かぶれの世界(新)

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アラビアのジャンヌ・ダルク

2006-03-14 22:03:45 | 国際・政治

今年初めの記事「イラク・トンネルの仄かな灯り」で密かに期待したイラクの民主化は宗派間の争いが激化し内戦の様相を帯び、仄かな明かりすら消えそうな事態になった。ところがこんな時誰もが予想しなかったアラビアのジャンヌ・ダルクが忽然と現れた。

ジャンヌ・ダルクとは私が勝手につけたニックネームで、実際はLAに住むシリア系アメリカ人の精神科医スルタン博士(Wafa Sultan)のことである。彼女は先月アルジャジーラのテレビに出演し世界に新鮮な驚きを与え、以来アラブ世界で論争を引き起こし世界の注目を浴びている。

彼女はイスラム宗教指導者、聖戦士、政治指導者はモハメットの教えとコーランを歪めていると厳しく非難した。殊にユダヤ人との比較はアラブ世界には刺激的だった。ユダヤはホローコストの悲劇の中から暴力ではなく知識で結果を出し世界の尊敬を勝ち得たのに、イスラムは教会を焼き、人を殺している。尊敬を受ける為には人として何をすべきか自らに問いかけよと。

テレビ放送は何百万回もインターネット・アクセスされ、数十万のメールが彼女に届いているそうだ。勿論アラブ世界のイスラム宗教指導者は彼女を非難し、おびただしい数の暗殺の脅迫があった。しかし、イスラム改革者達はテレビ出演し彼女を公然と支持した。

彼女のテレビ出演以来、従来なら誰も公に議論できないアラブ世界のタブー、例えば子供に自爆テロを強いるイスラム教育問題が批判されるようになった。彼女の主張は米国ユダヤ協会も注目し、テルアビブの会議に招待したという。

たまたま今日CNNでインタビューされているスルタン女史を見た。もう47歳だそうだけどアラブ訛の英語をゆっくりと力強く話す言葉の端々に、後に引かないしかし最悪の場合死もあるという覚悟が感じられた。まさに彼女が一人で始めた主張がアラブ世界を動かした、「アラビアのジャンヌ・ダルク」だと思った。

私は以前からイスラム原理主義のテロは草の根のイスラム社会が立ち上がらない限り食い止められないと思っていたが、このジャンヌ・ダルクが先鞭を付けてくれるかもしれない。まだトンネルの向こうの仄かな明かりは消えてない。

彼女の主張は宗教やイデオロギーにはとらわれず誰に対しても明快で理が通っている。興味のある方は検索エンジンで調べれば直ぐ分かるので是非見て欲しい。特にイスラム宗教者との論争は興味深い。■

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中国の苦悩

2006-03-13 16:22:42 | 国際・政治

中国の高度成長の裏側で噴出した様々な矛盾の報道がこのところ急増している。かつて大躍進時代や文化大革命を礼賛し、最近まで人権侵害や農村の疲弊など中国に不都合な記事を書かかなかったあの朝日新聞でさえ中国関連の記事が紙面を埋めるようになった。中国の苦悩は世界の常識となり、中国政府も公式に対応策を打ち出しているので安心して書き始めたとも言えるが。

マクロは成功、ミクロは矛盾だらけ

中国マクロ経済は昨年、二桁成長率・1-2%の物価上昇という満足すべき内容であった。しかし個別には、汚職蔓延・過剰生産と赤字企業続出・過剰労働力・資源浪費・環境破壊・格差拡大・農村疲弊・人権侵害・言論抑圧とあらゆる矛盾が一気に拡大した年でもあった。

中央の方針変更

危機感をもった中国政府は今年初め「調和の取れた成長」を目指すと、従来の成長重視の経済運営からの転換を宣言した。しかし、政権の究極の目的は共産党一党独裁政権の維持であり、雇用を犠牲にした構造改革は選択肢にないだろう、結局は従来の高度成長路線を選択するだろうと多くの識者から見られていた。

事態は思いのほか深刻

しかし5日に開幕した全人代(全国人民代表対大会)関連の報道を見ると、事態は思っていたより切迫していることが私にも分かった。地方政府に十分補償を受けないで土地を収用された農民の怒りが全国に広がり、これが共産党の理論派とオールドガードを動かしたらしい。

