神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

占い

2021年06月30日 08時46分24秒 | 宇宙.神秘
気分転換にプロフィルを付け足してみた
自分が生まれた日について考えてみた 干支 運命 宿命 天命
同じ年月日に誕生した人間は日本1億2400万人のうち数千人のはず
仮に9000人として血液型Oは2500人 県内に限れば人口比で約70人

昔から運勢、占いが好きだった お神籤も 興味があった
新聞の片隅 朝のテレビ ラジオでも「今日の運勢」聞きたくなくても
聞こえて来る 高島暦も商売柄毎年買っていた
様々な運勢占いを見てきたが、そんな中で細木数子さんの六星占術が
その時々の自分の生活に一番当てはまっていた
今は養女に代替わりしたしたらしい
だが20年くらい占いなどを見ることをやめていた
しかし昨夜プロフィルを書いていて、たまたま六星占術を見てしまった
その通りとしか言いようのない木星人+
大殺界に突入、コロナの直撃と重なった

だが性格の中に過去は当たっていたが今は正反対になって当たっていない
部分があった
ところが12分の1の確率で出る「霊合星人」
それによると時に正反対の行動を起こすことがあるらしい
他の性質が混じってくるのが霊合星人で、それは誰にも予測できないのだというあけど
なるほどそれで予想外の自分の行動の意味に納得した

私は占いを見ることが好きだ
だけど自分に良いことは信じ 嫌なことは信じない
それでも嫌なお告げでも教訓的な事は取り入れて日々の生活や仕事の参考にする

小学生の時、警官の息子に言われた言葉を思い出した
「きみはそんな非科学的(迷信)なことを信じるのか」










ワクチン接種で、らくちん生活になるか?

2021年06月29日 09時53分14秒 |  コロナ騒動
国の指導なのか市では65歳以上の接種を7月末までに終わらせる方針を市民に示した
それはここだけでは無くて各地の役所を混乱させているとか
そんなわけで私はなぜか65歳以上の接種では29日でビリッケツになりそうな状況である
6月1日に申し込んで一回目が7月8日、二回目が29日、6月12日に申し込んで7月15日一回目だった女房殿は市から提案書が届いて私より早くなった
友達や魚屋仲間も私より若い連中が既に一回目が終わり、明日2回目だといっていた、会場も同じで私より一週間後の申し込みだったのに
どうもタイミングが悪かったようだ

もう1年以上ゴルフはやっていないが、金曜日にボランティアの先輩から「久し振りにどうだね」と誘われた
今日はメールを見たら昨日付で一番の遊び友達からゴルフのお誘いメールが来ていた、7月にはゴルフコンペの表彰式兼懇親会の予約も入った
やはりワクチン接種の普及で60代を中心に動きが出てきた、わたしも仕事へのチャレンジ精神が目覚めてきたようだ

さきほど大谷が26号を打ったニュースを見たので、すぐにテレビを付けたら大谷の3打席目だった
私がリアルタイムで見たとき大谷はホームランを打ったことがない、大概三振だ、いまもまた三振、なぜ私には気持ちよいホームランを見せてくれない?

さあて今日もあれこれ仕事を考えていたが、今日は一日完全休みにしよう
もっとも、もう市場で仕入れはしてきたけれど




復活の日は近い

2021年06月28日 18時29分34秒 | 心 思い
どうも調子が出ない
何ていえばいいのか 自信がなくなった
「Gaaaa!」っていうパワーがない
かろうじて朝の競売で
見せる必要もない意地をたまに
誰も見ちゃいない
屁のツッパリってやつ

ずいぶん自虐的に生きている
もっともこれは生まれ持った負の性格
僻みっぽくて寂しがりでやけくそで
ときどきどっちに行けばいいか迷って
ほんと!どっちに行けばいいのか

