今年、最後の写経会があった。今年は三月と、四月と、今回の三回で、四月は、コロナのこともあり、欠席をした。五月からは、休会だった。写経生とは、久しぶりの再会。皆さん元気、元気。聞くと、会とは別に、希望をして、写経をしていた方もおられた。法話は、普通の日常が、このコロナ禍で、当たり前のことが出来なくなっている。当たり前ということの、裏側は、ありがたいということ。感染防止が、通常になつている。世の中の変化が、急になっている。変化が当たり前になつている。これが当たり前と思うと、日々の生活が、ありがたいことと、なるのだろう。コロナにも、フンエンザにも、感染しないことを、願っている。早いもので、今年も、あと20日余りとなった。小春日和だったり、急に木枯らしが、吹き荒れたり、冬なりのお天気なのだろう。本格的な冬の到来は、15日頃からと、へぼ予測をしている。ご来訪の皆さま方、向寒の折、ご自愛ください。
前記の今日は何の日の、書き出しの部分の、「八十年前」は、正しくは、「七十九年前」です。来年の暦をみてました。ボケの一つと、ご容赦ください。
今日は、八十年前の、12月8日は、アメリカに、戦争を仕掛けた日。戦中戦後の、一般生活のことは、うすうすしか覚えていない。後々になって、昭和39年に、朝日新聞社発行の「マッカーサー回想記」を読んだ。画像は、その中に、記載されている、「1945年11月1日開始する予定だった、日本本土上陸作戦の図」。その年の、5月25日に、九州へは、11月1日に、「オリンピック作戦」、日本本土へは、「コロネット作戦」と、称して、攻撃を開始する命令を発したと読んだ。全体の作戦名は、「ダウンフォール」という、暗号名だと、読んだ。八月の十五日に、戦争は終了したが、七月の25日に、日本が、降伏か、壊滅かの選択をする、「ポツタム宣言」が、発せられたが、日本か、もたもたしている間、日本各地を最大の空襲をしたと、読んだ。八月の12日に、攻撃活動の停止をしたが、13日になっても、日本の回答がないので、日本各地への、攻撃活動を再開、空母積載機1000機が、東京に最後の空襲をおこなったと、読んだ。広島と長崎へ、原子爆弾投下は、戦略空軍が、おこなったと、読んだ。八月の15日に、日本からの、最終的な降伏通告で、戦争が終わったと、読んだ。かなり省略してます。ご容赦ください。