立ち上がったオールドガード

毛沢東以来農民が共産党を草の根で支えてきた。中央は従来国から農地を貸与する形から、農地の私有化を進め農民を守る法案を議論したかった。しかし、現在の問題は開放政策に問題があるという主張にすり替わった。共産主義が資本主義に毒されているというイデオロギー論争にになった。

時代錯誤の主張

現行の開放政策に対抗する政治勢力はそれ程大きくないらしいのだが、彼ら反対派の主張にはイスラムにおける原理主義のような少数だけど表面だって反論できない強さがあるようだ。しかし海外から金融機関への投資抑制等全くの的外れで、問題の本質は別のところにあると考える。

真の問題は地方政府

95年に地方政府に大幅な権限委譲を行い、地方政府に経済成果を競わせた時から成長と矛盾が全国で拡大生産されるようになった。非効率な重複投資もさることながら、地方政府役人の堕落の程度は凄まじい。マフィアを使って農民を痛めつけるニュースなど三国志時代の小説と変わらない。

中央政府の苦闘

加えて中央政府のエネルギーや農地の統制価格政策が逆用され矛盾を倍増させてしまった。全人代では温家宝首相は農業・農村・農民の「三農問題」解決のため有人ロケット開発の予算を削って14%増の約4.8兆円を振り向けると発表、中央に対する信頼も失われつつあるという危機感を露わにした。

中国版解決策は何?

日本は3040年前の高度成長の歪みやエネルギー危機を、民主主義と国を挙げたエネルギー対策で乗り越えていったと私は考える。技術の進歩と市場開放によって共産党政権はパンドラの箱を開けたが、中国の優秀な才能をフルに使う環境を整えればプラスに機能する可能性もある。共産党にそれが出来るかどうかが問われる。

日本への影響は?

全人代の報道を見ると胡錦濤政権の政策決定が100%フリーハンドか疑問が湧いて来た、どちらに向かっても舵取りは容易ではない。胡政権になって人権抑圧・言論統制が強化された事を考えると、日本の歴史問題カードを使うのが彼には安全でその可能性は高い。日本は言うべき事は言うとして、短絡的な反応は避け多少距離を置いて時間をかけ様子を見守るべきと私は考える。■

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強運の人(1)

2006-03-11 21:19:50 | 日記・エッセイ・コラム

強運の人とは私の運転歴のことだ。このところ堅い話が続いたので気分転換に思い出すと未だにぞっとする交通事故一歩手前の事故を紹介する。

今迄のところ車に関して自分で信じられないほど私は運が良かった。米国で交通違反しても7回中6回は切符を貰わずに切り抜けた経験を昨年紹介した。が、運がいいのは交通違反だけではない。その他にも致命的な事故になってもおかしく無い経験が何度かある。

最初はバイク事故について。30歳になった頃地元のお祭りの出店で手頃な値段の中古のホンダCBを衝動買いした。当時土日返上でぶっ続けで働くことも多く、仕事に飽きて変化が欲しかったのだろう。学生時代に自動二輪の免許を取っていたのでどの排気量のバイクにも乗れた。

その後毎年何台か中古車を買い替え、スズキのカタナ(CBR)に到達した。当時は自主規制項目になっていた赤のフル・カウリングを改造で取り付けたもので標準タイプに比べ断然格好良かった。一時期は毎週土曜の夜甲州街道をぶっ飛ばし、週末に遠出することもあった。家内を乗せタンデム走行であちこちに行った。

週末に土曜の早朝自宅を発ち、立川から奥多摩街道を走り柳沢峠を越え塩山に下り甲州街道に戻るコースを半日でこなせた。その時は峠を越えた頃から前方のカワサキGPZの後につき、追っ掛け追いつ追われつ走っていた。

大月を過ぎた辺りだった。見通しが良い緩やかな左カーブのはずなのに、気がつくとセンターラインを飛び出しそうになり、慌てたのかやってはいけないことをやった。フロント・ブレーキ・レバーを引いて前輪ロックさせてしまった。

峠を越え安心して一瞬集中が途切れたのだと思う。時速70km程度でそう飛ばしていた訳ではないのが幸運だった。車体は左側に倒れ右側の対向車線に向かい回転せずスライドして行き路肩まで達して止まった。

厚手のジーンズのボタンは飛んで無くなりファスナーは開ききっていた。膝は穴が開き、骨が見えそうだったが足は動いた。堅固な専用ブーツで足指は守られていた。革ジャンの肋骨あたりも擦り切れて穴が開いていたが、幸い何処も動かないところはなかった。 

