神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

この人誰? 

2014年04月29日 14時03分22秒 | ライフスタイル

 

 

 

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昨日、知ってる顔に会った、たぶん30年ぶりくらいだろう
顔はわかるのだが、名前がわからない
一緒に団体旅行をしたことがあるのだ、親しく語り合った記憶もある
だけど何の旅行だったのか、どんな関係だったのか忘れた
記憶力には自信があったのだけど最近は顔はわかってもどんなつきあいだったのかわからないことがたまにある。

40歳頃、結婚式の新郎がたまたま同期生で、別の高校の山岳部だったので県大会などで顔を合わせて写真を撮ったり、夏休みに自動二輪の免許を取りに1か月間、一緒に隣県の教習所へ電車で通った仲なのに、「久しぶりだね**だよ、覚えてる?」と言ったけど、まったく無表情で「わかりません」
お互い東京と田舎に分かれて20年ほど離れていたけど、こっちは鮮明に覚えているのに....
無視されたのか、「いまさら」と思ったのかと...だけど去年 同級会があって実に50年ぶりに会った友人Kくん、高校卒業後、同じ地方都市に彼は大学生、私は料理修行として住み、時々会っては飲んだ仲だ。
 クラス別にテーブルに座ったけれど「きみとAくん以外誰だかわからない」という、私は90%把握しているから驚いて、「級長だったTはわかるだろ、あいつ一昨年突然倒れて死んだんだ」、KとTはクラス内でも優秀で勉強のライバルとして意識していたはず、ニックネームでも呼び合っていた仲、ところが「T...? わからない」
国立大学に現役入学して、一部上場会社の技術者として頑張ったKなのに、こういうことには記憶はないのか、無関心なのか
むしろインテリーは安易な人間関係に時間を割こうとしないのかもしれないというのが正解かもしれない。
もう15年も生きれば息子に「あなたさんはどなたですか?」という日がやってくるかもしれない。

 

 

 

 


HUG 避難所運営ゲーム

2014年04月25日 10時56分39秒 | ライフスタイル

一種のボードゲーム、ゲームはゲームでも災害避難訓練の疑似体験
グループでテーブルを囲み、カード一枚が避難者一名、それを体育館
学校教室に収容していく。
健常者ばかりではない、高齢者、心臓発作がある高齢者、妊婦乳児
知的障碍者、うつ病、痴呆老人、犬、猫、小鳥、揚句ホームレス
総理大臣の視察、様々な支援申し込み、これにどう対処するか、
考える時間はわずか、続々とやってくる様々な事情を抱えた避難者
だんだんパニクッてくる、中には意見の相違で声を荒げる参加者も
こんな中で役立つのは、リーダーシップのある人、専門知識がある人
避難者と同じ境遇の人、的確な判断と意見をもらえる。
ゲームの中の避難者で介護のプロがやってきた時と、トイレの到着が一番ほっとした。
ゲームに参加してみて、多少の心構えができて役に立つのではないかと思った。

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足利フラワーパーク

2014年04月24日 11時13分23秒 | 旅行 関東.東海

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那須旅行の帰り道、足利フラワーパークに立ち寄った
不案内な土地をマイクロバスで捜し歩くのに骨が折れた
やはりカーナビは必需品だ
ようやく到着すると平日にもかかわらず車でいっぱい
誘導員は奥へ奥へと誘導するので入口からどんどん
遠ざかると思って仲間をここで下した
一人でぐるりと裏に回るとここがバス駐車場で、こちらにも
入口があった、こんなことなら下す必要はなかったのだ
しかも入場券は降りた連中が持っているので私は中に
入れない、連絡をとってようやく真反対からやってきた
仲間に入場券をもらってやっと入る始末、うっかりすると
団体ではこういうトラブルがおきる

さて中は素晴らしいの一言に尽きる、人工池を中心に築山があり
メインは長く垂れ下がった紫の藤、滝のように見える
そのほか色とりどりのつつじなど花でいっぱい
とても気持ちの良い観光地、椅子に座ってのんびりしたり
日向ぼっこをしたり
入場のトラブルも忘れて、ゆっくりと過ごした
北関東道が東北道や関越道とつながって久しいが、とても
便利になった、水戸もずいぶん近くなった
ドライブ好きにはたまらない便利さ、ただ高速道が無料化
どころか通勤割引も廃止になってガソリン値上げとのダブル
パンチ、ドライバーには非常な重荷である

