八十路徒然なるままに

早稲田かりほすなど、とりあつめたる事は、秋のみぞ多かる。また、野分の朝こそをかしけれ。徒然草より

荒れたお盆入り

2022年08月13日 19時09分20秒 | Weblog

今日は、荒れたお盆の入り。お天気のせいにしては、ダメだが、何か変な世の中なのだぁと、感じる。我が家は、天気予報を見て、昨日、お墓へ行ってきた。ばあちゃんが、旅立ってから六日が過ぎた。なにもこんな時に、旅たってなぁと、思うが、告別を20日する。それまで、ゆつくりと我が家にいる。九十四歳の晩秋に、大腸の腫瘍を除去手術をして、退院まじかに、面会に行くと、家に帰るという。一年後の脳梗塞の退院近くにも、付き添っている妻の夕食を、面会室で食べるとき、病室から車椅子に乗せて、連れて行くと、町明かりを指さして、あそこあたりが家だ、帰るんだぁと、顔をしかめながら、哀願をしていた。そのころから、在宅介護は、しょうがないと、覚悟をした。画像の中のペコチャン、お気に入りのもの。その右側の、小さな袋が連なっている飾りものは、入浴サービスの方たちの、誕生日のお祝いのもの。持たせてやりたかったと、妻が悔やんでいる。毎週金曜日が、入浴サービスの日。車椅子からベットへ、抱き抱えながら移すのが、小生の役目だった。石川啄木の歌の、「たわむれに、母を背負ひて そのあまりの軽きに泣きて 三歩あゆまず」だった。ベットに腰掛けさせて、背中をゴシゴシと。「ばあちゃん、痩せきれちゃつぞぉ」って、声をかけ、うつむいている顔を覗くと、おちょぼ口で、澄まし顔。そういえば、妻は、「今日もいい顔をして、眠っている」と、何度も云っていた。看取りの看護師さんが、「楽しかったことを、いっぱい思い出している状態」だと。あと一週間、「ばぁちゃん」と、声をかけて、線香を手向ける。

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