神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

彦根城玄宮園

2014年11月24日 18時43分30秒 | 旅行 関西・近畿

回遊式大名庭園「玄宮園」は彦根藩主の庭園、12月初めまで夜間ライトアップしているとのことで、これは素晴らしい景色だろう
井伊家といえば幕末の「安政の大獄」の責任者、大老「井伊直弼」が有名、これによって獄死した長州の吉田松陰の塾生らによって明治維新がなされたのであるから、明治政府から見ればにっくき敵ということになるが、その維新の時には早々と新政府軍の先方に立って徳川軍を攻撃した、15代将軍徳川慶喜が直弼を討った水戸出身という恨みもあったのだろうか?

それにしても彦根藩井伊家といえば、徳川家康の四天王のひとり井伊直政が開祖である、しかし戦国時代が終わったことで、四天王のように戦場で大活躍した勇将猛将の時代は終わり、政治に長けた人物が将軍の近くに集まり、戦働きの功労者は家康の死去と共に遠方に追いやられたのだろう。

それはそれとして、この庭園は見事である、11月~12月にかけての紅葉も素晴らしい、日本庭園のわびさびを見ることができる。

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倉田百三「出家とその弟子」に思う

2014年11月02日 10時01分10秒 | 宗教

 

 

 

 

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人間は長くもあり短くもある人生を生きぬき、玄米のごとき己を磨けば磨くほど、道を説く者、法を説く者の悩みと苦しみに直面する

 

己だけが常人の世にあって卓越した才能を身につけたとき、常民との隔たりにジレンマを感じ、常民の愚かさに怒りさえ思う

 

ところが怒りや蔑みを感じた時点で聖人である己は常人以下に成り下がっていることに気づく

 

そこで、常人に対する考えを改め、情と慈しみで向かい迎合したかのごとく優しく言い聞かせれば、常人の常でたちまち己が認められたと勘違いして、歩みは停滞し道を悟ったかの誤解をしてしまう、常人は己の欲望を解放し好き放題に振る舞う、小さな欲望の世界の中で、そして小さな欲望が全ての他人に多くの害をまき散らすのだ

 

かといって常人に強く人の道や法の心を延々と言い聞かせても、耳の右から左へ「我関せず」と抜けていくだけで時間を無駄にすること甚だしい

 

ならば簡潔に説けばどうか?

 

気短で己を守ることだけに必死の常人は、たちまち顔色を変え、唇を震わせて聖人に負けじと対立してくる、その対立は聖人を常人と同じ世界までひきづり下ろそうとするから始末が悪い

 

いずれにしても常人に法や道を説くのは至難の業といえる、道をなした者と、常人の差が大きければ大きいほどその苦悩もまた大きくなる、ましてやそれが肉親の関係であればなおさら苦悩は大きいものとなる

 

いかにして道を悟らせ常人を一歩上の世界にひきずりあげるか、それが師の悩み苦しみである、あきらめ切り捨てるのがもっとも容易であるが、それは仏の道に反する

 

常人を救うために聖人は地獄に落ちる覚悟が無ければ到底、常人を救うことは不可能だ

 

道のなから半分に達した時点で、全てを悟ったと思い込むエセ聖人の説法は常人の愚かさより始末が悪い、およそ人の世は己を己の尺度で測るから、器が小さかろうと大きかろうと満足は互いに100点なのだ、そこに勘違いの食い違いが生ずる

 

人が学ぶには謙虚さと師を選ぶ肥えた願力が必要だ、それが無ければ何でもかんでも選ばずむさぼり学んで良いものだけを残していけば道を歩むことは出来るようになるだろう

 

道を悟るのに近道も遠回りも無い、学ぶ今が道にあるのだ。

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