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「社会福祉」なんて段階は過ぎた、現実を見よ

2014年04月22日 22時41分53秒 | うつ病.障碍

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日曜日に障碍入所施設の職員と保護者の会合に参加してきた
会合の後、新しいコミュニケーション手段として食事会を開催
その後、自己紹介ということで一人一人が発言したが、単なる
名前だけの紹介では無く、個々が持つ悩みや障碍者との関係
様々な履歴も交えて話すように仕向けたので、より深い場面になった

障害にも「精神障害」「身体障害」「知的障害」があるが、これに
「老人介護」も加えれば我が国のかなりの人が何らかの介護に
関わっていることになるのでは無いだろうか。

先日、保護者の一人が高齢でお亡くなりになり葬式に参列してきたが
彼女の人生を推して考えれば、まさに苦労と自己批判の連続だった
のでは無いかと思う、それは意見交換でも誰もが語りうなずいた事
なのだった、そして立ちはだかる介護者の高齢化と後継者不足
それだからこそ施設に依存して、どうやら一縷の希望を見いだしたのだが
そこにたどり着けず自宅待機する人は、どの症状でも甚だしく多い
これから数十年続く超高齢者社会、われわれ団塊世代が最もリアルに
体験してゆくこの厳しい残された人生
このまま80歳、90歳になって動けなくなったとき、どんな状況が待っているのか
入所する介護施設もなく、僅かな年金でお金も続かず、介護してくれる子供も無く、
やがて死んで入った墓を守る身内も無い
政治家には、いきおい前向きばかりで無く、治療的な国家100年の計も練って
いただかなければならない、「今しか無い」後手に回れば国家の沈没が待っている。


一日(ひとひ)

2014年04月16日 22時40分01秒 | 地理

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一日の終わりは(ペク.チョン)を聞きながら何日も溜まった日記を書いたり、ちょっとだけ上級の純米酒で軽く酔いながら、(ビリーホリディ)に耳を傾ける
一日の終わりはこんな風に静かに安らかに過ごしたい

「素敵な一日」という韓国映画を見た
ある女性が、だらしない(ボーイフレンド?)にあいそを尽かして、
貸していたお金を取りに行くが、そこからこの天然の甲斐性無しの男との長い一日が始まる、一緒に男の金の工面につきあう内に、男の人間関係や今まで知らなかった男の一面を知ることになり...

平凡な一日にも、時間単位で切り取ってみれば、様々な表情が見える
今日は私の今月初めての自由な一日、さっそく信州の山間地へ走った、信州には懐かしい本物の日本がいっぱいある、全てが日本それが信州

不愉快なほどひび割れ曲がりくねる狭い林道、少しだけ車と時間を止めて、耳を傾ければ、鳥たちの様々な声が林の中を駆け巡る
すぐ目の前の枝に大きな鳥が留まっていた、カメラを出すと同時に悠然と羽ばたき森の奥に消えた...いつまでも悔いた

県道のナンバーはついていても、今にも崩れそうな山肌の小さなカーブをいくつも曲がりながら上ったり下ったり、30%は来なければよかったと、そう思う道、10数年使い古した道路地図にはいくつも「二度と通りたくない道」と書いてある

いつも、そんな道では(対向車が来ないように)と祈りながら走っている
だけど心配無用、こんな道を走るのは私みたいな物好きしかいない
今日も数十キロのこんな道ですれ違ったのは1台きり
だけど感動するのは、こんな山奥にも家が有り、生活がある
私が感動するのは、ここにある家がみんな立派で大きい家だと言うこと、日本の素晴らしさに感動する、とうぜん電化製品だって完備だし
いや!都会の暮らしより近代的かもしれないし、豊かな生活をしている。
周辺の外国の田舎の暮らしを聞けばいっそう日本のすごさを思う

