かぶれの世界(新)

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震災報道1年を振り返って

2012-03-24 21:28:59 | ニュース

3月11日に「天邪鬼大震災1周年考」で震災報道の反省がないと指摘した。その後、NHKは特集番組で震災報道を見直し今後どう改善していくか伝えた。とても重要なことだと思うが、私が見る限り自らの震災報道を真面目に検証したのはNHKだけだった。NHKが公共放送としての責任を果たそうという姿勢は、少なくとも民放より信頼でき頼りになると感じた。

中でも印象に残ったのは、今回の大震災は東北地方の沿岸地帯総てに亘る広範な地域をカバーすることが求められ、さすがのNHKでも取り残しがあった。報じられない地域には食料品からボランティアまで支援が届きにくいという結果がモロに現われたという。米国のカトリーナに比べても我国におけるテレビの影響力は非常に大きいと改めて実感した。

その改善策としてNHKは今後地元のミニコミとの連携をより強めていくと番組は伝えていた。勿論悪くはないのだが、私はそれでは足りないと思った。今後ネットや民放との連携をもっと真剣に考えて欲しいと思った。このような未曾有の国難が襲った時、官製でなく自発的な情報共有まで踏み込んで欲しかった。国のリスク管理の拙劣さを指摘する声が多かったが、どう見てもマスコミにも大震災に備える準備などなかった。

最も印象に残っているのが、福島第1原発が水素爆発した時日本テレビ系だけがその瞬間の映像を伝え、NHKは何も伝えず政府も情報が上がらずツンボ桟敷に置かれた時間が長く続いた。この時ほど連携が必要だと感じた瞬間はなかった。その他に民放が特定の地域に入り特ダネの積りで得々と被害状況を報じているのは少々違和感があった。それよりマスコミ全体でカバーされてない地域をリストして各局に割り当て対応して欲しかった。

もう一つマスコミが日本中を混乱させたのが統一の取れない放射能汚染情報だ。東電・政府の対応のまずさは根掘り葉掘り報じられた。しかし、マスコミ報道も褒められたものではなかった。汚染領域が広範囲に広がるにつれ、メディアは色々な意見の持ち主の専門家を登場させ勝手に発言させることにより国民を混乱させた。

当時の報道を振り返って、情報が淘汰され収束するプロセスがなかったように感じる。包み隠さず全てを知らせるのが重要という説く人は圧倒的に多く、それに表立って反対する声はない。だが、同時に情報を淘汰して収束させるプロセスがあるか、メディアがその役割を果たせる見識があるか私は疑う。先に投稿した「朝日の変心」のバランスの取れた見識は、やっと12月になって出た。

米国の尊敬を受けるアンカーマンのようなプロのジャーナリストの考え抜いた意見がニュース報道をリードすると混乱した情報の収束には役に立つかもしれない。しかし、日本に政治リーダーが稀有な存在であるように、そんなジャーナリストもまた稀有な存在だ。ないものねだりかもしれない。

もう一つNHKの見直しが不十分に感じたのは、マスコミのあり方まで踏み込んだ反省になってないのが原因のように感じる。それは世の大勢に流され報道姿勢の軸がしっかりしてないことだ。簡単でないのは分かる。最も典型的な例が、現在注目され論争になっている大飯を始めとする原発の再稼動である。

私は原発の専門家ではないから判断の技術的妥当性については分からない。だが私には報道のスタンスが原発安全性確認の仮定にバイアスが掛かっているように感じる。例えばストレステストは東北大震災より大きい(記憶が正しければ1.7倍)地震に耐えられる結果が出たのに対し、それ以上の大震災が起こった時に安全かどうか確認できてないことが反対の理由の一つだ。

一方で関電の全原発を停止させた場合何が起こるのか、厳しいシミュレ-ションがされ情報開示されて無いことだ。全原発を停止した場合のストレステストもやるべきだと考える。原発を停止したら昨夏のような酷暑だと電力が18%不足する、平年ならほぼ足りるという説明をテレビで見た。だが、例えば今年の夏が史上最悪の酷暑になったら一体何が起こるか検討し、そのデータもテーブルに載せ意思決定すべきと思う。それは一方で、国民に覚悟し準備してもらうメリットもある。