ほんの少し ほんの少しの修正で生きざまは変わるのにわからない
どんな生きざまがしたいか
わかってない

もうわからなくてもいい歳なんだ
終わろうと思えば終わってもいいんだ
でも終わった後の人生に何も見えてこない
やっぱり続けるのがいい

若い娘たちと子供みたいに 毎日「きゃっきゃっ」って女学校みたいに
そうさバカげているけど
バカげているけど
今度生まれたらもう少し男らしく生きたい
あるいは自然の中で呆けて生きるのもいいかも

はつらつとして自信に満ちた若い奴らを見ると
みょうに腹立たしくなってきて絡みたくなる
だけどみっともないし
見栄を張って年相応の余裕を見せようとするが
自分ではわかっているからそれもむなしい

いろんなニュースに反応して
そのたびに「あいつ悪い」「あいつだらしない」と叫ぶ
そんなことどうでもいいんだ ほんとうは
でもそんなことしか楽しみないしね

どこで元気を取り戻すか
それはかんたんなこと
真夜中に飲んで歩けば 飲みに出れるようになれば
またかっこいいyottinに戻るさ
なあぴーちゃん






疲れた気分! Red Roses for a Blue Lady

2021年06月27日 16時53分10秒 | 音楽
なんかいろいろあった一週間、仕事もそこそこしたけれど仕事量の割に売り上げは少ない、まあ..ありがたいけど
だけど疲れた! 予約仕事が終わって静かになったとたん疲れがどっとやってくる
それと朝起きた時の脱力感、寝る前の疲労感 いつも思うけど温泉に行ってのんびりしてマッサージ受けたい
だけどいつでも立ちはだかるのがコロナウィルス、早く一回目の注射を打って安心して出かけたい
最初の頃とかわって最近はなんだかずいぶんと臆病になった
先日の飲み会だって缶ビール日本(2本 それにしても誤変換が多すぎる辞書機能、前後の文脈で判断できないのだろうか)
飲んだだけで家に帰った、他の連中はほとんど二次会で夜の町に行ったのに

田舎の夜の町も随分と人の通りが多くなってきた、やはり目立つのは30代~50代だ 「さすがに俺たち年代はまだいないようだ」と50歳に行ったら(言ったら)、その男は「フィリピンの店に行けばyottinさん世代はけっこう来てますよ
すぐにホステスがワイン持って『コレノミマスネ』とか言って隣に座る、だからみんなワインOKの客につくから『俺らは客じゃないんか!』って怒鳴りましたよ」
ああ、そんな風に聞くと1年半前までは、ワインは関係ないけど、なにも考えずにそんな風に陽気に飲んでいたんだよな、真夜中まで
どうもいけない、少しも腹の底から湧き上がってくるものがない
7月から指導的立場でスピーチする立場になってしまったが、こんな気分じゃ説得力がない
きっかけが欲しい、作るしかない、作るしかない、やっぱり自分が動くしかない、そういうことか

部屋にコンポセットしてレコードを流す生活を取り戻そうか
なんか『Red Roses for a Blue Lady』を聴きたい気分になったから
この歌、スナックでよく歌ったなあ










大恋愛の夢を見た

2021年06月26日 18時18分07秒 | ライフスタイル
この週は県内でもゼロまたは一桁前半となり、わが町もずっとゼロが続くようになった
65歳以上の1回目の接種も進み、少し安堵感が出てきたようだ
絶対安全とは言えないが昨夜は仲間が集まって、350ml缶3本、つぎっこなしの缶ビール食事会約1時間をやった
久々に明るい顔が並んだ、都会では観劇、スポーツ、動物園などに数千、万人の人出だから、田舎の自粛も少しは緩めてもいいんじゃないだろうか

