八十路徒然なるままに

すざまじきものにして見る人もなき月の寒けく澄める、廿日のあまりの空こそ、心ぼそきものなれ。徒然草より

三七日過ぎた

2022年08月29日 18時56分34秒 | Weblog

画像は、昨年四月に撮ったもの。昨日、三七日の墓参だった。ぼけーつとしている時、思い出すことがある。脳梗塞の後、右手で、ベットの上で、自分の手で、食事をしていた。二度目の脳梗塞が発症して、退院後には、自分の右手でも、食べることが、ままならなくなった。妻が食べさせていた。小生は別棟で、寝起きをしていたので、介護の事は、知らずにいた。ある時、様子を見るわけではなく、ちょこっと、覗くと、車椅子に乗せて、朝の食事を食べさせていた。「食べろ、食べろ」と強いていた。ばあちゃんは、口を閉ざしても、怒っていたのを見た。聞くと数日、ちょこっとだけしか、食べていないという。拒食状態のようだ。無理強いを止めさせて、ベットに移して、眠らせた。時々覗くと、ぐっすりと眠っていた。夜になって、眠っている耳元で、「からぁす なぜ泣くのぉーー」と、小声で唄ってみた。聞こえたようで、うなずいた。「ばあちゃーん、腹へったぺぇ」と、声をかけるとうなずいた。ベットを起して、とりあえず、カップのアイスクリームを、口に入れた。口に入れると、舌でなめ回しているが、呑みこめない。ごっくんと飲み込ませるには、下あごのくぼみを、喉ぼとけへと、チョンチョンと、突っつくのがいいと、解るまでには、時間がかかつた。その後の食事も、ごっくんと飲み込めない時は、下あごのくぼみを、ちょんちょんと、突っついた。普通に食べれるようになるのには、かなりの日数だった。「食べたくても 飲み込むことを 忘れして 死ぬんだぁと つぶやき涙する」だった。別の事、仏教では、葬儀が終わったあと、四十九日間[七七忌]まで、七日毎に墓参をする。

 

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