しょっちゅう信州に出かけているから、ところどころに思い出がある
そんな場所を通る度に胸がきゅんとする、高速道の乗り口にさえ
そんな思いがある、それは何か...一日ごとに老いていく心が今より
若かった日に嫉妬しているのだ

町の中で、横断歩道で、停まった、にっこり笑顔で礼をして行った20代の女性、なんだかさわやかで気持ちがいい、思わず私の心もほころんで後ろ姿を見送り、走り出す....10秒間の初恋ドラマ

今日も、こんな風に終わり 時計も22時30分 純米酒は二杯
CDも最後の曲を歌っている
今日のひと日を振り返りながら...素敵な一日だったね

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火星と満月の接近

2014年04月15日 13時31分03秒 | 宇宙.神秘

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久しぶりに夜の街で酔って、スナックから外に出るとこうこうと輝く満月、そのすぐそばには明るく光る火星も...
ずいぶん接近しているのでガラケーで一枚とったが、処理してみると月の強烈な光にレンズが反応、火星の赤のスペクトルが見事に映った
まるでかに星雲みたいにドーナツ型、もちろん光のいたずらであるが面白い

 火星は太陽系では第4惑星、地球の外側に位置する赤い惑星だ、アメリカの観測機器がいくつか着陸して繊細な映像を送ってくれているが、石ばかりの惑星、直径は地球の半分以下?、昔は月を2つ持っているといったが地球の月とは違って、小さな小惑星が火星に捕まった姿らしい。
今、火星は今年、地球に最も近い位置にあるということだが、数十年のスパーンでいえば地球火星間の距離としては遠いほうだということで約9200万キロほど、秒速30万キロの光だと307秒で到達する距離、ちなみに月までは約1秒、ペテルギュース&アンタレスまでは600年~800年くらい、
火星の赤い色は宇宙では夏のさそり座のアンタレス、冬のオリオン座のペテルギュースと競っている。
火星の赤は星の地表の成分によるもの、アンタレスとペテルギュースは自ら核分裂で燃える恒星の温度に(低温)よるもので内容が違う、赤い恒星(太陽)は温度が低く巨大だが寿命は長い、わ
れわれの太陽は中型、中温度で黄色い星、われわれの太陽は直径が地球の108倍と言われているが、ペテルギュース&アンタレスは太陽の600~1000倍も大きい、上には上があるものだ。
子供のころ、火星人はタコのような姿で長い数本の足ですっくと立ち上がっているという絵がよく掲載されていた、火星人は存在するかもしれないと考える人も多少はいたのだろう、今はどうだろうか?...でも果てしない夢と空想は楽しい

 

 


町の電気屋さん

2014年04月13日 18時29分07秒 | 時代検証

午後2時、夕方までに事情でどうしてもテレビが必要に
ところが地デジケーブルも壊れたみたいで配線工事も必要、大手家電には即納入のテレビがいくらでもあるが、いますぐ工事に来てくれる店員がいない
町の電気屋さんに行ってみた、先代から付き合いの店、わが町で個人営業している数少ない生き残り、60くらいの店主と30代の店主見習い(息子の同級生)
行ってみると「ただ今外出中」2人しかいないので、こういうことがままある、運が良いことにちょうど見習い君が帰宅
すぐに事情を言ったが、案の定店頭にテレビはなく取り寄せ、これじゃ間に合わない....すると「一時的に貸し出しできるテレビならありますが」
今夜見れれば何でもいいのだ、それでOK! 「工事も今すぐ行けますよ」
すぐに我が家に来てくれて、配線を見て歩いた後「ブースターの電源が抜けてるだけですよ、アンテナ工事はいりません、ついでに仮つなぎしてある箇所を完全に接続しておきます」、これでばっちり地デジテレビが映った
そのあと町の電気屋さんに行って、カタログで購入テレビを決めたが大手電気店より2割くらい高いと思っていたテレビが、新製品でもぜんぜん遜色のない価格で安い、(町の電気屋さんは高い)というイメージを持っていたが、これは偏見、思い込みだったようだ
うちの親父と女房はこの「町の電気屋さん」以外から買ったことがない、しっかりとした信頼を持っている、私は時々大手家電で買い物をする、だが今回の件で町の電気屋さんの頻度をもっと増やそうと思った。

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読書考(4)