電力不足で広範な地域でブラックアウト(大停電)が起こったら何が起こるか、病院の患者、信号がなくなって交通網、冷房が切れ独り暮らしの老人等等。火力発電をフル稼働させたら石油輸入がどれだけ増え、コスト上昇がどうなるか、貿易赤字はどう悪化するか、イラン情勢が悪化した時原油上昇の影響とエネルギーコストの上昇を国民はいくら負担することになるのか。

現在の報道は原発再稼動反対にバイアスがかかっている。少なくとも報道量には大きな差がある。そこで思考停止せず、両方の場合その先に何があるのか、政府や自治体はその先に何が起こると考え備えているのか、そういう情報を詳細に国民に知らせないと感情論で終る。どうせ100%の解は無い。さもないと、70年前に煽られた国民の声を背に無計画な戦争を後押しした新聞報道と変わらないように感じるがどうだろうか。■

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アグリージャパニーズ(訂正)

2012-03-23 16:52:36 | ニュース

がれき処理の遅れで震災地の復興が停滞していることについて、受入を要請された自治体の首長や議会は概して前向きだが、住民の反発で難航していると先月「アグリージャパニーズ」で指摘した。受入を表明した神奈川県知事に抗議する人達が報じられたニュースを見て、被災地の苦難を自分のこととして捉えることのできない「美しくない」人達だと。

だが、黒岩知事が出席して実施したがれき受け入れ予定地区住民への説明会で、会場を埋めて反対したのは実は地区とは関係のない原発反対運動家達だった、地区住民は会場に入れず外で聞いていたことを知った。住民にとって県の説明が十分でなく受け入れ表明が唐突だった上に、説明会でも反対運動家にかき回され十分な議論が出来ず生煮えで終わったという。

そういう経過を知らずに「アグリージャパニーズ」とは言い過ぎだった、申し訳なく訂正したいと思う。何とか被災地を支援したいが、どう考えたものか「迷える住民」と言うべきでした。そういう心情は人として十分理解できる、このニュースを聞いてそう思い同時に何だかホッとした。

現在滞在中の愛媛県では、がれきの状況が不透明な現状での受け入れは拒否する、国が基準を明確にして住民を説得したら受け入れたいと知事が応えるローカルニュースが流れた。チョットがっかりした。彼は支援する気持ちが本当なのか疑問に感じた。(実家のある大洲市も受け入れの候補になっているそうだが、土地の人達がどういう反応なのかまだ知らない。)

と言うのは、がれきがどういう状況か分からないというのは断わる言訳に聞える。岩手宮城両県のがれきがどういう性格のものかは何度も伝えられている。それでも住民にある疑念を晴らす為に静岡県島田市と自治会が現地に行き確認し受け入れプロセスを作った。中村知事は始めから支援は他人任せだから、がれきに疑念があること良い言訳に国待ち状態にしたと感じた。

状況が分からないとか、国がどうこう言う前に、最低限やれることが沢山あるはずだ。それもやらないなら逆の立場に立った時に抜け抜けと支援を期待するなよと私は言いたい。ところが、瀬戸大橋の通行料金を下げる為に本州の高速道路料金からの支援の話がもう進んでいた。よく言えるなー、被災地を走る高速道路料金も支援の一部と私は思うが。随分都合の良い「絆」だ。■

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分かってないなー(大震災1年後の二人の政治家)

2012-03-21 23:26:37 | 国際・政治

この記事を投稿するにあたり、記憶に残る2冊の本を手元に置いて参照している。「ワイマル共和国 林健太郎 1963 中公新書」と「日本改造計画 小沢一郎 1993 講談社」である。ジャンルは違うが2冊ともよく引用される名著ではないかと思う。私は別の理由で今日の政治状況を語る上で参考にした。政府は叩かれっ放しだが、それを許した二人の政治家(屋)を2冊の本を引用して指摘したい。

垣自民党総裁は18日京都府内での講演で、大阪維新の会が地方自治体の枠を超えて国政進出を伺う政治状況を、戦前に日本軍部やヒトラー、ムソリーニが台頭した際を想起させるとの観点から警鐘を鳴らしたと報じられた。講演を聴いてないので前後の関係は不明だが、(既成政党への失望が)橋下市長のヒトラー的な独裁的手法への期待が生まれている状況に似てると警告と理解した。

