画像は、精霊を送った日のもの。デジカメが破損。さて困った。修理をするか、新品にするか、思案中。画像とは違ったこと。告別式での謝辞を、思い出しながら綴ります。皆様方、本日はお忙しいなか、新コロナ、お天気不順のおり、お見送りに、列席賜り有難うございます。また、身に余るほどの、弔問、お香典、お供物をいただき、恐縮しながら拝受いたしました。有難うこざいました。母三千子は、八月八日の未明、午前五時に、看護師さん、お医者さんに看取られました。前日の午後、むせることが数回あり、呼吸も荒くなって、看護師さんにご足労を願いました。今の状態は、楽しかったことを思い出している、そおーっと看取って下さいとのことでした。94歳ころに、大腸腫瘍の除去手術、一年後に脳梗塞、また一年後に脳梗塞と、入院になり、退院近くになると、家に帰りたい、帰りたいでした。退院後の、経過診察で、帰り道を別にしたら、「あらっ、道が違うよぉ」と、車窓からの道筋を覚えてました。百歳前後の時は、狂暴性の認知症になり、ヘルパーさんや看護師さんに、悪口をいったり、髪をにぎったり、蹴とばしたりと、ご迷惑をかけまして、すみませんでした。その頃、ひとりお喋りをしていて、「じっちさぁーんばっぱぁーさーん」と、百歳になっても、親をよんでいました。いま、お世話をしていただいた、おひとりおひとりの顔を思い出し、声かけをしていただいた皆様の声を思いだして、旅立ちました。大好きだった兄姉にも、会えると思っております。私らも、ほっとした気持ちでおります。長い間の、たくさんの方々のご厚情、誠にありがとうございました。での謝辞。