八十路徒然なるままに

のどかなる日影に、垣根の草もえ出づるころより、やや春ふかく霞わたりてーーー。徒然草より

校歌の、あかいだけ。

2014年06月07日 22時00分08秒 | Weblog
画像は、平第一中学校の、ホ-ムペ-ジを、カシャッとした。校歌の二番に、「閼伽井岳」とある。前回、日本語は、むずかしいと、ブログをした。校歌で使うのだから、意味があるのだろう。別の話しだが、平一中を卒業した時の、クラス会の、冊子を、今、第四号を作っている。第一号は、「夏の味」。二号は「瀬戸峨廊」、三号は「閼伽井嶽。今回は、「ぬくもり」とした。同級生から届いている、「句」と、おもいおもいに書いて寄せている手紙。平一小への「爆弾投下」や、「通院時に側溝に転落、周りに居た人が、救急車の手配、頭部裂傷のこと」とかを綴る。望郷で、「新舞子浜をスケッチ」、これを二枚。カラ-プリントして、綴りこむ。30部発行。20人位は、卒業以来、顔を合わせたことがない。冊子を待っているかどうかはわからない。ひとりよがって、作っている。あっちこっち飛んだブログで、すみません。

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校歌の、「あかいだけ」

2014年06月07日 21時25分39秒 | Weblog
生まれてから、四分の三世紀がすぎた。こんな拙いブログを載せられるのも、小学校、中学校、高校と、びりでも、自分なりに、学んだことが、土台になっていると、感謝している。小生が、学びはじめたのは、「サイタ サイタ サクラガ サイタ」の時代だっのかも。漢字が読めるようになり、文章も読めるようになった。読むことが、物事を理解すると思う。オフコンから、マイコン。死語になっているのかも。その、マイコンは、仕事で、数字、数字と、テンキ-をたたいていた。テンキ-をたたくことも、文字を読んで、理解をした。出来ないなりに、学んだことが、役にたっている。画像とは、別の話になっているが、日本語は、むずかしい。この歳になって、スカスカの脳で理解できないようになっているのは、承知をしいる。昨年春から、身のほどしらずに、写経に、閼伽井嶽、薬師、常福寺にいっている。「あかいだけ」は、「赤井岳」もあれば、「赤井嶽」もある。また、「閼伽井嶽」もある。画像の校歌が、「創立百年」の記念誌にのっているのを、カシャッとした。「創立百年」の中で、明治四十四年に、校歌の制定。そこには、「峰は秀づ 閼伽井嶽」とある。校歌も、時代の変遷で、「閼伽井嶽」から、「赤井嶽」に、なったのかも。遠い、遠い、はるか昔ぁしを、思い出す校歌だ

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