略を決め戦う。長いシーズンの中では選手は怪我をするし、捨てゲームも出てくる。その中で最高勝率を争う、まさに総合力の勝負である。

WBCも相手チームの分析をするだろうが、一発勝負につき物の運不運、偶然性と勝負どころの精神力の強さに依存する度合いがより強くなる。これはまさに高校野球の世界である。高校野球で郷里のチームを応援するつもりで見ると楽しめる。

日本のプロ選手の供給源となっている高校野球や社会人野球出身の選手は大きなトーナメントの経験があり、痺れる経験を何度もしてきているはずで、日本チームは昔を思い出し活躍して欲しい。■

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パソコン販売戦線、春の異変?(続)

2006-03-15 00:12:41 | インポート

パソコンの店頭販売に変化が起こっていると書いて1ヵ月たった。改めて公開されて手に入る販売情報を眺めると、何時ものパターンに戻ったように見える。しかし、僅かながら変化の目が見えるので整理してこの話題についての報告を終りにしたい。

1月から始まった春の新製品パソコン小売市場全体としては、台数ベースで昨年比2-3%減少、売上高は約8%減少しており不調である。昨年の大幅値下げの反動で価格低下が進んでおらず、LCDDVDや新機能アプリ等の魅力に欠け売りに繋がってない。AV機器との連動などの新提案もネタ切れになった。

販売が伸びてないのにこの1ヶ月間の販売価格も余り低下しておらず、メーカーの値下げ余力がなくなったようだ。その中でNECがノートパソコンの値下げとブランド力でこの1ヶ月間にシェア5ポイント回復し相変わらずの強さを見せた。しかし、市場全体を引っ張るほどには達していない。

東芝はノートパソコンのシェア2位を確保、健闘は依然続いている。1ヶ月間で東芝はシェアを3ポイント落とし、NEC6ポイント増やして定位置のトップに立った。近場の専門店を除くと東芝の製品価格は据え置き、NECは値下げをしていた。

これが全体的傾向なら私の仮説は、東芝は思ったより売れたが、これから在庫補充する時間がないか、若しくは最初から決めた数量を販売する所謂「決め撃ち」商品だったかであろう。春の商品は5月連休前に夏の商品に切り替わるはずなので、その前後で実際どうだったかある程度判ると推測される。

東芝の躍進で割を食ったのが富士通と思われる。富士通のサプライチェーンがタイトに管理されていれば、この程度なら業績への影響は最小限に抑えられるだろう。しかし規模はともあれ3月末から4月にかけ在庫処理の値下げがあるはずで、パソコンを購入計画の方はこの時期を逃せない。

前年度比販売が減少しているので強気の計画を組んでいればメーカーによっては過剰在庫が年度末決算に影響を与えるはずである。富士通以外にも在庫が多ければ来週にも値下げを始めるメーカーが出てくる可能性がある。

先だって朝日パソコンが休刊になったというニュースが流れた。休刊というのは廃刊の別名だそうだ。朝日パソコンの記事がパソコン開発に影響を与えた時代が思い出される。世界のパソコン販売台数は1.5億台以上あり依然極めて大きなビジネスなのだが、世界各国の技術者の多くは他の有望な分野に移動し、新たな技術や使い方を可能にする提案力を失った。■

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