私はこの発言を聞いて、大震災後の1年間の政治の停滞に最大野党の党首として全く責任を感じているように感じなかった。原発事故を誘発した原子力村を作り、経産省下に原子力行政を置いた自民党の責任を忘れ政府追及に忙しかった。厳しい現状認識があるならば国家の緊急事態に対処する政策を党派を超えて取り組むべき1年だったはずだ。評論家ではない、責任野党の党首なのだ。

谷垣氏が想起した20世紀初期のドイツの状況、民主主義からナチス誕生までが最初の本に描かれている。第1次世界大戦後生まれたワイマル共和国が僅か14年で崩壊し、しかも怪物(ナチス)を生み出す要因になったと林健太郎は結んでいる。以下にワイマル共和国失敗の原因の最後の部分を以下に紹介したい。谷垣氏の指摘は評論家としては的を射ているように感じる。しかし、それが自分の責任とは思ってないようである。分かってないなー。

「ドイツ国民はビスマルク以来、官僚の支配に馴れており、自らが国家を形作るという意識と慣行に欠けていた。その彼らが敗戦によって突然、民主主義と政党政治という新しい実践を課せられた時、彼らはそれをいかに駆使するかに迷った。そして政党政治がいたずらに混乱をもたらしたように見えた時、彼らは彼らの手にゆだねられた共和国をむしろ重荷と感ずるようになり、上からの強力な支配に救いを求める人々が増えたのである。

伝統的な上からの支配は未だなおドイツ人の心情に合致していた。しかし他方において第一次大戦後、ドイツ国民の陥った苦境は何らかの現状打破を要求していた。ここに国民の不満を最高度に刺激しながらその解決をもっぱら外国、外来思想及び異人種の排撃に求めるナチスが国民の異常な人気を博する理由があった。・・・・」

沢一郎元民主党代表がこの1年間の政治の停滞の責任の一端を政府野党と共に負うと私は考える。民主党政権発足以来、小沢氏の政治活動で国民の為になったことが一つでもあったろうか。特に大震災が起こってから被災者の為に小沢氏が何もやらなかったのは驚きだった。詳細は日経BPの安藤記者の優れたレポート「被災地より政局の小沢一郎の1年」に譲りたい。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20120313/229769/?mlt&rt=nocnt 

小沢氏が書いた「日本改造計画」で規制緩和や市場開放などの構造改革を初めて読んで、その先を見通す視野の広さに大げさに言えば私は感激した。しかし、その後の彼のやった事は「日本改造計画」と真逆の政策を掲げた。その時々の政局で都合の良いように政策を使い分けた。一貫して、政策を実現する為の政局ではなく、権力闘争に勝つための政策だった。(それに平気な主流メディアにも失望したが、それは又別の機会に)

巧妙に政局を作り出すその場その場の理屈付けを聞く度に私は失望し、民主党政権が誕生した時に小沢氏はいつか問題(政局)を起こすだろうと言う予感がした。民主党政権にはマイナスに働く時が来ると。だが、この1年の小沢氏の政治活動はそれだけでは説明できない何か強い動機があったように感じる。

私は上記の安藤記者がいうこの政治屋が何故選挙に強いのか、岩手県の人達が何故彼に票を入れるのか、何故多くの新人議員が彼の周りに群れるのか十分理解できてない。或いは、大震災後の地元への不義理や裁判中の金権体質で事情が変化し、次の選挙では今までとは違った結果をもたらすのだろうか。新人議員はそういう恐れを持っていないのだろうか。私には、「分かってないなー」と思うのだが。■

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田舎暮らし雑感12春(2)

2012-03-18 16:15:32 | 日記・エッセイ・コラム

季節が冬から春へ移る時の典型的な気候である三寒四温の日々が続いている。散歩で出会うオバサン達(何故かオジサンとは滅多に出会わない)との挨拶は、土地の言葉で「温(ぬく)うなったのー」か「又、寒うなったのー」のどちらかで始まる。それでも着実に暖かくなりつつあるのは、表通りの梅の花の開き具合で分かる。