帰宅したのが10時頃だった、10時半過ぎには酔いに任せて寝たが、まもなく激しい雷雨になって目が覚めた
でも眠気が勝って、気にもならず再び寝た

朝4時に目が覚めた、目が覚めるまで実に良い夢を見ていた
大恋愛の夢、相手の女性とはもう離れられないほど信頼し合い、思い合っている、互いに頼り頼られ愛し合っている
いつもの通り、その女性は誰かもわからない人で、顔もスタイルもはっきりしていないが自分の理想形を思っているのだろう
私はどうなんだろう、年齢不詳、でもあえて聞かれれば今の年齢だが夢の中では年齢も健康状態も意識にはない
これほど愛し合っているのに二人の仲は彼女の親と親戚によって許されない
切なくて、切なくてたまらない気持ちで目が覚めた
だが、すぐにまた寝た

ところが夢の続きを見たのだ、私は彼女の親に気に入られようとして、彼女に会わず仕事で成功して認められようと、何らかの商売を始めた
食べ物の仕事なのだがなんだかわからない、従業員はいなくて自分一人でやっている、相変わらず彼女の存在は大きい
以前の築地の場外のようなところに仕入れに出かけた、なぜかそこで今私が取引している問屋の営業に会った
私は彼女と再び付き合える日を夢見てがんばっているが、彼女の母親は背を向けて知らん顔、でも頑張っている自分がなぜか嬉しい
彼女の母親も小さな食堂みたいなことをやっていて従業員のおばさんが一人いる、そのおばさんが私を見て「若いですねえ30歳くらいに見える」
と言った、その時、私は実年齢を思い出した
夢はつじつまが合わない、彼女は多分20代30代の設定だろう、彼女の親より私の方が年上だ、だが夢とはそういうものだ
で、また目が覚めた、まだ5時だ、もう一寝入りしよう、また続きを見て彼女に会いたい

ところがまた続きを見たのだ、まだ私は彼女と一緒になるための努力をしていた、内容はもう忘れたけれど近くに彼女を感じている
そんな気持ちのまままた目が覚めたら6時前だった
この夢を三度にわたって見たことは、そんな夢を見ただけでもたいへん貴重な体験をしたと思った
こんな夢を真面目に見るのだから、まだまだ捨てたものではないと思った

今読んでいる「流転の海」の影響なのか
いま読んでいるところは、主人公の中国人の友Cから託された(彼は日中戦争でやむなく中国に帰った)彼の日本人妻A子と、その娘B子に会いに行く
するとの今まで知らなかったA子の別の面を知った、C以前にA子は別の男との間に男子Dを成していたのだ、主人公は憤慨する
しかし問題は彼女の娘B子の方だった、まだ17歳だが新婚ほやほやの老舗旅館の21歳の坊ちゃんEとできていたのだ
主人公は、そのEにも憤慨して会ってみるが、Eは旅館を継ぐ気がなく大学での研究に没頭していて、近いうちにB子と結婚すると堂々と言う
ではなぜ結婚したのだと聞くと、Eの妻K子はEとB子の関係を知りながら押しかけ結婚したのだ、なぜ拒まぬというと
K子の兄をA子の息子Dが刺したの訴えない代わりに結婚を迫ったのだという
Eの両親はB子の父親が中国人と言うことで猛反対した、だから坊ちゃんEはB子を連れて駆け落ちすると主人公に言う
主人公は侠気ある人情家だから、それを支援しようと動き出した
ざっと、こんなところだ、これの影響であんな夢を見たのか

それともおととい、どこかに行った愛ネコPee子とじゃれ合っていたビデオを見ていて、Peeを懐かしく思い出したセンチメンタルな気分からなのか
いずれにしても、まだそんな気持ちが心の奥にあったのか
あの泣きたくなるような切なさが






追悼 寺内タケシさん

2021年06月23日 18時11分10秒 | 時代検証
レコード棚を探したらLP1枚 SP3枚出てきた
1967年から68年に発売されたものでブルージーンズではなくバニーズ時代のものだった、定価は1500円と400円、高校生の時に集めたもの
あらためて聴いても元気がでる真夏の太陽のような曲だ
ほかに「レッツゴー ブガルー」もあったはずだ
『レッツゴー運命』はクラシックをエレキでアレンジした画期的なものだった
クラシックファンからみれば???だろうけどクラシックに堅苦しさを覚える階層にとってはクラシックを知る糸口になった
加山雄三さんの『若大将』シリーズにも出ていた、白衣を着て出前していた印象があるがはっきりは覚えていない
でも棒読みのセリフがおかしかった記憶はある



