神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

スローな生活

2020年05月19日 12時09分00秒 |  コロナ騒動

今の生活は悪くない

ただ退屈すぎる

産まれて70年、これほどのんびりと過ごしているのは多分

幼稚園入園前の5年間以来

幼稚園入園以来、ずっとプレッシャーの生活を続けてきた

子供だって楽じゃ無い、同級生、先生、親、近所のおっさん

近所の子供達、みんなプレッシャーの源だった 友達さえ時には

 

時間の制約が無いというのは、これほどまでに自由なのだ

いつ寝ていようが、いつ起きようが、誰とも関係を持ちたくなければ

家の中で一人でいればいい

女房殿もべたべたと言い寄ってくるタイプではないし、あっさりした関係

一日顔を合わせることも無い日が結構長かった

父の看病とは言え、別居生活が1年半続いたときもあった

それについて言えば、この生活が始まって以来、ずっと毎晩食事を

共にするようになったし、月28日あった外食は、今は月1~2日に減り

伝書鳩の如く、スーパーへ寄る以外は規則正しく家と会社を往復するだけ

テレビを見る、寝る、食べる飲む以外何もしないおうち暮らしの毎日

これが気に入っている

何もしないことほど楽しいことは無い・・・・これが憧れていた自由

やりたいときだけ、やりたいことをやる

だんだん動くのがおっくうになる、寝る、座るだけの病院暮らしのような毎日

体は鈍り、関節や筋肉はこわばり、こうして老人の道に入り込んでいく

だから仕事に行くことは、私のようなぐーたら者には絶対必要だ

家での怠け者が、店に来るととたんにしゃっきりして頭も動き出す

とにかくじっとして居られない性格に変身する

お湯が沸くのが待ちきれない、魚が焼けるのが待ちきれない、フライパンが

熱するまで待てない、その僅かな時間にもじっとして居られず、別の仕事に

取りかかる

だから湯は沸騰して鍋が焦げ、魚は真っ黒に焼け焦げ、フライパンは

もうもうと煙を出して油が黒く焼けてしまう

狭い調理場ゆえ火事にまで発展しないが危険なことこの上ない

それくらいじっとして居られない人間なのだ,家の時はナマケモノ

店に来ればリスの如しだ

まあ、こんなに呑気に過ごしていられるのもコロナのおかげだ

仕事をしたくても、誘客の手を打っても「宴会するな」のお触れが

ある限り、または解除しても市民にお触れの呪縛がある限り

仕事は出てこない

これでは首つりの縄を毎日編んでいるようなものなのだが、不思議と

気持ちは落ち着いている

なんなんだろう? 開き直りなのだろうか? そうだとしたら究極の

開き直りだな・・・・・・ちっちゃいちっちゃい

ソフトバンクの孫さんを見てみろ! 「崖の縁から崖下を覗いている

くらい余裕がある」だって

レベルは太陽系全体とソフトボールほども差があるだろうけれど

気持ち的には同じ程度なんだろうな・・・・きっと

でもなぜか余裕

それはきっと自分を信じている「自信」があるからだと思う

三ヶ月も商売を休んで、収入が全く無くなったところから新しい季節が

始まるのは、ある意味「新規開店」のスリルに似ている

これはやりがいがある・・「立て直しゲーム」

立とうが転ぼうが、それは私の才能次第、実力は如何に?

さてさて「お手並み拝見」といこうか

※もう一つの始まりがあった、ブログ開設2001日目だそうだ

2000番台、最初の1だ