2014年04月11日 13時51分19秒 | 読書

江戸風情と料理と人情を描いた最高傑作は池波正太郎さんのシリーズである、20代以後「剣客商売」「鬼平犯科帳」のシリーズはすべて読んだ、一度にとどまらず何度も読んだ、私も料理で生計を立てているので、小説に出てくる江戸時代の料理は興味深い。
 登場人物の強さと情の深さも読んでいて胸がすく、同人の「男の作法」も立ち読みですぐに買った、それと江戸の下町や押上げや新宿など当時の田舎が地図を見るように出てきて面白い、我が家の祖父(血縁のない戸籍上の祖父)は明治時代の日本橋区三代町(現兜町)の生まれ育ちで関東大震災あたりまで住んでいた、その後は上野.御徒町や亀戸を転々としていた生粋の江戸っ子、その弟は兄同様、千住など足立区周辺を転々としていた、昔あったことがあるがまったくの江戸っ子べらんめえ口調で、小柄で歩くのがとても速かった、奥さんは鶴首の目の鋭い勝気で小粋な芸者風の人、祖父の妹は浅草象潟(現浅草4丁目付近)に大空襲まで住んでいた、それだけに小説に出てくる地名や登場人物にも親しみが感じられて小説と重なり、ますますのめりこんだ、そして近くに行くことがあれば思い出しながら時代を遡って風景を重ね合わせて見る癖がついた。
同じころ読んだのは「藤原審爾」の「新宿警察シリーズ」などの小説、女優、藤真莉子の父親、都会風な冷めた裏社会の社会ドラマが多く、池波正太郎と対をなし同床異夢の感があって面白かった。
ほかには有吉佐和子が面白く、特に「助左衛門四代記」の印象が強い、こうしてみると洋書はあまり読んでいないのに気付いた、そんな数少ない洋物ではケン.グリムウッドの「リプレイ」が最高、今も手元において何度も読み返しているが飽きない、あとはカフカの「変身」、読むたびに印象が変わるのは自分が歳と共に変わっていくからだろか。
最後に今も心にのこているのは深沢七郎の「笛吹川」、戦国大名武田家の滅亡に従った忠臣兄弟家族が主人公だが、かっこいい華やかな武将からほど遠い、兵農分離しない土着武将の実態を農民階層から見た異色の戦記物、これが戦国武士の本当の姿だと実感する。

 

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読書考(3)

2014年04月10日 22時26分25秒 | 読書

宗教観が出てきたのはいつごろからであろうか?
無神論、無宗教の親父を持ちながら不肖の息子というのだろうか、だがそれは違う、わが祖先は臨済宗八溝山雲厳寺には700年前頃、信州善光寺には90年前頃に
深い縁があり、母の従兄弟も浄土真宗の住職だった、そんな因縁の家系の没落した枝が我が家である。
血縁ある(戸籍上は他人の)祖父の一家はキリスト教プロテスタントの家族で、特に祖父のつれあいは熱心な教徒であった、祖父は形だけで、宗教を信じているような敬虔な人物ではない。
よくよく考えれば自分もまた宗教に傾倒しているわけでもなく無条件に信じているわけでもない、寺に行ったこともない。
宗教と倫理や道徳の違いはよくわからない、いずれも正しい行いをすることで幸せになれると教えている、ただ宗教だけはあの世があって、その宗教を熱心に信じることで天国に導かれ、そうでない罪人は地獄に落ちると説く、その部分はあえて語らず、道徳倫理をだけを学んでいけばかなりおもしろいしためにはなる。
高校時代を卒業する時、親友が贈ってくれた本が「出家とその弟子」だった、暴れん坊だった彼がなぜこの本を私に贈ってくれたのか謎だが、裏表紙にその理由が書いてあった。
また宗教観があるような感じがする私の青春のバイブルは亀井勝一郎さんの「愛の無常について」だった。
悩み多き青春時代に、悩みから逃げるのではなく、悩みを受け入れることによって解決していく様々な言葉が書かれてあってずいぶんと勇気づけられたものである、そして同じような感覚で読んだ詩集は「リルケ」である、はっきり言ってリルケの詩はわからない、だが自分の内面にすんなりと溶け込んで入り込む感触を感じて心地よかった。
父は青年期の私に「お前は学校の先生か坊主が似合っている」と度々言っていた、だが結局は私を板前修業に出したのだから人生とはわからないものだ。
私が坊主になる理由はある、殺生ができない人間なのだ、それも異常なほどに、昔ネズミを退治するのにネズミ落としの籠があった、中に餌を入れてネズミが中に入って餌を食べると入口が落ちて閉まるという奴だ、泣きわめいているやつを籠ごとせき止めた下水に「どぶん」と漬けて水死させる、その時ネズミは必死に上に上って少しでも空気を吸おうと無駄な努力をする、その苦しむピンクの小さな鼻を見ていて可哀そうになって引き上げ、3kmほど離れた河川敷に逃がしたことがある、また初めて畑のまねごとをして大根を育てたが、大根の葉につく小さな虫を殺すことができず、一つ一つとっては逃がしでとても野菜作りはできないと思った。
良寛さんだったろうか、腕に停まって血を吸う蚊をつぶさないという話があったが、私もその口だ、もっとも姿を見なければ「バシッ」と叩いてしまうが、だが憐みだけで坊さんになれるわけがない、禅宗の厳しい修行などはとても無理だ。

