閉鎖になったブログ人からgooブログに移って3656日になったから10年が過ぎた
ブログ人も10年くらいやっていたから、ブログ歴は20年になるのか、あの頃はまだ50代前半だったんだなあ
日記の転記も2000年に入った、50歳である、この頃が一番調子に乗っていた、ここで慎重であったら人生は違った展開になっていただろうが、調子に乗った
勇み足どころか観客席の10列目くらいまで吹き飛んだ感じ
そんな50代だった
若いころのうっぷんを全部ここで吐き出したような生活だった
今になっても当時の事は少しも反省していない、あれがないまま今に至っていれば濁りのない川のようではあるが味気ない人生だっただろう
あれはあれで私の人生のうるおいだったのだ。
昔話はこれくらいにして何を書こうか
どうも冬だけは調子が違ってくる、行動が雪と寒さで制限されるからだ
関東の友達から「こちらは毎日ぽかぽかとして過ごしやすい」とラインが来る
それを見るたびにますます北国の不便さを感じる
スノータイヤは来月2日に履き替える、昔は自分で2~3台履き替えていたが、今は寒いのと億劫なのと、膝が痛いのとで少しもやる気にならない
金はかかるが仕方あるまい
物価が上がって給料が追い付かず、政府は企業に賃上げを要求して、大企業から中企業へと5%前後の賃上げが実施されている
小企業、零細企業、個人商店、工場はどうなんだろうか
給料があがれば労働者はありがたいが、企業は支払い増加分をペイしなければやっていけない
結局価格転嫁になる確率が高い、給料あがって、更に物価が上がるイタチごっこ
給料が上がらない零細の労働者や日給の派遣労働者、年金生活者はどんどん手取りが減っていく、あきらかに日本の格差社会は韓国や中国レベルに近づきつつある
ここを政府はどう考えているのか、助けるのか、斬り捨てなのか
どうであれ先進国の中では世界一忍耐力がある、あるいは死んだふりがうまい日本国民は知らんふりをして生きていくだろうけどね。
愚痴はもういいわ
今日は少し天候も落ち着いて少し日差しが見えて来た
11月も今日一日で終わる、お歳暮材料も用意できたので今日は加工して荷造り発送をする
いつも盆も暮れも同じで、肉厚、脂いっぱいのトラウトサーモンを厚切りにしてパッケージして贈る
料理人時代に法要の焼き魚に使っていた品質の良い魚、魚屋仲間に頼んで魚市場から卸価格で取り寄せてもらう
70歳近い現役の友達が何人か魚市場に出入りしているので、こんな時は助かる
鮮魚センターで働いていた時は、金沢の大手の水産会社や、三浦三崎には父の従兄弟がマグロ問屋をしていたので貨物列車で送ってもらったりもしていた
あの頃は魚屋の黄金時代だったのだ
鮮魚センターには長野県、山梨県の観光バスが連日押しかけて大繁盛だった
それがバブル崩壊で一気にダメになった
振り返れば人生は面白い、山あって谷あって笑ったり、泣いたり
それは仕事を離れた今だって規模が個人になっただけで少しも変わらない
人生塞翁が馬、幸運が招く不幸、不幸が招いた幸運、いくつもあった
短慮で一喜一憂してはいけない、一定の年月の間に平均のゼロで収まるのが人生だ
悪いことが続いた後には必ず良いことが続く
人生はそんなもんなんだと74年生きてわかった。
いつもいいテーマを思い付きますね。
昭和の時代は得ることばかりに目が向き、遮二無二働いていました
平成後期、令和となって国家衰退の様相
得たと思った財産が、実は少子化の今は大きなゴミの山と化す
時代によって価値は変わっていくことも知りました
人生塞翁が馬、すべての事柄が表裏の二面を持っていること永く生きてこそわかってきますよね。