気がつくと先行していたGPZが戻って来てバイクの様子を見てくれた。クラッチレバーの先端が擦り切れて半円形(当時ダイエー・マークと言った)になっていた。オイルが少しこぼれたがエンジンは一発始動した。ギア・ポジションが滅茶苦茶になっていたが、動作位置を調整して何とか低速で乗れるようにしてくれた。

そうした間も途切れることなく車が通り過ぎて行ったが、対向車線をスライドしていった時は幸運にも対抗車線の交通が途絶えていた。幹線道路の甲州街道であり通常途切れない交通量のことを考えると幸運だったとしか言い様が無い。

小仏峠をゆっくり走り高尾経由で何とか自宅まで辿り着いた。見知らぬ私をほんの少しつるんで走っただけでわざわざ戻って助けてくれたGPZの彼に感謝したが、気が動転していたので十分お礼が出来なかったのが未だに気になる。

怪我は打撲と擦過傷だけだった。医者の説明では擦り切れて黒くなった膝は火傷と同じだが骨に異常はなかった。医者には3回通っただけだ。その後バイク・ショップで調べると前輪の支柱がやや曲がりバランスが悪くなっていたが何とか支障なく乗れるようにしてくれた。その後暫らくは怖くて非常に用心深い運転をした。(続く)■

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量的緩和解除決定は妥当

2006-03-09 23:25:49 | 社会・経済

日銀は注目されていた量的金融緩和政策の解除を本日の政策委員会・金融政策決定会合で決めた。3月の解除はないという慎重論が有力だったので、意外に早い解除という見方があるが、私は以下の理由で妥当であると考える。

元来量的緩和政策は民間の資金需要と金融システム不安対策のため、不良債権処理を後押しすることが目的だった。量的緩和政策実施後、日銀の当座預金残高は04年には3035兆円にまで膨れ上がる異常な状態が続いていた。この結果、銀行は息をつき主要企業は史上最高利益を叩き出すまでに収益性を回復した。

デフレは終っていないと憂慮する声はあるが、そもそもデフレはグローバリゼーションの進展に伴う構造的なもので、今後もグローバリゼーション下の世界が提供する最安値で物価が安定的に推移すると考える。中国の供給過剰など今後もデフレ要因は強く、その中で日本経済が成長する力強さが回復したと判断したのである。

量的緩和は民間資金需要を満たす目的から外れ、低金利資金が海外に流れ(所謂円キャリー)によりグローバルマネーの供給元になった。一方、預金者の逸失利益は01/3の量的緩和から05/9までに20兆円(第一生命研究所)に達し、個人マネーの海外流出が続いた。

家計の金融資産14537千億円(日銀試算05/09)のうちリスク資産(株式・信託投資・外貨預金・対外証券投資)が年間で23%増加し153兆円となった。外貨建て投信の純資産残高20兆円弱(量的緩和で6倍増になった)、金融資産に占めるリスク資産比率が10.5%となり、安定志向から投資に向け始めた。

3月の量的緩和解除が適切であると考えるのは、物価上昇だけでなく余剰資金が株式や不動産に向かいバブル化しつつあるからである。現在市中に出回っている資金量はバブル時代より20-30%多いと報じられており、不健全な領域へ資金が流れる恐れが無いとは言えないのである。

株式市場は昨日まで量的緩和解除を恐れ軟調に推移していたが、ゼロ金利は当面継続すると発表されたのを受け400円余り上げ落ち着きを取り戻したように感じる。今後どう展開するか専門家の詳細な検討を見たいが、この決定により日銀は市場との正常な形で対話が出来るようになったといえる。

適切な対話の実行は日本経済の健全な成長に貢献すると考える。竹中総務相が言うように今後の日本経済について日銀は自ら大きな責任を抱えた。その通りだが、決して間違った決定をした訳では無いと私は考える。■

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影響を受けた10冊の本

2006-03-07 10:51:28 | 本と雑誌

10-20代初めは漱石や龍之介・鴎外、ロランやシュトルム等所謂名作といわれる小説を読み漁った。期末試験前日に静かな心で漱石を読むと何故か熟睡でき翌日頭が冴えた。私の功利主義的性格は仕事に就くとすぐに現れ、文芸作品から離れ自分の関心・目的にあったNF(ノンフィクション)を選んで読むようになり、その中で波長の合うものに影響を受けた。専門書を除き私が夫々の年代で影響を受けたと記憶する書物10冊余を当時の読書傾向とあわせ紹介する。