千葉県知事を退職した森田健作さんのレコードも出てきた
まだ20歳くらいジャニーズ系の美少年だったんだなあ、
桜木健一さんの『柔道一直線』森田健作さんの『おれは男だ』(剣道)岡田可愛だったかな?バレーボールのドラマ『若大将』はスポーツ万能
スポ根ドラマが幅をきかせていた、近藤正臣さんなんかもピアノを弾くニヒルな天才アスリートを演じていた、そんな時代だった


サポーター

2021年06月22日 15時31分09秒 | 病気と健康
70過ぎて変わったことというか、新しい出来事はいくつかある
忘れることや小さな不注意も増えてきたが、なんといっても体の変化が一番多い、関節の痛みである
足首、足の膝、腰、手首、肘、いろんなところが代わりばんこに痛む
腰の場合は痛むというより重くなった感じがする、腰から尻、太ももの裏側、ふくらはぎ、足の指まで
腰の場合、背骨の末端がずれていくような気がしてくる、それで安定させるためにサポーターを買った
これがサポーター使用の始まりで、手首が外れる様な痛みが出た時には手首用
膝ががくっという感じになったので膝用、肘の痛みでひじ用とどんどん増えてきた
ありがたいことに大概、サポーターをすると2日ほどで痛みが消える
こうしたものの世話になるようになった
朝起きた時は足が定まらない、階段も手すりにつかまってゆっくり下りる
これが起きてから30分もたつとシャンシャンと手すりもいらずに階段を軽やかに下りるのだから寝ているときと言うのは無重力にいるようなものか
まだまだ歩くのも車の運転も大丈夫だ、ブレーキとアクセルを踏み間違えることもない
間もなく新しい運転免許証ができる、ゴールドだったから4年間の有効期間だ、大型も更新できた、この次更新の時は認知症の検査があるはずだ
父の認知症検査に付き合ったことがあったが、あの頃から(自分はできるだろうか)と心配になった
反射神経や早歩きは自信があるが、頭の中身はわからない、人の名前がなかなか思い出せない、年相応に進化(退化)しているようだ

左から腰、ひざ、関節、手首



今朝のラーメン「金沢濃厚中華そば 神仙」のパッケージ
ベーコン ネギ 薄焼き卵をトッピング
細麺で味が濃い いただいたラーメンセットもあと二食になった


思い出一人旅 安土城 後編

2021年06月21日 16時04分59秒 | 日本の城
那古屋で生まれ育ち、兄弟や親せきと殺し合いをして尾張一国を手に入れた織田信長
敵があれば味方もある、人間の才能を見極める名人だった信長
貧乏百姓の倅だった秀吉を雇い、忍者か何か得体のしれない滝川一益を雇い
いずれ目の上のたんこぶになる徳川家康を信頼して最後まで同盟関係を維持した
敵対した弟を殺したが、その重臣だった柴田勝家を許し腹心の部下にした
三好長慶と組み京の都で悪事の限りを尽くした松永久秀を取り込み、大和の国内を任せてある筒井順慶と競わせた
戦国武将でありながら革命的、文明的、先進的、商業主義、国際的視野
生きざまは同時代の戦国大名を凌駕している、ほとんどが一次産業を基盤としてのに対し、信長は六次産業化していた
積極的に欧州人を招き、キリスト教布教にも力を貸した、それは国内の小競り合いなどは早く片付けてアジアと言う大きな地図の上で世界と競う目的
秀吉もおそらく信長の影響を受けて大陸の明国を征服する野望に燃えたのだろう
でもよく考えれば信長は450年くらい前の人、そんなに大昔ではない

