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月14日「アグリージャパニーズ」で、東日本大震災で発生した膨大な量のがれき処理が遅れて、復興の障害になっていると投稿した。環境省が全国の自治体にがれきの受入を要請したが、東北2県と東京都以外の自治体から相次いで受入を拒否され難航、一旦受入を表明した自治体も住民の反対を受けて腰砕けになっていた。
それから1ヵ月、大震災1周年を迎え依然がれき処理は停滞したままだ。事態を憂慮した野田首相はがれき処理は「被災地」と「それ以外」、「国」「自治体」と「国民」という区分けをして考えるべき事柄ではなく、すべての国民が「当事者」と考えてくれと要請した。(総理のブログから)
前後して、幾つかの自治体は受入れを表明しだしたようだが、一部住民からの反対の声も強い。数日前に北九州市議会ががれき受け入れ提案を全会一致で可決した時、傍聴席から反対の怒号が中継された。民社・自民から共産党まで全議員が賛成するという珍しい状況で絶対反対を唱える住民、この怒れる少数派を私は「アグリー1%」だと名づけた。
上記ブログで野田総理は「助け合い、支え合った日本人の気高き精神を世界が賞賛しました。今こそ再び、日本人の国民性が問われています。」と受入を促した。要は恥を知れと言った訳だ。(時間は前後するが)北九州市議会は意を受けて満場一致で応え、怒声を浴びせる傍聴席の住民は私には醜く感じた。これが彼らを「アグリー1%」と命名した理由だ。
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状すると何が何でも反対という彼等の気持ちが全く分からない訳ではない。というのは3.11後乳飲み子を抱える長男の嫁が水道の放射能汚染に不安を持ったと聞き、私は田舎のスーパーを駆け巡り手に入れたペットボトルの水を東京に送った。
その時彼女は合理的な説明だけでは説得出来なかった。同じ乳飲み子を抱えるママ友達は皆ペットボトルの水しか使わないと聞き、彼女だけ自分の子供に水道水を使えと言えなかった。なるほど、風評被害もこういうプロセスで広がるのかと思った。長男は彼女の気持ちの問題を解決してやる必要があると言い、私も全くその通りと思った。
しかし、現在は野田首相の言うようにがれきの汚染濃度は通常のゴミと変わらない、自然界から発生する放射能線量の方が100倍以上も大きい。不安があれば汚染濃度の測定確認を厳重にするよう要求すべきで、これでは絶対反対の言いがかりとしか思えない。
危機発生時の一時的な不安じゃない、根拠は無いが先の見えない不安からの反対は扱いが難しい。例えばがれき処理施設の近くにあるというだけで作物が売れなくなる風評被害が立たないとは保証がない。この無意味な不安の悪循環はどう断ち切れるのか。マクロで見れば誰の為にもならないのだが。残りの99%が物を言うしかないと考える。
---この辺から脱線して想像を膨らませたい。
近 |
年この手の「アグリー1%」が強い力を得たと私は感じる。民主主義の意思決定プロセスの原則は「最大多数の主張を通し、同時に少数派への配慮する」もののはずだ。しかし、1%にも満たない国民の支持しかない主張が意図しなくとも大多数の国民の問題解決を停滞させたり、それに優先して決定されたりする。
物事を単純化していうと、国の安全保障・社会保障や財政がアグリー1%のために歪められ、残りの物言わぬ99%が知らぬ間に不利益を被っている構図があるとの危機感が私にはある。過去に少数派が無視されてきた歴史の見直しは必要だし、振り子が逆に振れ過ぎることも理解できる。だが、今の状況はそれとは少し違うと感じる。
それが大阪維新を生んだというのは飛躍だろうか。橋下氏は民主主義は多数決で決めることだと言い、少数派をばっさり切る姿勢が支持を受けていると感じる。彼の下では10%-20%に配慮はあっても「アグリー1%」はバンバン切り捨てられるだろう。
少数派といえども逆の場合もある。米国で始まり世界に広まった「ウォール街占拠(OWS)」運動の合言葉はWe are the 99%.だった。国の大半の富を保有するたった1%の強欲な(greed)富裕層に対する抗議のデモだった。そのシンボルがウォール街だった。大声を出したのは物言わぬ中流階級だった人達で、失業して脱落しかかり立ち上がった。これまでの経過を見ると、今後彼らが力を発揮できるかどうか難しいかもしれないが。■