田舎に来てこの1ヶ月間、平年より低温で何も農業しなかった。だが、徐々に暖かくなって雑草が気になり手当てが必要になって来た。3日前暖かい日差しの下で東屋のテーブルの覆いを取って、気持ち良くお茶を飲み本を読んだ。残念なことに楽しみはたった1日で終、一昨日から終日断続的な小雨の生暖かい日が続き外出する気にもならず家に篭っている。

今月初めに炊飯器と掃除機を買った。新生活スタートの応援キャンペーン・セールで独り暮らし用の家電商品が安く買えたからだ。ケチな私も待っていた甲斐があって安く買えた。母が30年位使っていたガス炊飯器をIH式に買い換えた。ハイテック炊飯器でもっと美味しくご飯が炊けると期待したのだが、結論から言うとそう変らなかった。

ガン騒動が終わり体調は悪くない。2月の夜間のバドミントン練習は寒さで参加する気にならず、その後行きづらくなった。結局一度も参加してない。代わりに2週間前からジョギングを再開した。最初はゆっくりと10km足らずを走り、1日遅れて筋肉痛が出た。三度目くらいから慣れてきて、昨年のガン騒動前と同じ10マイル走るようになり、筋肉痛や膝痛も出なくなった。

しかし、前立腺肥大症の影響は相変わらずだ。今、排尿は2-3時間おきまで改善し、1回あたりの排尿の量も増えた。先月ガンセンターの担当医は要治療ではなく、様子見で良いと言った。多分これ以上良くなる事はないだろうと覚悟している。

頻尿より厄介なのは、温かいコタツから出て下半身が急に冷えると急に催す尿意だ。食後の皿洗いに立った時とか、コタツに入っている時に電話を受け立ち上がった時とかに、予告なく尿意を催し我慢できなくなって皿洗いや電話を中断しなければならなくなる。

電話を切る時の言訳は急な来客ということにしている。車に乗る時は必ず直前に小便し、その後1時間余りは問題なく運転を続けることが出来る。寧ろトイレの無い汽車の方が危険だ。しかし、昨秋の通風で動けない時の1時間おきの排尿は地獄だった。それに比べればなんてことはない。年をとるという事はこういった普通のことが出来なることだという。まだ始まったばかりだ。■

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介護録12春(3)

2012-03-16 11:16:25 | 健康・病気

母を見舞いに行くのがとても気が重い。インフルエンザの感染予防のための面会禁止が解けて火曜日に施設を訪問して見た母の顔はかなり衝撃的だった。抜糸したばかりという母は左目の周りから下側が青く膨れ上がり、四谷怪談に出てくるお岩さんが歳を重ねると更に迫力出てこうなるだろうという顔だった。最早、母の元気だった頃の面影は全くない。

介護の方に聞くとまだ良くなった方だという。彼女達はその程度で一々驚いてられないだろうが、私には元気な頃の顔が刷り込まれ、年々形が崩れてきた母の顔は意識的に記憶から消し去っている。毎回面会に行くと元気な頃とのギャップにショックを受ける。義弟が昨年頃から田舎に来ても面会に行かなくなった気持ちが私には良く分かる。

額を怪我して以来ケアプランの見直しをするというので施設長から詳細を聞いた。①完全流動食へ移行、②ベッドにセンサーマットを敷き母がベッドを離れたか監視、③車椅子の足掛けを除く、の3点を考えているということだった。

しかし、センサーマットは母が寝返りを打つたびに事務所のアラームが24時間いつでも鳴るので撤去したという。ベッドから転落した時は母が熱を出していたときと重なるので、平熱に戻った今は多分大丈夫だろう、24時間張り付く訳には行かないといわれ了解するしかなかった。

流動食にしたものの母が掻き込む様に一気に飲み込むのは変わらないので、食事時に喉に詰まらない様見守りをお願いするしかなかった。今更ゆっくり食えといっても母が変わるとは思えない。気管支に炎症が起こっているので1週間分の抗生剤とタン切りの薬を服用したという。

今週見舞った時ベッドの母は殆ど反応がなかった。私に気付いた様子もなく急に心配になった。風呂に入れてくれるため担当の介護士が来て促してもベッドから動かず、終いに殆ど介護士の力で車椅子に移った。お風呂まで車椅子を押して行った。後何回これが出来るだろうか。■

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