八十路徒然なるままに

春暮れてのち夏になり、夏果てて秋の来るにはあらず、春はやがて夏の気をもよほしーーー。徒然草より

禅の言葉、「両忘」

2013年04月18日 19時37分44秒 | Weblog
ここ一週間、近隣の人と、旧知の人と、伯母の葬儀が続いた。近隣と旧知は、焼香だけで、失礼をした。伯母は,神式の納棺と通夜、葬儀と火葬、埋葬と二日間の立会いだつた。伯母は風邪で、診察をしてもらい、薬も服用をしていたという。ひとり暮らしでいたが、遠方の息子が、たびたび訪れていたという。隣家のひとが、回覧板を届けに来たときに、食べてないというので、粥をとどけてくれたりと、なにかと気ずかってもらったとか。どの人も、この世からの別れを、見送るのは悲しいものだ。これも世の常だろう。自分自身、どんな形があるのか。迷いだすたびに、禅語の「両忘」を思い出し、本をめくってみる。理解はできないが、今を精いっぱい生きよとあるので、安らぎをしている。八月に99歳になる、義母の話し相手を、たまぁ-にしている。今日は、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏だぁ」って、「仏様、拝んでんだぁ」って、言っていた。ばあちゃんの頭の中は、いろいろなことが、浮かんでいるようだ。

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