20日の、告別式で一連の葬儀が終わった。昨日は、我が家と、二家族が、お寺集合し、現地解散して、それそれが帰宅をした。百か日の供養も済ませてあり、集まる機会もなくなった。それぞれの家族は、皆後期高齢者になり、何かしかの体調不良がある。一番は、歩行の困難がある。タイトルの、「そうか、もうーー」は、城山三郎著、「そうか、もう君はいないのか」を、借用をした。今までは、毎日、ヘルパーさん、看護師さんが、「おはようございます」、「こんにちは」と、来ていただいていた。それが無くなり、なにかかにかと、動いている時は、気が紛れている。疲れで、うたた寝から目を開けると、「もう、いないんだぁ」と、思い出す。妻が、「あの時、ああすれば、よかった」とか、テレビをみて、「この番組の時は、ご飯を食べさせていた」とか、「オムツ交換をしていた」とか、愚痴を聞いている。十四年間の在宅介護の年月の長さは、赤ちゃんがおぎゃあと生まれてから、中学生、高校生になっていると考えると、長い年月だったなぁ。我が身だって、時代の変化が急なのは、二十年ほど前で、本格的に、廃業を考え始める数年前だった。縮小均衡を図っていた。その後、大震災が発生をして、決断をした。その頃、ばあちゃんに、「疲れたなぁ」と云うと、「そんなに働かなくても、いいとおもうよぉ」と。介護中は、「嫌だなぁ」と、思うこともあった。「嫌だ」と思い始めると、嫌だ、嫌だが続くかも。風呂上りして、就寝前に、「ばあちゃん、また明日ねぇ」と、声をかけると、うなずいていた。108歳の誕生絵日の二日前に没したのが、惜しまれる。