20代 昭和史探求時代、どういう時代に生きているのか

昭和憲法史 長谷川正安

昭和史発屈 松本清張

学校の歴史で教わらなかった戦前戦後の日本歴史がこの2冊の本で連続、繋がった。「昭和憲法史」は戦後左翼知識人のマルクス史観を私の思考パターンに焼付けた。戦後経済復興と平行して噴出した社会矛盾に接して、当時の世の中が戦前の軍国主義時代をどう総括し改革されたのか知りたくなり、現代史物を多く読んだ。当時体系的な歴史の評価をしたものはマルクス史観をおいてなく、結果的にその影響から脱するのに長い時間がかかった。清張を読むまで私にとって戦前と戦後の日本は全く別の世界だった。

30代 多読・乱読時代、自分探し

交遊録 アーノルド・トインビー

傍観者の時代 PFドラッカー

両巨人の代表的な著作よりもこの2冊の謂わば「人との巡り会い個人史」が30代の読書で鮮明に記憶に残っている。トインビーの相手の欠点を明らかにしながらの長所を見失わない歴史家の目、ドラッカーの古きよき時代の癖がある人物の根底に確固たる物を見出す眼力を感じた。読んだ当時彼らは何故もこんなに巡り合いに恵まれているのか、自分の才能の無さの言い訳にした。

ベスト&ブライテスト/メディアの権力 デイビット・ハルバーシュタム

大統領の陰謀/最後の日々 Bウッドワード・Kバーンシュタイン

米国最良にして最高の人材が集まったケネディからジョンソン政権がベトナム戦争の泥沼に入っていく様を描かれており、冷戦時代の民主義システムが機能することの難しさを知った。権力が民主主義の弱さをついて堕落した時、メディアが第4の権力として力を得てどういう役割を果たしたか、私には教科書ではない生の現代米国民主主義を知った書物である。その後米国人と仕事をする上で守るべき規範や手順を大枠で理解するのに役に立った。

40代 日本人論的戦略探求、仕事に熱中

坂の上の雲 司馬遼太郎

零戦燃ゆ 柳田邦男

明治時代に日本が極東の小国から世界の大国になっていく様を二人の軍人を通して描いた「坂の上の雲」と、その成功体験が仇となり歪なコンセプトに基づくゼロ戦が最終的に米国に敗れる「零戦燃ゆ」は、私にとって百年に亘る繋がった一つの長編物語である。二つの物語を結びつけるキーワードは日本軍人の精神主義信仰だった。会社幹部になった頃で、この本は物事を戦略的に考える重要性と動機を与えてくれた。

50代 大局観探求、新宇宙船地球号の未来探し

文明の衝突 サミュエル・ハンチントン

ローマ人の物語 塩野七生(読書進行途中) 

歴史を見る目を古代から現代まで広い視野を与えてくれた本。グローバリゼーションの世界を解く3部作の中で私は「文明の衝突」を最も普遍性が高いと評価する。「ローマ人の物語」は一昨年以来一旦休憩中だが、塩野さんの著作に共通する感性と冷徹な歴史観は未来にも適用しうる何かを感じる。

これらの本は私の勝手な書評のレベル4(名著です)か、5(人生観が変わった)に当たるものである。45は本の価値を表すわけではないので表示しないことにした。ここに紹介しなかった本の中にも名著で動かされたものは沢山あるが、同じ傾向の本は代表的なものを選んだ。

若い頃は昭和史にはまったが、並行して昭和を越えて古代「ガリア戦記」から現代ゲリラ戦「ブラック・ホーク・ダウン」まで沢山の戦記物を実に熱心に読んだ。今回見直した結果“影響を受けた本”として純粋な戦記物は1冊も選ばず司馬遼太郎と柳田邦男を入れたのは、我ながら驚いている。多分年齢が本の評価を変えさせたと思う。

振り返ってみると殆どいつも本を読んできた積りでも、実はほんの一滴で特にもっと古典を読むべきだったという思いがある。その時の流行に流されない読書をしてきたつもりだが、こうやって見るとまるで流行を追っ掛けるような読書歴で今までの言葉がいささか恥かしくなる。■

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