尾張には海がある、海があり港がある所は全国や外国と交易が盛んだから人なれしていて垢ぬけている
様々な全国の情報や物が入ってくるから知恵もつく、人をだましても騙されない、着るものも華麗になる、お金も動く豊かになる
だから早くに兵農分離を果たした、弱い足軽に鉄砲を持たせて遠くから敵を倒した、個々に鉄砲をもった騎馬中心の武田が敗れたのは必然だ

だが信長はゆったりとした海のような広さを持つ琵琶湖に恋した
琵琶湖を眼下に眺める安土に城を築いた、あの位置だと琵琶湖の向こうに夕日が沈む、そこには明智の坂本城がある
秀吉には安土に近い長浜城を与えた、長浜でも夕陽が見えるだろう

急な坂が終わり本丸に近づいてきた感じがする、石垣と石垣の間が狭まり急角度で敵を誘い込む



常に道の正面に石垣がある、ここには塀や櫓が建っていて敵を狙い撃ちだ



いよいよ心臓部か?

まだまだ奥があるぞ


ここは門か櫓か?

まだ石段が続く

おっ! 天守か?

また石段


広い林の平地 二の丸? 三の丸?





最後の詰めか?

これが天守跡か? 基礎石か?


山頂からの眺め 近江の平野を望む



あの川は何川?だろう
あの山は?




天守の下に何かが見える 行ってみよう




織田信長公霊廟
本能寺で討ち死にした信長公を秀吉か家康が奉ったのだろうか


帰路 二の丸跡に立ち寄った

途中から文化財クラスの寺院跡を通るコースもあったがこれ以上いたら家に着くのは深夜になってしまう
今度また来た時に行ってみよう    おわり

思い出一人旅 「安土城」前編

2021年06月20日 18時31分37秒 | 日本の城
和歌山城-南紀白浜温泉-法隆寺-平城京跡-奈良-唐招提寺-安土城と歩いた数年前の一人旅
今回は、その中から安土城をピックアップしよう
二泊三日の旅だったが最終日は奈良からどう帰ろうかと考えていた
京都に出て北陸道経由で行くのは、もうマンネリで面白くもなんともない、そこで考えたのは伊賀上野から伊勢方面に出るルート
土地勘が無いのでいったいどれだけ時間がかかるか見当がつかない
翌朝出発して、まずは唐招提寺へ向かった、ここは二回目で前回は修繕中で本堂見学ができなかったが今回は国宝の仏像に対面できた
それから薬師寺に向かったが駐車場がわからず何度も回ったが結局、あきらめた
こんな風に時間をとってしまったので、伊賀経由はあきらめた結局安全ルートの北陸道になったのだ、小雨っぽい感じになった
これはもう直行して帰ろう、5時頃には家に着く、そう思って走り出したのにせっかくここまで来て伊賀上野城、大和郡山城を見られなかった無念が
琵琶湖サイドを走っていたら安土城を思い出した、以前安土城の前を二三度通過した記憶があった、ナビを見たらICから30分
かなり無理があったが行くことにした、今を逃すのが一番いやだ
そして到着、雨は降っていない、駐車場に止めて少し歩くと長くて低い石垣と案内看板があった
なんか村の雰囲気



名古屋清州城から始まった織田信長の人生、小牧山に城を築き、そして美濃の斉藤家を追い払って稲葉山城を得て城下町を「岐阜」と改めた
そこで「天下布武」の大望を抱いたと言われている
北近江(滋賀県)の浅井長政に妹のいちを嫁がせて義兄弟となり同盟を結ぶと
南近江の六角氏を追い払って京への道を開いた
ラスト足利将軍、足利義昭を奉じて京の都に進軍、そこで前将軍を暗殺した三好を追い払って天皇の信頼も得た
京により近い琵琶湖のほとりに誰もなしえなかった天守を持つ巨大で華やかな安土城を築いた
信長が、この城で得意満面とした歳月はわずかであった、本能寺で家臣の明智光秀に討たれると同時に安土城天守も焼け落ちたのである

大手門付近


この急な石段を信長の家臣たちは登城したのか? たいへんだあ

左右は要塞化されて強固に見える



信長に与えられた豊臣秀吉の屋敷跡
重臣は城の中に屋敷を与えられていた

大手口に続く高い石垣、まさに要塞堅固


ここにも大きな屋敷の土台が見える

城内の寺


急な石垣はまだまだ始まったばかり、息が切れてきた

上から見たらこんなにも急

まだまだ へばるな!