忘れられないのは「親鸞」の漫画を読んで、寝たきりの孫祖母にその話を聞かせてあげたとき両手を合わせて拝まれた、あのことは40年たった今も鮮明な思い出として残っている。

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読書考(2)

2014年04月09日 10時05分05秒 | ライフスタイル

山に惚れ、宇宙の美しさに惚れ、青春のめまいを感じた時代には、「北杜夫」「石原慎太郎」「石坂洋次郎」「新田次郎」「星新一」などを時を惜しんで読んだ。
 ところが私のもっとも古い友は「ニーチェ」「サルトル」などの哲学書にのめりこみ、都内のマンモス大学の哲学科に入学した、少年時代から父の強さを知らない、ナイーブな一人っ子の彼は胸の内を語る相手もなく暮らしてきたのだ。(但し高校時代はバンドやフォークのグループ活動はしていた)
 友といえば私と、のちにノイローゼになって早逝した同級生くらいだった。
 彼が読み漁ったニーチェ、サルトルは何者と思い返せば、彼が彼を押さえつける彼自身からの独立と自由を求めていたのか、あるいは自分の非力が「人々に理解されていない」絶対的な力だと誇示したかったのか、そういう虚(きょ)を正当化することにあがいていたのかもしれない。
 目的は何か、きっとあったはずなのだ、目的を達するためには初歩から行動しなければならないが、その初歩は何だったのだろう、それとも初歩をすでに踏みだしていたのだろうか、それらしいものを考えてみれば大学を中退したこと、寺山修司に傾倒したこと、前衛的なファッションスクールに入学したこと
彼は当然ながら無宗教であったが、前衛ファッションの師は宗教のように彼に影響を与えた、それ以後定職にも就かず老いて消えた。
彼は結局「サルトル」「ニーチェ」から何を学んだのか?
彼に最も必要だったのは、彼の生まれ持った才能を世に出すアドバイザーだったかもしれない、悲しいことに私も含めそんな人間に出会えなかったのだろう、彼の(非凡な才能)という存在は永遠に埋もれてしまった。
 

 (社会に迎合する)平凡な万人向けの俺は、山を歩き、星を見、社会の手順通り、手職をつけ仕事をし、結婚して子を成し親と暮らしている
ニーチェの言うとおり、私は彼にとって「尊敬すべき敵」ではなく、切り捨てるべき友でしかなかった。

 奴にしろ、俺にしろ億兆の自然界の中でたった1本の埃であることに変わりない、いかに生きようと地球の消滅、太陽系の消滅で何もかも消え去る、そこまで考えることもない、どう生きようと結局は同じことなのかもしれない、だが生きているわずかな時間の意識の中では、幸福や不幸の感覚は確かに存在している、そうなれば生きている時間がすべてといえる、「死ねば同じ」などと人生をやけっぱちで生きるわけにはいかない、夢もって行動することこそ彼が学んだことではなかったのか!

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