ここも誰かの屋敷跡

林の中を行く ほとんど登山状態


信長の嫡男、織田信忠の屋敷跡はだいぶ上にあった
総大将となり、秀吉や家康に采配を振って、武田勝頼を攻め滅ぼした
信長の後継者としてかっこたる地位を築いたが信長と共に京で光秀に討たれた

                つづく

「疲れたー!!」を考える

2021年06月19日 18時16分48秒 | ライフスタイル
「疲れたー!」と言うと父に「若いくせに泣き言いうな! 恩にして仕事をするな!」とよく𠮟られた
さすがにこの歳になったら「疲れたー!」と言ってもいいんじゃないかと思うが考えてみたらいくつになっても父の口から「疲れた!」という言葉を聞いたことがない
多分、疲労度は同じだが父は一切泣き言を言わない人だったし、私はその逆で37度5分の熱が出ると「風邪ひいた! 寝る! 医者!」と派手に騒ぐ
どうして親子でこれほども違うのだろうか? 父は「苦労してここまでやった」と人さまから言われる人だった
私はと言えば「あんたのお父さんは大した人なんだよ」と言われるばかりで褒めらえたことがない
二代目なんだからしょうがないと思っている、二代目の代名詞は「ボンボン」「おぼっちゃん」「苦労知らず」と相場が決まっている
まあ三代目の「親の苦労も三代目」とか「三代目しんしょう(どんな字を書くんだろうか? 財産の事だろうが)潰す」よりましだが
まあ何にしたって歳をとってからの立ちっぱなしや力仕事はきつい

最近の私はどうなんだろうか? ほとんど10~12時間立ちっぱなしで調理したり買い出しに行ったり、人と会ったり
だから足腰が疲れる、以前は肩から首に痛みやコリが集中していたが、最近は足から腰だ
だけど日によって疲れる日と、平気な日がある 朝起きた時すごく疲れているときとさっと起きる日があり
寝るときもどうにも目が開かないときと、何時になっても眠くならないときがある
疲れて疲れて「限界かな」と思っていても、「すーっ」と疲れが抜けて軽やかになるときもある
数日も疲れを引きづるということはない、明日は整体に行こうとか、朝寝をしようとか思った翌日は必ず回復している
回復力は早い、不思議だが本当に回復力が早い

疲れた時に回復するためのコツはいくつかある
1.翌日自然に回復している
2.疲れた時は日本酒を徹底的に飲んで酔って寝る
3.疲れた時は、長距離ドライブをして体を虐める、とことん疲れさせることで気分が180度ひっくりかえってよく眠れる
4.風呂にゆっくり入って小説を読む、ほとんどの場合うたた寝をする
5.仕事場で「疲れた 疲れた」を連呼する、恥も外聞もなく
6.300円位の栄養ドリンクを飲む、肝臓の栄養剤を飲む、ニンニクを食べる
7.とにかく早寝する
8.好きなことをとことんする(ブログや小説を書く とか)
9.精神的なつかれの時は一人旅が良い、誰にも会わず話さず、とことんひとりぼっちになる
10.整体やマッサージ
11.人恋しくなったら、気を使わなくていい店に一人で行って熱燗か冷酒をなめながらママと他愛ない話で二時間ほど(ほかの客がいないことが条件)
最初から酔う気持ちで行くべし、酔わなければ家で寝ていた方が良い
12.自分だけが忙しいという不満を持たない
13.落ち込まない、思い詰めない、腹を立てない
14、必ず良いときがくると信じて前向きに働く
11は最後の切り札